歌舞伎役者を観るおとな、着物を着れない可哀そうさ
普段、庶民は着物を着るという機会は、お正月くらいみたいですが、庶民以下の私は、お正月も着る着物なんて無いです。でも、もし着物があったら、着物着たいな~と思いますよ。
着物を着てもいい機会
おしゃれな着物を着て行く場といえば、歌舞伎座とか。歌舞伎観劇。あそこは着物を着ていく場所みたいですよ。大人が着ていて、おしゃれだな~マダムだなあ~素敵だな~と思います。それは、きちんと人生を普通に歩んでいたら、普通はそうなるものかもしれません。着物くらい普通に親のおさがりでいくつか持っていて、観劇する時は着物を着て行くのくらい、別にお金持ちでなくても、普通の家庭の普通の女性なら、着物着て芸術鑑賞くらい、普通にやりますよ?というものが、現代日本人かもしれない。昔に比べると、着物はずいぶんカジュアルで、安くなったといいますし。
でも私はそういう機会がなかったんですね~。普通は、親が着物のおさがり何着か娘に渡して、嫁入り道具に入っていたりするらしいんですが、うちの家系は親が離婚しているし、かなり先進的で革新的な家だったからか、常識外れな家で、着物のおさがりありませんでした。
名古屋の嫁入りが派手というのは、全国の羨望を集める有名な噂です。名古屋に住んでいると、嫁入り道具に派手な着物が何着かあって、お嬢様の名古屋っ子は着物を着るということが、正月と結婚式以外にも普通に何度かあるようなのだろうというのがなんとなく知りえます。
最近成人式があったり正月があったりで、着物を着たうつくしい女性が目に入ります。着物を着ると、女性ってなぜか全員すばらしい芸術作品のような美しい存在になりませんか?体系とかセンスとかそんなの全部圧倒するあの着物の素敵なすばらしさ。しかも着物って、なぜかオバサんになればなるほど似合うような、そんな貫禄を必要とする不思議な服に思えます。白髪になればなるほど。そんな服って、着物の他に知りません。いつか着物を着たいな~着たいな~。と思っていたら、そろそろ着物が似合う年齢なのに、まだ私は着物が着れていません。
でも、本当は普通は、親から子へ着方とか着物とか愛情と一緒に受け継がれているものかもしれません。着物を着るという事、着物にそでを通すということ。それに憧れているような私は、着物とはまだ縁ができていません。
着物を着るって、なんだかおしゃれする、というだけではない、もっと大きな人間の品性とか魂とかの正しさをあらわしているような、そんな気がしますよ。