ゲシュ崩ログ 380 ありがとうと言う
夫(神)にご飯作ったら、結婚して初めて(たぶん)「…ありがとう」って言われた。聞き間違えたかの?と思った。びっくりした。感謝されて。え。そして打ちのめされた。私って、感謝されて驚くくらい、感謝されてなかったんだ!今まで!と。自分のことながら、どんだけ~と言いたかった。
普段そんな事がないことがあったら地震でもくるんじゃないか?みたいなことは、今あまりにも冗談でも言ってはいけないんですが、やっぱうちの夫って神だしな。夫がそういう事言う時は、地震が起こっても不思議ではないかもしれん。と、なんだか、地震の前に小動物が変な行動をするとかなんとか、そういう地震の予兆の不思議な話と夫の感謝を同じレベルのオカルトな話としてもいいかどうかですが、夫から感謝されてむしろ、なんだか、こわ…。と思ってしまった。本来、それは普通で当たり前で、人として当然で、むしろ私が「お前作ったらありがとうくらいいわんかい」と、言っておかなければならなかったところだったのかもしれない。夫の教育不行き届き、私の責任だったのかもしれない。夫に感謝され、なんだか変な罪悪感でいっぱいになったり、驚いたり、奇妙だったりした。夫の感謝によって、こんな気分になるなんて。と自分でもびっくり。結婚してみて初めて経験する感情ってあるんだなと思った。
当然ながら、感謝されて気分がよく、人間としてそういう感情を夫(神)が持ち合わせている人だったんだな、と見なおしたので、夫にいつもは使わない、上等な湯呑をつかって、お茶をいれてみた。季節を感じる南天の実をあしらった、キレイな湯呑だったんですが、キレイな湯呑だったので、お客様用にと思って奥にしまっていた。だがなんだか夫がかわいかったので、ちょっと上質なティータイムを演出してあげましょうと覆ったんですよね。でも、そういう茶器と上等にしてお茶だしても、「お、」みたいな感じでお茶は普通どおり普段通り無言ですすっていたので、高価な茶器とかそういうの、夫に使うのなんの面白味もないな、確認して、面白くはないけど、まぁ、そんな面白くないところが人間味があって、夫(神)も一応人間なんだなと自分と近い部分があって安心するのも確かです。
にしても、よく落語とかで、なんか事に当たると「槍でもふるんじゃねぇか」みたいな日本語には、人柄じゃないことを人が言うとおかしな自然現象が起こるそういう表現する事があるんですけど、そういう感じって実際に起こりうる事なんですね。よく考えたら、落語の登場人物ってすごく高尚な王侯貴族の話とかじゃないから、王子とお姫様の話より、為になる栄養がいっぱいあるのかもしれない。ふと、ただの娯楽かと思っていたことが、実は生活実用品だったかもしれない事に、お金の使い方を考えさせられた。そういえば、このまえ夫(神)が、「子供と一緒に落語ききにいこっか~」と言っていた。私は子供には早いと否定したんだけど、落語ってやっぱ、学識ある人が聞くものなのか。そうなのか。私は行かなくてもいいといったけど、夫(神)の考えは、やはり尊重したほうがいいのかもしれないと思う。