老樹哲学者
朝の目覚め。寝床の中から、外の様子を眺める。辺りが、明るくなり始めていた。私は、いつものように、自己流瞑想法を試みてから起床する。窓から、東側の風景を展望。丁度、山際を橙色に染めながら太陽が顔を出すところだ。
こちら側は、なだらかな斜面に成っている。窓から望める直ぐのところに、お蝶が、この森に滞在する時、親しく深い話をする樹齢1500年の老クスノキが居る。勿論、私も、ここに住み始めてからというもの、彼との対話は、毎日の密かな楽しみだ。何故ならば、気持の合う、心の許せる、相手(汝、貴方)であるから。
私は、窓を開いて、(おはよう御座います。今日も宜しくお願いします)と、挨拶した。彼からも[こちらこそ宜しく]と、言葉が返って来る。この山で命を生きる者たちは、誰でも、彼のことを★老樹哲学者★と呼び、活きる上で、悩んだり苦しんだりするときには、ここにやって来ては、話を聴いてもらうのを常としてきた。
彼は、☆我々が生き存在する☆、という意味を、追求して止まない。それは、1500年も生きて来たからだろう。あらゆる生命の生き様、数えられない程の人災、天災を実際に体験してきた事の証明。混乱の極みとも言える、この世の様々な現象は、彼の目にどのように映っているか?。私は、今まで、深い見識を、折に触れて聞きながら、様々な事について学んできた。
なによりも、彼と交わす会話が、楽しいのだ。
私は、窓から、[今日も、後でお邪魔します]と、声を掛ける。彼から、[待ってるよ]と、言葉が。