ミグ25のベレンコ元中尉がアメリカで死去
ミグ25戦闘機で函館空港に飛来 ベレンコ元中尉がアメリカで死去
https://www.youtube.com/watch?v=dhOEeCPqTVU
ファイアフォックス「ロシア語で考えるんだ」
亡命後、ベレンコ元中尉はホームシックのノイローゼになり、ソ連大使館に行こうとしたこともあったという。
ベレンコ元中尉は米国に亡命したかったので英語辞書を使い「私は米国に亡命したいです」と下手な英語で書いた紙を持っていた。
そういう訳だから、ベレンコ元中尉(30歳)にとって英語で生活するのは非常に大変だっただろう。
KGB「ベレンコ中尉、後で聞きたいことがある」
空軍基地で飲酒している軍人が多すぎると告発していたベレンコはKGBに睨まれていたという。
反動勢力だと思われたら政治犯収容所に放り込まれるというのがソ連なのだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーソ連空軍で雑に扱われていたパイロットのベレンコ元中尉は妻が浪費家で金に困っていた。
そういう事情でソ連から亡命しようと思ったベレンコ元中尉。
訓練飛行中に低空飛行でソ連を脱出し、函館空港に強行着陸。
この当時の戦闘機のレーダーは低空飛行している飛行機を捉えるのが苦手だった。
そしてレーダー基地も低空飛行している飛行機は捉えられない。
オーバーランして畑で止まったミグ25。
ベレンコ元中尉は本人の希望で米国に亡命しMiG-25も引き渡された。
MiG-25 マッハ 2.83。 中東方面ではマッハ 3.4 の飛行速度を記録
当時、驚異のメカニズムで世界一の性能を誇ったMiG-25だったが、旋回性能が極端に悪く格闘戦は苦手だった。
結局、ソ連の技術力は最高速だけの戦闘機を作ったことになる。
亡命事件以降、日本でMiG-25のプラモデルが飛ぶように売れたという。
ベレンコ元中尉は当初、MiG-25に関する情報を提供することで重宝がられたが、その後 米国で生活するのだから英語を勉強して生計を立てる方法を模索する。
公演などでお金を得たが、やはり決まった仕事が必要なので飛行機のセールスマンとして働いたという。
ベレンコ中尉の亡命騒動でパイロットが信用できないと思ったソ連政府は空軍の人事を刷新。
若いパイロットを外して歳をとったパイロットを着任させて亡命させないようにした。
このためソ連空軍の戦闘能力がガクンと落ちたと周辺国は言う。
ソ連という国の実態がコレである。
妖刀 さゆき
2023/11/23 14:10:20
情報を欲しがっているのは米国だからベレンコは自分を一番高く買ってくれる相手を探していた
こんどーです
2023/11/23 11:32:58
覚えてます
日本には亡命しないんだ・・・
って子供心に思いました
日本ってあんまりいい国じゃないのかな