ぴのぴののなんでも日記

ぴのぴの

こどもの頃から日記は大嫌い。夏休み・冬休みの日記も最終日に書いたなあ。書き込み、カテゴリ少ないけど、どこでも大歓迎です。リアル記録をここに残してます。

『光る君へ 第10回』やっと見終わったとこです。

テレビ

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  全身、チカラが入りませーん。週末不在分のドラマ、映画のたまり方が尋常じゃないー。今月は決算だし、挨拶回りも引継ぎもきついですー。

 では観たばかりの「光る君へ 第10回」の考察です。

  • ・もう「占い用語」はなんとなくでスルーにします。
  •  28のていしゅくをおかす とか
  • ・梅壺の東宮??東宮って次期天皇のいるとこ??
  • うーーむ、そもそも「壺」とは?
・道兼が道長に最後に言った「道隆はそちら側だ。」これ、結構キーだけど、くやしい意味深でわからないーー。

  • ・「和歌」と「漢詩」の文通ゴッコの尺がたるくなってきたなあ。引用ばっかだし、読みの探り合いは好かん。ボンボン駄々っ子と女性政治家たまごのやりとり・・・。
  • ・為時、いつの世でも無断欠勤はまずいっしょ。
・先週の予告編のラストシーンはこれだった・・・。これが最後で最終回まで引っ張るのかあ。きっつー。

・明子「女王様」??どういう称号??卑弥呼も女王??ちがうよなー。

・「神器」?「神璽」?「剣璽」?なんか、ごっちゃに使ってない?
三種の神器なら、運んだ包みは3つでは?プラス玉璽なら4つでは?

・なんで貴族が「夜目が効く」んだよー。そんな訓練してないっしょ。マタギでもあるまいし。

・「せんそ」?、「古刹」?はスルーでいいのかな?

 今度の予告編にもまだ花山天皇が出てるってことは、反撃の騒動がある?
 ロバート秋山は長生きしてるから、復活にはだれかのバックアップがいるよね。
                     かな?
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  • laing

    laing

    2024/03/17 08:45:53

    スタートの時点でセックス・アンド・バイオレンスが
    テーマの大河です!と脚本家が言ってたようなので、
    そこそこ覚悟はしていたものの、観ていて恥ずかしいものが。。

    それにしても花山天皇が可哀想過ぎ・・・
    悲しすぎてここでコメントを書くのもつらかったです。
    兼家の野望には本当に呆れます。

    花山天皇でもう一波乱ありそうですが、
    どうなるのかな。

  • ユーミ

    ユーミ

    2024/03/14 23:31:35

    追加です。

    和歌と漢詩の往復は、その後の濃厚な月夜の逢瀬をより深いものにする為に必須だったと思いますので、ダルがらずに是非調べてみてください。

    さて、道隆と道綱が運んでいたのは、「剣璽」と「鏡」のみです。
    道隆が運んでいたものが「剣璽」で草薙剣と八尺瓊勾玉を一包みにしたもの。道綱が運んでいたものが八咫鏡です。

    「玉璽」とは、皇帝が使用する「璽」つまり印章の事ですね。日本の天皇の場合は「御璽」と言います。
    三種の神器は剣と勾玉と鏡ですので、御璽は含まれません。

  • ユーミ

    ユーミ

    2024/03/14 15:51:24

    当時の明かりは、貴族であっても高灯台が一般的。高灯台とは高い柱等に取り付けた灯台の事で、手元を照らすものは高坏(たかつき)灯台がありました。
    いずれも燃料は油ですが、何からの油かははっきりしません。
    胡麻か荏胡麻か椿油か麻の実油か、そのあたりでしょう。
    蠟燭は、7世紀には唐から伝わり寺社等で使われていたと言いますが、894年に遣唐使が廃止されると蝋燭の輸入も途絶え、ドラマの時点では貴族の屋敷でも内裏でも蝋燭は使っていなかったと思いますので、夜は非常に暗かった筈。貴族といえども夜目が効くようになっても何ら不思議は無いと思います。
    ただイメージ的はちょっと…と感じられはします。

    「践祚(せんそ)」は天子(天皇)の位を継承する事で、先帝の崩御または譲位によって行われます。
    「即位」と凡そ同義ですが、「即位」は帝位に就いた事を天下万民に知らしめる儀式。

    「古刹」は長い歴史を持つ由緒ある古い寺院の事です。古さの基準は特にありません。
    由緒ある寺院は往々にして多くの人に知られている有名な寺院である事から「名刹」とも呼ばれますね。

