心
今朝は、良く晴れて、身も心も大気に溶け込んでいくようで軽やかな気分になる。妻と私、それに、シャム猫のチャム、アカスジアゲハのお蝶が、テーブルに揃い、breakfastの最中。窓から見渡せる庭の樹木達も、気持良さそうな表情。
私共は、いつものように、自家製のコーヒー、トースト、惣菜を混じえた果物。チャムには、北欧(スエーデン)製の、ネコ食。お蝶には、林の中に設置したミツバチの巣箱から頂いた蜂蜜。それに、森の楓から頂いたメープルシロップを数滴。それぞれが、思い思いに、朝食を楽しんでいる中、お蝶が、徐ろに、私に話し掛けた。
お蝶 (今朝の私は、気持が沈んでいます。心が
晴れません。私の心って、一緒に悲しん
んだり喜んだりしている心って、何処に
に居るのかしら)
確かに、今朝のお蝶。どことなく、寂しげである。ふだんから、すごく陽気、と言うわけでもないが、何時になく、口数が少ない。勿論彼女は、この初夏に、新たな命(卵)を産んだ後、生涯を終える運命に在る。
そのことを思うと、メランコリーになるのは、理解できる。それにしても、今朝の様子、いつもに比べると、少し、おかしいぞ。
私 (今朝のお蝶、ドコか物思いに沈んでいる
様子だったけれど、そんな事を考えてた
んだ。考えてみると、ホントに不思議)
食事の後も、お蝶と私の対話は続いた。私とて、生命が生きて在る理由を、明確に分かり、理解しているわけではない。マダマダ未熟者である。それで、お互いに感じたままを、常識に囚われずに話し合おうと、考えたのである。
☆私のはなし☆
確かに、心は何処に有るのだろうか?。その姿は、私達には見えない。でも、考えてみると、我々の周りには、いくつもの、心に似たようなことがある。例えば、今、こうして生きている自分だってそうだし、気持、感情、理性、思考、こんな感じ、と言ったこと柄は、同じように目には見えない。それならば、それらはいったい、何処に在るんだろう。
しかし、目には見えないけれど、確かに、それらの事柄は、存在している。何故ならば、朝起きてから寝るまで、いや、夢の中でさえ、常に、私達の側に居て、一瞬たりとも離れる事が無い。言い換えると、それ無くしては、生きてはいけない空気の様な存在だ。それは、非常に難しい問題だから、又、後日話そう。
今は、何処に居るか、という場所の問題に絞ろう。多分、今、お蝶は、心は自分の中にある、と、思っているのだろう。しかし、ここは少し視点を変えて、心(宇宙)の中に、自分が居る、と、感じてみてはどうだろう。
私はここ迄話し、お蝶の瞳を正面から身据え、改めて、語り掛けた。
☆少しは明るい気持ちになってきたかい!。心が、大きく感じられると思うんだよね!☆
そして、付け加える。
☆心は、いつも、常に明るく元気で沈まない。
われわれは、そのことを、つい忘れてしまう☆