犬の体温と風
昨晩は、不安定な雨模様。
止むかと思えば、突然の土砂降り。そしてまた小降りにを繰り返す。
雨は、心落ち着くひと時。
空気に交じる雨音と、ひんやりとした水の気配。
雨の日は、車の運転も心地よい。
ワイパーに押し流される雨水。
乱れる光と、流れる景色。
そんな雨も、夜中にはすっかりと上がり、本日は晴れ。
お昼前、行きそびれてすっかりと日が高くなってから、犬の散歩。
公園の中は涼しいのに、コースを外れて町中へ。
暑くて、すぐに舌が出る。
水を飲ませる。
日陰を辿り、黒いアスファルトではなく白いコンクリートの地面を辿りながら、帰宅。
風呂で足をあらって、タオルで拭いて、ついでに顔も拭く。
はい、おしまい。
犬が、なんだかじっとこちらを見ている。
おいでと呼ぶと、体を寄せて来る。
抱き寄せると、犬の体温が心地よい。
ずっと一緒にいられたらいいのにね。
母が死んだのが何年前だったのか、もはや定かではありません。
結局、母の死に涙を流したことは、一度もありませんでした。
父は88歳になり、ひとり実家で過ごしています。
車に乗れば20分の距離。
でも、重い腰を無理やり上げなければ、辿り着くことができません。
父が死んでも、おそらく泣くことはないのだろうと思います。
もしも子供が死んだとしたら、わたしは泣くのだろうか。
泣くことが、できるのか。
自分でも、よく分かりません。
なんであれば、確実にその死に際して涙するのは、犬くんでしょう。
でも、この一年。
叔父を一人、知人を一人、見送りました。
随分と泣いた気がします。
わたしは、今もまだ、家族というものが何なのか、よく分かっていません。
ただ思うことは。
以前も書いたような気がしますが。
自分が死んだら、もう私のことは忘れて欲しいということ。
灰にして、風に流して欲しい。
生きていた痕跡を、残さないで欲しい。
わたしが生きていたこと、それそのものを、なかったことにして欲しい。
何事もなかったように、生き続けて欲しい。
わたしは、それを遠くから、そっと眺めていたい。
心穏やかに。
5月の、からりと澄んだ青空。
強い風に流れる綿雲。
小高い丘の上から、眼下にうねる穂波を、眺める。
風を頬に受けながら、膝を抱えて、ただ眺める。
そのまま、だんだんと軽くなり、薄くなり、遠くなり。
消えてなお、光と音と風に交じる。
そうやって消えてなくなり、そのまま穏やかに、心を寄せるものを眺めていたい。
わたしのことなど、欠片も記憶になく生きていく、心寄せられる人たちを眺めていたい。
そう。
わたしがいるから。
私が生きているから。
生きている私と関わる皆を見るから、穏やかになれない。
だから、私のいない世界で生きていく、美しいものだけを、見ていたい。
色々と疲れましたかね。
もえーん
2024/06/05 09:51:55
はい。。。
・とんとん・
2024/06/05 08:38:26
もえーんさん、かなりお疲れのご様子。
気晴らしをするとしても、抱えているモノをなくす事は出来ないから、心も身体も脳内も疲労は溜まるだけ、と言う時が続いていそうですね。
とりあえずアルコールを摂取せず、しっかり眠る事をおすすめします。
もえーん
2024/06/05 02:19:50
ありがとう
もえーん
2024/06/05 02:17:31
彼らは、なにも話さない。
ただ、こちらが愛を注ぐのみ。
ある意味で、とても都合の良い存在。
だからこそ、ペットは特別なのかもしれません。
だからこそ、掛け値なしの、特別な存在なのかもしれません。
そんなことは、でも、どうでもいい。
愛おしくて、仕方がない。
そこに、嘘偽りはないと思う。
ままならない人生です。
ここでのお友達。
生身のあなた達を、わたしは知らない。
だからこそ、心許せるのかもしれません。
それが、果たして心寄せることの出来る友と言えるのか、わかりません。
たぶん、本当はそうではないのかもしれません。
それでも、どこかで、あなた達に救われ、生きている。
本当に傍にいれば、諍いも絶えないのかもしれない。
そうね。
でも。
それでも、あなたのような人が、わたしの傍にいてくれる一人であったらよかったのに。
そう思います。
人生は、ままならないですね。
・とんとん・
2024/06/04 23:37:40
わたしね、先代うさぎの紋次郎を家族にして、
生まれて初めて「愛しい」という感情を実感しました。
無償の愛を注げる自分に驚きました。
夫は生まれて初めて「さびしい」という感覚を知ったと
紋次郎がいない小屋(その時は私が実家へ連れていってた)をみて思ったそうです。
紋次郎が亡くなって、とめどもなく涙が出ました。
今でも思い出して泣いてしまいます。
サクが亡くなったら、やはり私は泣き暮らすでしょう。
ペットって特別ね。