ぴのぴののなんでも日記

ぴのぴの

こどもの頃から日記は大嫌い。夏休み・冬休みの日記も最終日に書いたなあ。書き込み、カテゴリ少ないけど、どこでも大歓迎です。リアル記録をここに残してます。

『光る君へ 第6回』忘れぬうちに。ねむいー。

日記

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  日中の6時間雪かきでボロボロ。食後目覚ましかけて、なんとか観ましたあ。
 戦国大河が懐かしいなー。あと42回、ラスト12月は老けメイク紫式部で盛り上がれるのかあ??そんなに事件が起こるのかあー??
 当面「源氏物語」書くまでは我慢我慢。
 
 では「光る君へ 第6回」の考察です。

  • ・源がいるってことは、どこかに「平氏」も併存して息を潜めてるってことか。

  • ・赤染衛門の歌を詠みあげるイントネーションが百人一首の時と違って違和感。

  • ・「蜻蛉日記」が既に広まっていた。現代で言う内閣の大臣の愛人が暴露日記を出版??政敵側で笑われてる??

  • ・高階貴子だけはなぜ、高階姓がとれていないの??

・皇后がもう安倍晴明にすぐ呪✖・・・。すると花山ご乱行は出家するからお終い??

・「辛酸を舐める」って当時の話し言葉じゃ変。

・ウイカは期待比、・・・・。顔原型がわからず、関西弁をとったら、ただの・・・。

・歌会ってお題出して、ボードに書いて、司会者が点付けて、『笑点』じゃん。

・はんにゃの句「三十路で人生、三分の一」なら90歳まで生きれたんかい?信長だって人生50年なのに。

・直秀はあの矢傷で、もう次週、正体バレルっしょ。


 ビッグネームのキャスト出ないねえ。
 セットもここまでは豪華大掛かりでポイント高かったけど、年末まで使い通して、ロケも大エキストラも無いままということ・・・。
                     かな?
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  • ユーミ

    ユーミ

    2024/02/18 14:01:50

    ちなみに、万葉集の原文は全て漢字です。
    現代語訳文でないと全く読めませんね><

    三つの詩に共通しているのは上の句の「ちはやぶる 神の斎垣も 越えぬべし」。
    「ちはやぶる」は荒々しい・勢いがある、という意味で「神」の枕詞。斎垣は神社を囲む垣根で、神域と俗界を分ける境界ですね。
    意味としては、畏ろしい(おそろしい)神威の垣根といえど越えてしまおう、といったところ。

    下の句は少し違ってますが、道長の歌「恋しい人の みまく欲しさに」は、恋しい人に一目会う為ならば、でしょう。
    伊勢物語の場合もほとんど同じで、「恋しい人」が「大宮人」になっているだけ。
    伊勢物語は平安初期の、在原業平(超絶イケメンのプレイボーイだったらしい)らしき青年貴族が主人公の歌物語で、この歌は伊勢斎宮に仕える女房が、業平らしきイケメン貴族に一目お会いしたい、と詠ったものらしいです。

    最後の万葉集の歌のみ下句は違っていて、「今は我が名の惜しけくもなし」となっています。
    意味としては、「こうなってしまった今は私の名など惜しいこともない」というもの。

    「名こそ惜しけれ」は源平以降の武士が好んで使うようになったフレーズです、
    「命を惜しむな、名こそ惜しめ」とドラマでも戦場で良く叫んでいる印象が強いです。
    しかし万葉の時代は、女性の決まり文句でした。
    万葉の女性は浮名を流すことを恥としていて、自分の名前が出る事を怖れたんですね。
    その万葉の女性が「神の垣根さえ乗り越えよう、今となっては私の名など惜しくない」と言い切れる激しい恋の歌が「千葉破神之伊垣毛可越今者吾名之惜無」なわけです。

    まひろなら当然万葉集も読んでいるでしょうから、この歌に連なる道長から贈られた歌は嬉しいという言葉だけでは言い表せない感慨があるでしょう。

    ただ、二人の恋には月のイメージが付き纏うんですよね。
    初回タイトルからして「約束の月」でしたしねぇ。

  • ユーミ

    ユーミ

    2024/02/18 13:23:28

    更に追加。

    漢詩については、披露された4つの漢詩は公任以外の3人は皆、白楽天の漢詩です。
    白楽天は平安貴族にとって憧れの詩人で大人気だったそうです。
    李白(りはく)や杜甫(とほ)よりも人気の点では上だったかも。

