gen_rin

海外移住の日

占い

ニコットおみくじ(2024-06-18の運勢)

おみくじ

こんにちは!前線が停滞し、九州から東北南部は雨。

太平洋側は激しく降り、土砂災害の恐れも。
東北北部は晴れで北海道は所々で雨。
沖縄は雨のち曇り。

【海外移住の日】 Moving Day

☆海外移住の日は1908年に日本からブラジルに渡りました笠戸丸の日として、
 制定された記念日です。

 ■笠戸丸(かさとまる・かさどまる)

 明治時代後期に日露戦争から第二次世界大戦にかけて、
 移民船や漁業工船等に使用された日本の鋼製貨客船です。

 ◇日露戦争(にちろせんそう) 

  1904年~1905年にかけて日本とロシアが戦った戦争です。

  満州南部や遼東(りゃおとん)半島を中心に、
  日本海でも大規模な戦闘が繰り返されています。
  結果的に日本に大きな影響を与えた日露戦争ですが、
  「太平洋戦争」程、詳しく戦争内容が知られていないのが現状です。
    
  年月日:1904年2月6日~1905年9月5日

  場所 :遼東半島、満州南部、黄海、日本海

  交戦国:大日本帝国          ロシア帝国

  結果 :日本の勝利で、ポーツマス条約締結

  戦力 :約30万人          約50万人

  損害 :戦没者   88429人   戦没者   81210人

      戦死傷者  55655人   戦死傷者  52623人

      病死    27192人   病死    20000人

      負傷者  153584人   負傷者  164032人

      捕虜     1800人   捕虜    79000人

 〔ポーツマス条約〕 Treaty of Portsmouth,

           Portsmouth Peace Treaty

  ≪ポーツマス条約の歴史的意義と現代への影響≫

   見出し          内容の要約

   ・ポーツマス条約の    日露戦争集結の為の条約で、
    概要と歴史的背景    日本の国際地位向上に貢献

   ・ポーツマス条約の    領土と権利の移動で、
    主な内容と影響     日露両国及び国際関係に大きな影響

   ・ポーツマス条約の    複雑な外傷交渉とアメリカの仲介役
    交渉過程

   ・ポーツマス条約の    歴史的評価と冬至の国内批判と、
    評価と批判       現代から見た条約の意義

   ・ポーツマス条約と    国際平和への影響と日露関係の教訓、
    現代の国際関係     平和解決の重要性の強調

   ポーツマス条約は日露戦争を締結させた敵視的な講和条約であり、
   日本の国際的地位を高める重要な転換期となりました。

   この条約により、
   日本はアジアにおける主要な勢力としての地位を確立しましたが、
   国内では賠償金の支払いに関する批判も受けました。

   現代においては、
   この条約から国際紛争の平和的解決と、
   外交の重要性を学ぶことが出来ます。

  日露戦争とは朝鮮や満州の支配権を巡って、
  日本とロシアの間で行われた帝国主義的な戦争です。

  1904年に日本が旅順(現:中国北東部)のロシア艦隊を、
  攻撃したことから開戦します。

  1905年に日本は奉天(現:中国北東部)を占領に成功します。

  そして・・・

  日本海海戦でも劇的な勝利を収めまして、軍事的な勝利を収めました。

  上記の説明のように1905年9月に、
  アメリカのポーツマスで条約が結ばれまして、日本が勝利しました。

  この戦いで日本は韓国の保護権が承認されまして、
  ロシアから南樺太、南満州鉄道の利権、
  旅順や大連の租借権を獲得しました。

  ≪日露戦争が起きた背景≫

   日露戦争は日本にとりまして、とても重大な戦争でした。
   なぜならば、日本にとりまして世界に名が知れた最初の戦争だからです。

   19世紀の世界は欧米列強が、
   各地に植民地を獲得していく帝国主義政策をとっていました。

   『代表的な国々』

    ・大英帝国(イギリス)          ・ロシア帝国

    ・フランス                ・ドイツ帝国

    ・オーストリア帝国

   この5カ国に加えて独立して間もないものの、
   急速に発展していきましたアメリカが加わります。

   そして列強諸国はアジアに目をつけて、領土拡大を狙います。

