ゲシュ崩ログ 408 ファッション陰キャ
ひと昔前は、自分で自分のことを「自分はオタクです~」というのは、ロリコン犯罪者です~というのとほぼ同義で、「オタク」って言うと「ひっ…だめだよ、近寄っちゃ異常者だよ…」みたいな感じで、オタクイコール絶対に犯罪者みたいな雰囲気があった時代もあった。現代の人にはもうなじみのない、悲惨な事件があったから。
でも、時代は変わるという事なのだろうか。オタクっていうのも、現代はずいぶん軟派なものになってきた。現代では「漫画が好きなんです、アニメが好きなんです」と、大人になっても平然と言ってもおかしくないみたい。人昔前の大人が聞いたら「え~いい年して子供の見るアニメみてて大丈夫?」という事になっておばちゃんの井戸端会議のやり玉にあげられていたような気がする。
でも当然ながら、昔のオタクが犯罪者で、今はそうじゃないという事ではない。オタクというのは本来どっちかといえば草食系の人畜無害な連中ともいえる。ほんの一握りというか、一人とかそういうゼロコンマの確立で存在するおかしな人のせいで、オタク全体が暴力的でロリコンで異常執着者の殺人鬼みたいなあいまいなイメージが無いこともなかった。だから今の若い人は想像できないかもしれないけれど、昔のオタクには「会社でオタクってバレないようにしよう」と、陽キャを演じるという人もいた。簡単に「漫画が好き」と言うと、大変体裁が悪かったのだ。誰しも、「ちょっと性格が悪い」と思われるのはよくても、「犯罪者的な人」みたいなあらぬ嫌疑を養いたくない。
なので実は人見知りで内向的なのに、社会では陽キャを演じる痛いやつ、みたいなのがでてくるわけだけど、それはまぁ、多かれ少なかれ社会的動物の人間の健全な状態ともいえる。
ファッション陰キャ
しかし、現代では逆転現象が起こる。陽キャを一生懸命演じるオタクがいたのに、近頃では、オタクはずいぶん出来た凄い人もいっぱいいるという素晴らしい時代になったために、「自分はオタクで、陰キャです~、陽キャなんてそんなんじゃないです~アニメも好きだしー」と、自分を堂々と陰湿でオタクといいのたまう女が出たのだ。(あ、女でもないんだけど)
これはもう、ガチガチの陰キャにとって、激しい怒りと混乱と正気を疑う行為なんですよねぇ~。え、自分の局部をわざわざ人に公表してるよこの人…みたいなレベルで正気を疑うというか。それはもう、オープンマインドの陽キャだよ?と、陰キャレベル日本髄随一な私は、自分自身のことを陰キャです~とか言える人が、すごく外交的でオタク的ではないよ…?と思ったりするんですよね。
それはもう、ファッション陰キャだ…と。
昔は、ユニクロといえばダサイというイメージだったんだよ?という人がいた。私が生まれて意識を獲得したころには、ユニクロはとってもナチュラルで落ち着いたトーンの服屋でダサイというイメージは無いんだけど?と思ってた。そういう感じで、時代が変わるとその時代が醸成するイメージも変わる。
大昔はオタクというと社会のスケープゴート的な化け物不名誉で陰湿な事件性を帯びたイメージがあったわけだけど、自己紹介で「自分は陰キャオタクだよ~」と、ひと昔前の人が聞いたら卒倒しそうな事は、電話で直接話すのは苦手で、ラインのほうがコミニケーション好き、くらいの内向的さを説明するくらいのバランスで、使用されている気がする。
だから、陰キャとかオタクというのもアップグレード必要なんじゃないかなとちょっと思うんですよね。
陰キャなのに「ねぇごはん行こう~」って平然と人に誘いをだせるやつはけして陰キャではない。それは絶対そう。少なくとも陰キャではない。ファッション陰キャである。陰キャはそんな勝ち組実は陰キャじゃないファッション陰キャのその上っ面の良さに、激しく嫉妬し、うらやむのである。そんな私みたいなじめじめして陰湿な「お前め~…」という、紫式部が納言をねたんでファッション陰キャの実は陽気前向き思考のさっぱりした明るい性格について、日記を書いたうような、そんな日記をかくようなやつが、本当の本当の陰キャである。今の私のように。
願わくば、私の事を「いやいやあなたより私のほうが陰キャですよ」と言ってもらえると嬉しいというか、不幸の手紙をようやく書き終えた気分になれるんだけども、私より陰キャな人に私はまだ人生で出会った事がないので、ほんとに自分が自分で嫌になる。隠れたい。暗くて誰にもみつからない場所に…。という感じの、闇へ闇へと向かうような私のこの傾向からいうと、「ね~ごはんいこ~」と気軽に言えるようなやつが、自らを陰キャと称することに、腑に落ちないざわめきを覚えるのだった。やっぱり私の性格は、どっちかといえば紫式部さんのほうの人なんだろうな。
子供と話してたりすると、子供の明るさにすくわれます。