かきくけこのブログ。

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かわいいかわいいと、かわいい連呼するブログ。読めばかわいいがゲシュタルト崩壊することうけあい。

トムハンクス撮影中

映画

映画スターのトムハンクスさんって生きてたかな~と思って調べたら、現在作品を撮影してるらしい。なんという活動家。日本だったらもう引退してもいい年なのに。トムハンクスさんの映画が好きで、よく見ていたので、何か作ったらみたいな~とずっと思っていた。いつまでも元気で何か作っていて欲しい限りです。


 トムハンクスの映画といえばいろいろあって有名なのがいっぱいあるんだけれど、やっぱり一番はフォレストガンプっていう映画なのかなぁ…と私はいつも人生の節目節目でフォレストガンプの事を考えている。トムハンクスさんの事を考えている、というよりも、フォレストガンプという作品の事を考えているという感じ。こういう事は、演者さんにとって嫌な事なのかな。時々、どんな作品にでても、どんな映画にでても、その俳優さんがやったらどの役柄もその俳優さんになっちゃう、という面白い人がいる。若い時のジムキャリーさんとか。ジムキャリーが抜擢されるキャラクターがみんな同じような性質の役柄なのか、ジムキャリーが演じるから全部コミカルになってしまうのか。ジムキャリーがでてたらとにかく面白い。という感じの。そういう俳優さんも裏切らなくて最高なんですけど、トムハンクスさんは、自分をなくして、作品世界の人物に染まり、作品の根底をこれでもかと掘り下げ、表現するという名俳優だったと私は思う。作品と俳優さんの掛け算ですごいという作品もあるけれど、トムハンクスさんは作品のポテンシャルを完全にトレースして奇跡的なもの、人間が作る芸術というものを形にする凄さをみせつけるタイプだったと思う。
 フォレストガンプという作品
 フォレストガンプという作品の主人公、フォレストガンプ。足をなくしたダン中尉に「キリストに会ったか?この馬鹿野郎」みたいなラフですれた言葉を吐かれた時、「え、キリストっているんですか?」って言うんですけどね。このシーンが凄く好きなんですよねぇ…。
 ダン中尉という最低などん底、人生の真っ暗闇で神に見放された地獄にいるような人のほうが、「キリストっているのかなぁ」って考えていて、フォレストガンプみたいになぜか運がいい、なぜなのかついてる、この人だけ神に愛されてる、みたいな奇跡的な神の寵愛を受けているかのような、そんなフォレストガンプは「え?そもそも、キリストって、そんなんいるんですか?」って、無神論を炸裂する。そのシーンが凄く好きなんですよね。フォレストガンプの存在を知れば知るほど、なんでこの人こんなに神様がいるかのように運がいいのだろう。神様っているんだ…と思わせるような、そんなキセキの真っただ中にいるそのフォレスト君は、「いるのかなぁ…」という曖昧な希望すらない。というこの矛盾。この痛快な皮肉が場外満塁ホームラン、みたいな知的興奮をもたらしてくれるんですよねぇ。そしてそういう事はやっぱり、人生の節目節目で思い出される事でもある。とても普遍的なシーンだったりする。
 神様に愛されている人のほうが、神は死んだと思ってる。
 この映画のシーンの美しさ、尊さ、映画全体でダン中尉に待ってる救い。そういうもの全てが涙なくして見られない素晴らしい物語なんで見てほしいんですけれおども、この私の好きなシーンのこの、ダン中尉の絶望、そして希望というもの、この壮絶な人間という生き物の苦悩の本質というもの、人の持つ幸せの像というもの、そのような全人類が持つべき思想の根幹、個人の幸せについての観念のようなもの、そういったものが、絶望しきって神を冒涜するダン中尉のシーンに、よくあらわされているよなぁ~といつも思います。悔しくて、悲しくてやるせなくて。そんな人間の持つやるせなさ、その時に感じる神への怒り、悲しみ、神の不在を感じているというその、超人間的な、かわいさ。口汚く悪態をはき、嘆いているあのダン中尉という人物の、あのかわいさ。

 そしてフォレストの超然とした物言い。あの映画を最初見た時と、結末を知った後に何度も見返しながら見る時で、あのシーンについて、私は年をへてもなお、「いやこれは…」と考えを改めさせてもらえるものがある。

 ダン中尉のように、「神様はいるか、いないか」死んだか、そういう事を言ってる事がどれだけ素晴らしい事なのか。年を重ねていくと、なんだかアル中間際のあのダン中尉の絶望が、フォレストのあの飄々とした超然さが、じわじわと私の人生を侵食するかのように、能吏に焼き付いて私に影響を及ぼしていると思う。もう何度みたかしれないので、セリフもあらかた覚えているのですが、また見たいなぁと感じる凄くいい栄養のある映画。