転機
満州事変自体は、関東軍の謀略であったことが明らかにされています。
日本側のマッチポンプではじめられた事にはちがいありません。
ただ、それまでの流れとして、中国(共産党ではなく蔣介石)の
ちょっかいや暗殺行為、いざこざが絶えなかったという事実を
無視してはなりません。本来、日本本国が何らかの手を打つべきでしたが
ご当地の関東軍が治安維持に動かざるを得なかった。というのが
日本側から語る歴史観として正当でしょう。
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まぎらわしいので書いておきます。
やがて、共産党は蔣介石を追い出し、いまの「中国」とよばれる「国??」が
成立したのは(したことにしたのは)1949年、戦後です。
ちなみに追い出された蒋介石は、原住民のいる隣の島国の総統となりました。
それが中華民国、いまでいう台湾です。
日本が敗戦したことによる振り分け上、中華民国(蒋介石がわ)は
国連では戦勝国(常任理事国)という扱いでした。
そののち毛沢東の「中国」が出てきて・・・
「台湾もオレも、一つの中国!!!」と言い出し・・・・
戦勝国(常任理事国)側としておさまっているわけです。
・・・おかしいでしょ?
なぜ?このようにおかしなことが通るのか?
については、また、書きます・・。
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当時、中国はただの「地域」であり、国としては成り立っていませんでした。
あまりに広い、人の多いこの「地域」はそこでどうやって儲けようか?
という下心に燃えた者たちの、絶好のフロンティアだったのです。
地続きの大陸であった特殊性から、「中国地域」の人の中には
欧州(さらには世界)に飛び回り、うまく立ち回って生き抜く
術をもった人々がいました。
彼らには、それこそ特定の祖国はなく、多数語を話し、行った先々で
上手い具合に合わせていく能力、を身に着けていきました。
ざっくりというと「華僑」の人達です。
彼らの行動原理は、端的に言って「立ち回り」です。
そして、心情的には「ファミリーは守る」です。
彼らは、米国で何をしたか?