    出家した花山天皇の復権はありません。
    歴史上、重祚(ちょうそ)した天皇はいますが、出家してから重祚した例は皆無です。

  • ユーミ

    ユーミ

    2024/03/14 15:23:05

    花山天皇を退位に追い込む謀略は、当時としても非合法、下手をすれば大逆。
    謀略が成功すれば、長男の道隆は兼家の後継者として栄華を手に出来ますが、万が一失敗すれば兼家と共に失脚し破滅します。
    「そちら側」とはそうう意味である、と解釈しました。
    右大臣家の企みで色々と泥を被るのは道兼の役目。道隆と道長は綺麗な表の道を歩いていますが、いざ事が失敗した場合は、表を歩いていた道隆も泥を被っていた道兼と同じになる、という事ですね。
    ドラマにおける兼家は、自分と同じ三男である道長の事がもしかしたら一番可愛いのかも、という気がしました。
    兼家にとって、天皇引き降ろしの企みはのるかそるかの大博打。成功すれば良し、万が一失敗した場合も道長だけは生き延びさせようと思っていたのかな、と。
    ただその三男さん、右大臣家も藤原も捨てる気満々でしたけど。
    実際の心境がどのようなものだったのかは、何の記録も残っていませんので想像すら出来ませんが。

    和歌と漢詩のやり取りは、私は面白かったです。
    調べてみると色々と奥が深い。学生時代は漢文はともかく古文は苦手で和歌も好きではありませんでしたが(小倉百人一首は全首暗記しましたが)、歳を経た今は中々興味深く感じられます。
    まぁ、上級貴族のボンボンでロマンティストな道長と、貧乏育ちの中下級貴族でリアリストなまひろ、という対比の妙もありました。

    為時は、無断欠勤はしていない筈。本宅に帰らなかっただけで。おそらく、高倉の女性のもとから内裏に通っていたのでしょう。

    源明子「女王」の「女王」は所謂クイーンを意味するものではなく、女性皇族の継承です。
    明子は醍醐天皇の孫なので二世女王、父親の源高明(たかあきら)は一世王になります。
    左大臣源雅信は宇多天皇の孫なので二世王、娘の倫子は三世孫なので倫子女王と呼ばれてもおかしくは無い筈ですが、倫子女王という記述は見た事がありません。
    現在の皇族では、高円宮家に承子女王がいらっしゃるのみですね。
    「王」「女王」は五世孫まで名乗れます。
    「(内)親王」は、現行の皇室典範では天皇から見て二親等以内であれば「(内)親王」ですが、皇室典範が定められる以前は「(内)親王宣下」を受けた者のみが「(内)親王」を名乗れました。

    「夜目が効く」
    貴族でそれはどうなの? と思わなくはありませんが、平安時代の人は現代人より遥かに夜目が効いた筈。

  • ユーミ

    ユーミ

    2024/03/14 14:35:24

    こんにちは^^

    今回は、NHKさん、そこまでやっちゃう? なシーンに驚かされ(テレビ画面に向かって「え~!」「きゃ~」と叫んだのは超久しぶり。何時以来か定かではないくらい)、寛和の変は凡そ大鏡の記載通りか、と納得した回でありました。道兼が大鏡の記述よりえげつなかったですけど。

    6月23日は、歳星が28宿の氐宿(ていしゅく)を犯す日。
    歳星は木星の事。
    氐宿は東方青龍七宿の第三宿
    これは天秤座α星の事で、太陽系から天秤座方向78光年の、少なくとも四つの恒星からなる多重連星系です。
    まぁ、平安時代には多重連星系などとはわかりませんので一つの星として見ていたのでしょう。
    12年に一度の天秤座α星の木星食、ということですね。12年に一度なのは、勿論木星の公転軌道が約12年だからです。
    安倍晴明が司る天文道は一応天文学なのですが、内容はほぼ占星術。そのため、誰にとっても良い日とか運気最大とかの言葉に繋がるんですね。
    ちなみに28宿は、東洋版ホロスコープと解釈して良いかと思います。

    梅壺は内裏の後宮である七殿五舎の一つ、凝花舎(ぎょうかしゃ)の別名。庭に紅白の梅が植えられている為、梅壺とも呼ばれました。
    円融天皇の時代、藤原詮子がこの梅壺を賜っており彼女は梅壺の女御とも呼ばれていました。
    東宮とは皇太子を意味します。春宮と書いて「とうぐう」と呼ぶ事もありますね。
    概ね紫宸殿の東に位置する殿舎を賜る事が多いですが、絶対というわけではありません。
    寛和の変の6月23日以前に、東三条殿が南院を除いて火事で焼失しましたので(ドラマでは省略)、詮子は東宮の懐仁親王と共に内裏の梅壺に移っていましたので、そこに「剣璽」と「八咫鏡」を移動させたわけです。

    「剣璽」とは剣と璽、つまり草薙剣と八尺瓊勾玉の事で併せて「剣璽」と呼びますが、三種の神器の別称でもあります。
    「剣璽」は一つに纏められてますので、運んだ包みは2個で正解。
    平成の天皇陛下(現上皇様)、今上陛下の剣璽等承継の儀が宮中正殿松の間で執り行われた際にも、運ばれてきたのは二つの包みでした。ニュースで放送していたと思いますが。
    あと、八尺瓊勾玉は皇居にあるものが実物ですが、剣と鏡は御形代(おかたしろ)で本物が熱田神宮と伊勢神宮内宮に祀られている事はご存じだと思います。