ゲシュ崩ログ 468 砂を掃除
夏休みに入って、子供が毎日元気に家を駆けまわっているので、家に砂が…、ごはんつぶが…。床が…と、毎日の掃除が倍増した。
なんだか、毎日毎日同じように砂ほこりゴミをはいて掃除していると、ふ、っと砂の女っていう文学を思い出す。あの小説って、こういう育児の切なさを描いていたのかしら???と、ちょっと新しい気持ちで砂の女を読み返したいと思ったり。毎日掃いても掃いても汚れていく家を、まるで延々と何かの罰かのように意味があるのかないのかの作業を続ける…という小説には、凄い癒しがあった気がするなぁ。あの小説をまさか育児中に「あれって育児の気持ちを描いてたのか?」と思うなんて。そんな風にも考えてしまった、毎日でてくる家のゴミ埃砂。あれってなんだかんだいって、日本人が書いた日本人的感性の話だったんだな~と、意外と家にゴミが入ってくる子供と暮らす家の中の掃除に、阿部さんが当時住んで暮らしていた当時の日本と、今の日本の土地風土を実感したりしました。もっと乾燥した砂漠のある土地の外国の風土の話だと思っていた。
供が家にいるというのは、あの小説みたいに終わりなく延々とさせられる作業というあの暗鬱として重苦しいけどやらないといけない…みたいな義務感で動く大人の重圧みたいな空気感とか、そういう小説の雰囲気ををとっても思い出します。まぁ、あの小説の中の砂をかきだす作業には意味がよくわからないという恐ろしい絶望感がともなっているけれど、家の掃除はそれに比べたら夫が喜ぶという目的もご褒美もあるので、なんて私は幸せなのか。と同じ掃除でも、目的があるってありがたいと思います。
何の意味も無いよね~
人は意味があるとどんなに辛い事もガンバるらしい。でも、「意味が無かったら?」
意味が無いのに砂をかきだすみたいな労働とかワケわからん事を延々とさせられるって、どんな気持ちなんでしょう。発狂沙汰ですよ。今あなたがやってる事、実は、ひっとつも意味がないんですよ?って言うの、破壊神の作り方ですよね。総理大臣とか銃撃したくなるんじゃないでしょうか。社会人で辛い労働に従事してる人の中に、何でこんな仕事しないといけないんだろう?って誰しもが何度も考えると思うんですけども、そういう時に砂の女っていう小説は凄く私は癒されましたよ。まぁ、意味が無い事してる人っていうのも凄くいいなぁとある意味全く意味ないように生きてる人っていうのがいると、「あっっっんな奴でも平然と生きてるのか!?」っていう気持ちにさせてくれるので、そういう許す気持ちって生きてるとけっこう自分が潤うもんじゃないのかと思いますよ。