かきくけこのブログ。

かきくけこ

かわいいかわいいと、かわいい連呼するブログ。読めばかわいいがゲシュタルト崩壊することうけあい。

セイコーマートで惨劇、コンビニ3人死傷

日記

コンビニ店員さんは出社拒否したくなる激鬱ニュースですよね。コンビニ行く私たちも行きたくなくなるような。

 今朝のニュースで偶然通りがかった目撃者の証言で、「一体何が起こってるのか、最初理解できなかった、なんだろう、と思った。」というコメントが、すごくリアルだな~と思いました。仏教の親鸞聖人が、「悪人正機、いわんや悪人をや」等と言ったという意味がよくわからなかったんだけど、最近親鸞聖人は悪人の凄さ、頭の回転の良さをよく観察していたのだと考えました。
 コンビニで人が殺傷されてる…という現実に自分の目の前で起こるなんて考えないですから、そういう事件現場にたまたま偶然通りかかったら、普通の人は、目の前で血が流れてても「え…???何これ????え???」という感じで、逃げるとか身を守るどころか犯罪を疑うとかそういう考えにも及ばないし、まず最初に「殺人が行われてる」とかそういう考えに行きつかないんだと思います。当然…っていうか、ま、そうですよね。
 善人は、本当に人が死んでる事件なんかを目の当たりにしても「これ?何?」とぽか~~~~ん、としてしまうというか、犯罪に対してされるがままというか、この事件で死んでしまった人も、「まさか今日自分刺される」と思わない、人が包丁もってると思わないです。でも悪人のほうではそうじゃなくて、包丁持って犯罪をとげてしまう。善人というのは、悪人に簡単に殺されてしまう弱い生き物というか、仕事なんかほっぽって、事件現場から逃げる事もできないのが、善人という気がする。そんな悪に対して、刺されるがままというか…。目の前でそれが起こってて、逃げるべき立場の通行人も、「え、何が何だか理解できない…????」となるというか。そういうぽか~~~~~~~~ん、という思考ストップ状態になるのが、善人という気がして。そういう感じが自分にもすごくあるので、あとあとになって、「ああ、あの時逃げていれば、あの時もっと早く気づいていれば」って、きっと被害者はずっと思うんですよね。PTSD状態っていうか。悪人が刑務所で無事生きて、 善人は死んでしまうというのを、1000年単位くらいの人間のしょうがない営みという大きな視点で考えたら、生物として強い弱いで言ったら、長生きした悪人のほうが、生物としては強かったという事になるのかという気がする。それに対して、善人は何も防衛できず、悪人が包丁もって襲撃する事に何もできず死んでいくのかと思うと、やりきれません。でも現実、そういう事が起こってしまうのが、この厳しい厳しい、おそろしい現実世界という事なのでしょうか。恐ろしいですね。安心したい。どうやって安心して生きたらいいんですかね。
 一度、私を産んだ母が、「お前は悪人にすらなれない」と言ったので、誉め言葉かな~とずっと思ってたんですが、悪人にすらなれないというのは、高度な知的嫌味というか、悪人のほうが頭がいいというのが、世間の常識という事を親が教えてくれたのかと最近改めて感じました。実際、殆どの事について、悪人のほうが能動的で、善人はぽか~~~~~~~んと口を開けて被害にあって泣くだけ、というこの現実を生きていて、悪人になりたい…と思う事がある。なんでそんな犯罪をしてしまうんだろう?どうしてコンビニだったんだろう?という理解をしたいというか。そういう理解が防衛なんじゃ?という気がするというか。悪人のほうが行動力とかある。普通やっちまおうかと思ってもためらう。頭がいいからなのか、本当にやろうと計画したら計画どおりに事件をおこせるのが悪人なんだな~とおもうと、「今日スーパーでこれかお」と思ってたのに、家に帰ったら、「あ、あれ買おうとしてたのに、違うの買って帰っちゃった」と思ってる計画力のない自分は、悪人の計画力と実行力というのは、なんでいい方向に使われなかったのかな~と思います。自分の安全のため、善人こそ悪人のしてる事を、動機や理由や経緯など、よくよく勉強しておくべきな気がして、こういうニュースがあるとほんとに怖いなという気がするからずっと話題にしてみたくなる。人の命を奪う人が悪いという当たり前のイメージが覆るほどこの悪人には同情するべき事情があるのかもしれないとか、そういう事も含めて、どうしてコンビニを人が襲撃するのかという理由は、調べつくしたい感じがします。にしても、コンビニで働くって、死ぬかもしれない命がけの仕事だったんですねぇ。警察と同じように拳銃とか持たせてもいいんじゃないのかしら。拳銃じゃなくても、防犯催涙スプレーとか。そういうのがあったら、もしかしたら誰も死なずに罪も軽くですんだかもしれない。防犯意識が無いっていう客を疑わない善人的な経営が、美しい魂の経営が被害にあって死者を出してしまうという悲しい矛盾がやるせない。善人すぎるという善人が、実は悪人を、もっとさらに深い悪にしてるとう可能性が、あるかもしれないんだよなぁ。