   特に19世紀になりますと、
   中国の国家である「清国」はほとんど実質割譲状態でありまして、
   日本もこのままだと国を占領されてしまうといった状態でした。

<概要>

〇海外移住の歴史

1908年(明治41年)6月18日、
笠戸丸がブラジルのサントス港に到着しまして、
日本からの本格的な海外移住の歴史が始まります。

当時の多くの日本人は生活の向上を求めます。
又は冒険心を胸に新たな地での生活を夢見ていました。

@日本側の動機

 人口減らしが目的です。

 明治維新以降本格的な近代化に舵を切った日本では人口爆発が起きました。
 これにより農村で労働力が余るようになります。
 
 又、日露戦争後の景気後退と、
 その追い打ちのように起きた関東大震災の影響もありまして、
 農村で余った労働力を都会で吸収出来なくなります。

@ブラジル側の動機

 独立時の憲法でアフリカとアジアからの移民を禁止していました。
 支配階級である白人達は黒人奴隷を多く連れてきた影響で、
 混血が増えた国民の白色化を臨んでいました。

 ★サンパウロ州

  憲法に反しても、日本からの移民を抑えたい理由がありました。

  同州の主力産業であるコーヒー生産は、
  19世紀の中頃まで奴隷労働によって支えられていました。

  それに代わる労働力として、
  イタリアをはじめとするヨーロッパからの移民を受け入れます。

  しかし・・・

  19世紀末にコーヒーの価格が暴落したことで、
  ヨーロッパから移民の流入が停止してしまいます。

  そこでサンパウロ州政府は新たな労働力の供給源として日本と交渉を進め、
  国を飛び越えて契約を交わします。
  この時期のブラジルは州の自治が極めて強く、
  国の方針に反した政策をとることも出来ました。

問題 日本、ブラジル、そして移民した当事者達のそれぞれの思惑は、
   こうして微妙に異なっているのですが、
   ブラジルに移民した方々の思惑を教えてください。

1、移住

2、大金を稼いで故郷に凱旋

3、コーヒー等、プランテーションの経営者になること

ヒント・・・〇奴隷代わりのヨーロッパ移民の代わりの日本移民

      移民を奨励する日本政府や移民会社は事情を説明しません。

      ・「ブラジルは気候が温暖で土地も肥沃、
        作物がよく育ち、農業をやるのはうってつけだ」

      ・「コーヒー樹は金の生る木だ」
 
      このような趣旨の宣伝文句により、人々を勧誘しました。

さらにヒント・・・

〇錦衣帰国(きんいききょう) 

「官約移民」や民間会社を通して、ハワイや北米、南米に移り住む人が増え、
1899年~1941年だけで10万人近い人が海を渡りました。

多くの人々はサトウキビ栽培やコーヒー農園での収穫作業等に従事し、
正解を目指しました。

お分かりの方は数字もしくはブラジルに移住した方々の思惑を
よろしくお願いします。




  

   


  


  • gen_rin

    gen_rin

    2024/06/20 23:12:14

    こんばんは!朧月夜の現在です。
    ノエママン、木曜日をお疲れ様です。
     おおお~、問題ですが大正解ですね。
    流石ですね、おめでとうございます(祝)
    はい、そうだったのですよ、思ったよりもお金を稼げなくて過酷だったようです。
    そうですね、ほとんど白人の方ばかりでしたからね。
    はい、そうですね、ねたまれたりで大変だったようですね。
     はい、どうもありがとうございます。
    夜になりましても、蒸し暑くありませんか?
    どうか体調を崩さないようにお過ごしください。
    ゆっくりとおやすみくださいませ。

  • ノエル

    ノエル

    2024/06/20 19:14:47

    げんりんりん♥ちィ~ッす♪ฅ^•ω•^ฅ
    木曜、お疲れ様~☆彡(_´Д`)ノ~~オツカレー♪

    2、大金を稼いで故郷に凱旋☆彡(`・ω・´)b
    結局、故郷に帰れるほどのお金は稼げないほど大変だったと思うわ!(;´・ω・)
    成功したのなんて、ほんの一握りの人だろうしね!(;´Д`A ```
    うまくいったら、今度は放っておいて帰れないものネ!(((uдu*)ゥンゥン

    時節柄ご自愛くだしゃんせ~☆彡(⋈◍>◡<◍)。✧♥
    無理せず無茶せず、心と体を労わりつつ、ステキな花金を~☆彡◡( ๑❛ᴗ❛ )◡ルン♥