    公任のみ彼自身の漢詩集『本朝麗藻」に収められた漢詩から幾つかピックアップして繋ぎ合わせたものらしいです。
    そのため、前半と後半では少し趣が違っていたんですね。
    今上天皇(花山天皇)への忠節と自身の政治への意欲を、漢詩会の主催者藤原道隆へアピールする形になっていました。
    道隆もそれが分かったからこそ、公任を称賛したのでしょうね。

    藤原行成の詩は、白楽天の「獨酌憶微之」。白楽天が親友元微之(げんびし)を思っての詩だそうです。
    藤原斉信の詩は、同じく白楽天の「花下自勧酒」。白楽天が官職が欲しい、と結構焦っていた時の詩だとかで、妹である弘徽殿の女御が病臥しているにも関わらず帝に自分を推挙してくれ、と迫っていた斉信が選ぶに相応しい詩です。

    道長が選んだのも白楽天の「禁中九日 対菊花酒憶元九」で、行成のものと同じく本来は親友元微之を思っての詩ですが、ドラマでは」もろにまひろへの恋詩になってました。

    賜酒盈杯誰共持 宮花滿把獨相思 相思只傍花邊立 盡日吟君詠菊詩
    賜酒 杯に盈つれども、誰と共にか持らん、宮花 把に満ちて 獨り相思ふ。相思うて 只だ花邊に傍ひて立ち、盡日 君が菊を詠ぜし詩を吟ず。

    キーワードは「菊」です。重要なのは花としての「きく」ではなく音としての「きく」

    ドラマ冒頭、まひろが角盥の水面に映った月を眺め道長を想いながら水面の月を掬って顔を洗ってましたよね。
    水面の月を掬う、これを「掬月(きくづき)」と言います。

    道長はまひろが水面の月を掬って顔を洗っていたことなど知る由もありませんが、脚本の大石さんは「菊(きく)」と「掬(きく)」を掛けるために道長に「禁中九日 対菊花酒憶元九」を詠ませたのかもしれません。

    道長がまひろに贈った歌は、「ちはやぶる 神の斎垣も 越えぬべし 恋しき人の みまく欲しさに」

    伊勢物語には「ちはやぶる 神の斎垣も 越えぬべし 大宮人の みまく欲しさに」という歌があります。
    更に万葉集には「千葉破神之伊垣毛可越今者吾名之惜無(ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし今は我が名の惜しけくもなし)」という詠み人知らずの詩が。

  • ユーミ

    ユーミ

    2024/02/16 22:27:42

    追加です。

    「光る君へ」は何の予備知識もなくのほほんと観ていても十分に面白いのですが、今回の第6回「二人の才女」で確信しました。
    源氏物語だけでなく、様々な古典文学について知っていれば作品の魅力をより一層感じ取れます。
    今回で言えば、ドラマ中に名前が出た「蜻蛉日記」の他に「伊勢物語」「万葉集」、漢詩の方で言えば白楽天(白居易)。
    今後も色々増えそうな予感。

    個人的に古典は非常に苦手なので、初回視聴は何も考えずに気楽に観て、その後調べまくってNHK+で再視聴しなければいけないなぁ、と思う次第です。

  • ユーミ

    ユーミ

    2024/02/14 17:11:40

    踏襲していると言った方が適切かと。

    平安中期は医療未発達で早死にする人も多かったですが、長命の人も結構いました。
    斉信も68歳まで生きてますし、藤原公任は75歳の長寿。
    道長の嫡妻になる源倫子は89歳、倫子の母の藤原穆子も85歳までと長生き。
    道長と倫子の娘の藤原彰子も86歳まで生きるので、長命の人は90歳近くまで生きてますね。
    ですから「三十路で人生、三分の一」もあながち間違いではなさそうです。

    ところで、前々から気になってましたがビッグネームって?
    後々有名になる人は多いと思いますけど。
    「独眼竜」の渡辺謙さんとかね。
    芸達者なベテランの出演は多いと思いますが。

  • ユーミ

    ユーミ

    2024/02/14 16:45:03

    「蜻蛉日記」に限らず、当時の人が書く日記は他人が読むことを前提として書かれています。
    蜻蛉日記然り、更級日記然り。他に土佐日記もありますし、紫式部日記に和泉式部日記、藤原道長の御堂関白記、藤原実資の小右記も然り。
    とはいえ、蜻蛉日記を現代の愛人の暴露文と同列に語るのは如何なものかと。
    蜻蛉日記の著者藤原道隆母は藤原兼家の妾妻ですが、愛人とは全く別格ですので、日記を読んで政敵が嘲笑するような事は無かったと思います。

    高階貴子に限らず、当時は夫婦別姓なので結婚しても姓は変わりません。
    後の時代の北条政子も、源頼朝と結婚したからといって源政子にはなっていません。彼女は平政子です。北条氏の本姓が自称であっても平ですので。
    そもそも夫婦同姓は明治以降の事。

