こんな自分でも、恵まれていたのか?と思う瞬間。
自分は幸せですよ~って、あんまり人は言わない気がする。まぁ普通は「しょーもないっしょ」とか「こんな自分なんて」みたいなのが普通で、よっぽどセレブとか一部のパリピとか芸能人とかしか、自分は恵まれてますよ~って言う人いないのかな?と思ってました。
でもまぁ、恵まれているかどうかって、考え方次第ですよね。一応生きているというだけでも、恵まれているといえるし。そんな低いプライド恥ずかしいって思うような高貴な人もいるでしょうから、意識高い人立派な人ほど、自分はそんな幸せすぎる人では無いでしょうと奥ゆかしくなるのかな~という気がします。
そういった事を踏まえたうえで、今日私は、「自分って恵まれてたのかもな~」という気がしてきました。そう。私は低いプライドで生きているので。そういう考えには結構簡単に染まります。「自分はダメだ、もっと上を目指さなくちゃ、まだまだ」という向上心は大切ですよね。もう満足です~って言っちゃたらもう終わり、終了…って感じがします。そうと踏まえたうえで、今日、私は、まぁ自分は恵まれてたのかな~とも考えてしまいました。いい事ですよね…(#^.^#)?
恵まれていたのかと思う理由
生きてるだけでも幸せでしょうという考え方でいけば全人類の生存してる人は恵まれてるという事だよね~ともなるんですけど、私が「自分って恵まれてたのかな」と思った理由は、ピーチガールっていう少女漫画のアニメ見たから。このアニメに、少女漫画至上でも希代の悪女、さえちゃんという少女が登場するんですよね。このさえちゃんが嘘、欺き、権謀術数を駆使し、主人公たちを困らせる。その時、登場人物がこういう事を言う。「とーじはさえちゃんみたいな人、まわりに今までいなかったでしょ?家族や友達に、恵まれていたんだね~」っていうんですよね。
さえちゃんみたいな人は周りにいなかった。
まぁ、友達っていうほど友達がいっぱいいなかったというだけの理由ですけど、私はこのピーチガールの悪女さえちゃんみたいな人に、今まで出会ったことがなかったんで、こんな人は漫画の中で作者がおもしろおかしく描いた架空の人物だと思っていたんですよね。でも実際、世の中には本当にいるこんな人~というコメントも多くて、さえちゃん系の恐ろしい悪女が、自分の周りにいなかったら、それは恵まれているという事なんだという、漫画の中のセリフがグサ~~~~~~と刺さりました。私って、恵まれてたのか????さえちゃんみたいな人が、周囲にいなかったという事が、恵まれていたという事なのか????という衝撃の事実が。
面倒見のいいひとはさえちゃんを裏切らない気がする
でも、このピーチガールの中で、一番さえちゃんを気にして、一番さえちゃんをなんだかんだ支えて、一番さえちゃんを近くにおいていたのは、主人公のモモちゃんであって、さえちゃんみたいな人を友達に持ってる人は一番の主人公で、一番の性格のいいタイプである。さえちゃんあんななのに、モモちゃんは絶対最後までいつまでもなんだかんだ喧嘩して一緒にい続ける。そこに面倒見の良さを感じる。モモちゃんは主人公で、一番さえちゃん思いでさえちゃんを隣における懐の深さがあるのだ。
さえちゃんを隣におけない心の狭い私
さえちゃんを隣における心の広いモモちゃん。すごいやばい性格地獄みたいな女の人、身近にいないのが私という存在なんですけども、そんな地獄みたいな性格の女の人を、身近においている女性というのは、ピーチガールの主人公のように性格親分姉御で最高に心デカい女っていう気がする。
恵まれている、心の狭い私たち
という事は、一番世の中苦労するのは、いつもモモちゃんのように心優しく面倒見よく、悪いところも許しつづける人なんだろうか。私みたいに、「そんな人知らない」というつめた~~~~~~い女の人や、モモちゃんのやさしさを利用するような悪魔みたいなさえちゃんみたいな人は、「家族友達に恵まれているんだね」と言われて幸せでいられるんでしょうか。そう考えると、モモちゃんみたいな、悪女や悪友を絶対に裏切らない人って、一番幸せになって欲しい、なる権利がある凄くありがたい存在なんだな~と思ってきました。性格とか頭とかが悪くても、そんな友達を切らない人というのは、本当にかっこいい。漫画の主人公みたいに。いや、漫画の主人公以上にかっこいい。