注意する人は、注意する人にも注意する。
教師をしている人をみて、私が何か言う必要はないといつも思う。針のむしろに座らされているような人に見えることがある。だいたいどこの学校の先生も、保育園の先生も、ママPTAの愚痴のサンドバックにされているからである。
注意ばっかりの先生
子供に対して叱るというのは、教師をしていると常に毎日あると思う。毎日ある事なのに、そのリスクの高さときたら。毎日が失職の危機みたいなものを経験してるのかなと、私から見ると本当に言いたくない事を言う職業で、しかも間違ってないのに正しい事をしているのに、愚痴サンドバックにさらされる職業で、本当にかわいそうな仕事だ。保育園の先生なんか、給料も安くてなんとかKみたいな見本の仕事に見える。
注意ばっかりの先生というのがいて、注意ばっかりしている。それに文句をつけるママがいる。文句をつけるママとしては、子供が学校で委縮している事を心配しているというなら、同感だし、確かに注意ばっかりは心苦しいだろうな。とかは思う。だがまぁ、後後でわかったんだが、注意ばっかりの先生に注意しようと思うママは、三秒に一回「ダメよ」って言うタイプのこれダメ人間だった。全方向に注意しているのだった。
病的な注意癖
ダメダメ言うタイプの親に育てられた子供はどんな人間になるんだろう?という観察を、個人的にしている。個人的にした結果だから、この文章に根拠は弱い。嘘つくなと言われるかもしれない。これは個人的な感想になる。
病的な注意「ダメっダメよ」と否定ばっかりされて育った子供というのは、叱られる事に耐性みたいなのがついている気がする。これはいいのか悪いのか。ちょっとした事でへこたれない強いっていう言い方もできるけれど、叱られる事が日常化していると、普段から怒鳴りつけられているので、大体親の言う事を軽視する傾向があると思う。本当に聞いて欲しい事を「何回いわすんだー」と何度も何度も言わさせるくらい、一度で親の話を素直にきく、という事ができなくなる気がする。
まぁ、なので結果的に親は「きけーーーつ」と怒鳴りたくなる、もっとさらに強い口調でしかりつけて、言う事をきかすという事になると思う。でもそうなるともっとさらに子供は「うっせーーーー」と反発、言う事をきかなくなって…という悪循環が発生している気がする。
結果、どうやって子供は親のいう事を素直にきくのかというと、親のいう事を聞くというより、親がもたらすオモチャやお金なんかを交換条件にされて初めて、自分の快楽を刺激されて初めて親のいう事をきくという頭の回路を作るような気がする。ゲームを交換条件に。アニメーションを交換条件に。おこづかいを交換条件に。素直に親の言う事をきかなくなった子供は、そういう事を交換条件に社会的課題をこなそうとする気がする。キーは、「子供の心の快楽」だと思う。親が言うからそれを聞くというのはほぼ無い気がする。「それが楽しいもの」と子供がそう思えるもの、それの為に、叱られ怒鳴られて育った子供は頑張るという気がする。
まぁ、これは、私が個人的に色々みてそう思っただけなので、絶対こう、というワケじゃない。でも、まぁ、人間も完璧な人なんて一人もいないし、私だってどこかに問題があるわけです。日によってはできない日もあるでしょう。他人事ではない。けして他人事ではない。だからこそ、「何でこの人たちはこうなんだ?」と嘆かわしい人というのは、無視できないものがある。
怒鳴っているほうは愛している、怒鳴られているほうはわからない
怒鳴って注意しているほうは、カワイイから叱る。立派になって欲しいから叱る。礼儀知らずになって欲しくない…強く生きて欲しいから。色んな愛情で叱る。でも、怒鳴られるほうは、どうやらそんなん知ったこっちゃない、むしろまったく知らない。わからないというのが、事実らしい。怒鳴ったら間違いが正しくなる、と思うより以上に、怒鳴るというのは、99パーセントくらいの印象で、子供は「親が理不尽にキレてる」という事しか記憶に残らないようにできているらしく、「何を叱られたか、だから何を直さないといけないのか」みたいな事は、まったく記憶してないらしい。これは私の子供に教えられました。
「もーーーー、これ、してーーーーっ」と私が一回声を荒げたら、子供が
「怒んなくてもいいでしょ~~~~~」と言う。そして、
「怒ったらなんにもわかんなくなる」
って言ったんです。その時私、ハっ、と気づかされました。そうか、怒ったら、その時子供の脳って、ストップになっちゃうんだ?と。怒ったら、「それが悪い事だったんだ」と覚えるんじゃなくて、ガラスがぱり~んと割れてしまうように、因果関係がどうのとか覚えるどころか、子供の心を粉々に砕いて割って、しつけどころか、そういったものを支える子供の健全な純粋なこころを、ぱりーーーーん、と割って死なせる事だったんだ…。と自分がした事を反省しました。
「ごめん…」
とあやまったら、子供はすぐ許してくれました。子供の心を、粉々にするような叱り方をしたのに…と私は自分のしたひどい事に比べ、子供の心のやさしさ広さにいつも驚かされるのです。子供という純粋なまっさらな生き物は、何もかもをゆるす。大人の非道な残酷などんな事も。ゆえに、私は自分がなんてひどい事をしたのかと恥ずかしいばかりでした。子供が素直に私に気持ちを教えてくれなかったら、私はずっと、子供に怒鳴って、怒鳴り続け、子供のやさしい素直な気持ちを跡形もなく残酷に砕き続け、心ない子供に育ててしまったことでしょう。でもそんなつもりは一つもないのです。やっぱり、叱るというのは「立派になって欲しい」という願いだから。でも、「怒鳴らなくてもいい」という子供の、本当に正論すぎる正論に、自分の未熟さに気づかされ、本当にそうだと私は子供に教えられ、感謝しています。
そういう事で、なんだか最近の私は病気か?っていうくらい、マクドナルドのあのピエロみたいに、常に笑っているのが表情になったんですけど。なんかバカみたいですよね。自分でも「ばかみたい」と思う。ちょっとキレて「なにやってんのー」って怒鳴ってるママに私もなりたい。なんか頭よくみえるもん。そういうののほうが。