    「光る君へ」6話ラストで弘徽殿の女御藤原忯子(よしこ/しし)が亡くなりました。
    ドラマでは阿部晴明の呪詛の効果、という事になりそうですが実際の死因は不明です。
    演出は妊娠中毒症ともとれる表現でしたけど。
    妊娠中期から後期に発生しやすいとされる症候群なので、実際にありえたかもしれないですね。

    花山天皇は忯子の死を嘆き悲しんで結局出家するわけですが、出家してからも女狂いは変わらず、後々忯子の妹を寵愛します。
    そこからまた長徳の変という事件が起こるのですが、そこはドラマでしっかり描かれるんじゃないでしょうか。この事件は道長も無関係ではありませんので(直接には関わっていないと思いますが影響は大きいです)。

    ファーストサマーウイカさんは、枕草子から想起出来る清少納言のイメージから外れてないな、という感想しかないです。存じ上げない方なので。
    紫式部と清少納言は宮中への出仕時期が食い違っているので、宮中で顔を合わせたことは無いというのが史実だと思いますが、両者の父親が同じ学者同士という事でドラマの如く私的な対面機会が無かったとは言い切れません。
    とはいえ、清少納言と赤染衛門や藤原斉信(ただのぶ)との歌のやり取りがあった記録はありますが紫式部とは無いようなので、もし面識があったとしても親しくは無かったでしょうね。
    紫式部は紫式部日記の中で、清少納言の事をぼろっくそに酷評してますし。

    漢詩回は、出席者が作った漢詩を一流と言われる学者が評価する形式で、学者にとって重要な収入源でした。笑点に似ているのではなく、笑点がこの形式を

  • ユーミ

    ユーミ

    2024/02/14 15:37:21

    こんにちは^^

    都にも平氏はいると思いますが、そもそも平氏って源氏に較べて少ないんですよね。
    桓武平氏を含めて4系統しか無いはず。
    対して源氏は、有名な清和源氏を筆頭に21系統ありますので。
    臣籍降下する皇族は、大体源姓を賜姓されている様に思います。

    少ない平氏のうち伊勢に根付いた者が伊勢平氏で、後に台頭する平清盛はこの伊勢平氏の出ですね。
    関東に根付いたのが坂東平氏なんですが、平将門の乱で将門を討った平貞盛が勢力を伸ばしたものの、貞盛の子孫がまた反乱を起こして(将門の乱より遥かに小規模だったらしいですが)、今度は源氏が討伐に来てそのまま関東で勢力を伸ばし、平氏は源氏の家人になることになってしまったらしいです。
    ですから、「光る君へ」の時代、都に勢力を持つ平氏はあまりいなかったかもしれませんね。
    ドラマでは、藤原兼家の家司(けいし/いえのつかさ)に平惟仲がいますが。

    赤染衛門の歌を詠むイントネーションですが、そもそも当時のイントネーションが不明ですので何とも言い難いものがあります。
    現代の百人一首の読み上げ方が、必ずしも当時のままとは限りませんし。

    根本的な事として、平安時代の話し言葉は現代に残っていませんので、どのような言葉を話していたか、それがどのようなイントネーションだったか、全くわかっていないのだ、という事を念頭に置いておくべきです。
    「~でおじゃる」とか「~でおじゃります」などの所謂おじゃる言葉は、江戸時代初期の歌舞伎で用いられる様になってから公家言葉だと思われてますが、室町時代には都の町人を含めて一般的に使われてました。
    ただ江戸時代初期には既にあまり使われる事のない古風な言葉遣いになっていたため、芝居の中で公家言葉として採用されたわけです。
    実際の公家言葉を使ったら、芝居の観客には多分意味不明ですから。

    今作は平安時代の貴族社会がメインの舞台ですので、従来イメージの公家言葉(おじゃる言葉に限りません)を採用したら、多分かなりウザいです。
    現代的セリフ、イントネーションは視聴者にとって分かり易くて良いと思いますけどね。
    今作の事ではないですが、「鎌倉殿~」での時政パパの「首チョンパじゃね~か~」は面白かったですし。

  • ストレイソルジャ

    ストレイソルジャ

    2024/02/12 01:08:12

    こんばんは♪
    6時間もの雪かき大変でしたね、お疲れ様です(o*。_。)oペコッ
    今年の大河、放送前宣伝時から知らん役者が多くて見たり見なかったりなのですがw
    昨夜はたまたま見てました 台詞とか言い回しがなんとも…(;^_^A 
    NHKも若い層の視聴者増やしたいのかしらんと勘ぐっちゃいましたw