ぴのぴののなんでも日記

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こどもの頃から日記は大嫌い。夏休み・冬休みの日記も最終日に書いたなあ。書き込み、カテゴリ少ないけど、どこでも大歓迎です。リアル記録をここに残してます。

『光る君へ 第31回』視聴後考察。2週間ぶり―!

テレビ

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 あーあ、明日からついに通常業務に戻るのかあ・・・。
バリパラリンピック?っていったいどうなったんだろう?
日本ハムファイターズは悪夢の3連敗だし、重い週末になっちゃったなあ。
  
 では気を取り直して「光る君へ 第31回」の考察です

  • ・はんにゃは特筆無いのに正二位(実質最高位?)とは。これは公任と違って、後ろ盾・家柄のおかげか。
  • ・ロバートが御簾の向こうに消えた相手が誰だかわからなかった!!

  • ・「巌」と「苔」って、君が代にちなんでってこと??
  • ・越前の紙がやっとここで出て来ました。これは史実の裏付けアリ?越前滞在歴と無理やりにつないだ?
  • ・未亡人後訪問多いよなあ。なのに今回は引き返さず帰るんかい!

  • ・「源氏物語」降臨シーンはベタ過ぎて・・・・・。

 あれだけ頑張ってた伊周の呪詛はどうなったあ。
『地面師たち』のギラギラの7時間ドラマ観終わった直後だっただけに、ギャップが大き過ぎでしたあーー。
 次週はもう少し事件が増えないかな。

                      かな?
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  • ユーミ

    ユーミ

    2024/08/25 15:10:27

    越前和紙に関しては、まひろが「越前には美しい紙があって~」と話していたのを道長が覚えていて、というドラマ上の演出だと思います。
    ただ、、源氏物語を書く紫式部を道長がパトロンとして援助していたのは確かで、その際に紙も下賜していた筈。当時、紙は高級品でしたので。
    当時の和紙の産地は越前、美濃、石州がありますが、特に越前の和紙は紙の王者とされ高級な記録用紙とされていたので、道長が紫式部に渡したのも越前和紙である可能性は高いと思います。

    今回も月を見つめながらロマンチックな二人でしたが、肉体的交わりはなく別れました。
    これは二人の結びつきがより昇華されたものになりつつあることを示している、と個人的には受け止めています。

    「源氏物語」が降りて来るシーンは雅でした。
    物書きや物作りをしていれば、プロ・アマ問わずに言えると思うのですが、インスピレーションがある日突然降臨して来る事があるんですよね。
    その際、「雷に打たれたような」とか「電気が走った様な」とかの、衝撃を受けたと感じさせる表現が多いと思いますが、「源氏物語」の降臨ですので「言の葉」を記した紙が降り注ぐという雅さが相応しいですね。イメージは重要。

  • ユーミ

    ユーミ

    2024/08/25 14:42:24

    こんにちは^^

    藤原斉信が従二位に上がったのは、ドラマでは描かれていませんが一条天皇が松尾社・平野社という神社に行幸した際に行事を務めたから、というのがあります。
    この場合の行事とは、行幸と言う儀式を取り仕切った総責任者の様なものですね。
    中宮大夫を務めていたから、というのもあるでしょうが、天皇の行幸をしっかり成功させた功績を認められた、と言う方が大きいかとおもんわれます。理由の無い昇進ではありません。
    ちなみに、位階の最上位は正一位ですが、こちらは死後に追贈された人はそれなりにいますが、生前に賜った人は7人?しかいません。内二人は正一位を賜ったその日に亡くなっています。
    死後であればそこそこの人数になります。徳川将軍などは、最後の慶喜を除いた全員が貰ってますし、秀吉や信長にも贈られています。
    戦後は正一位を贈られる事はなくなったので、従一位が実質最上位。功績著しい人が貰っています。
    政治家だと吉田茂氏や佐藤栄作氏が貰ってますね。

    ところで、位階を斉信に抜かれた公任ですが、ドラマでは何でもない風にしていましたが、実際は滅茶苦茶怒って拗ねて辞表を提出し、半年も内裏への出仕をボイコットしたそうです。ちなみに辞表は代筆で、書いたのは赤染衛門の夫大江匡衡 (おおえ の まさひら)。
    あまりにも拗ねるので、仕方なく道長が公任を従二位に昇格させたらしいです。

    ドラマの様に、実資や斉信が出仕を促しに公任を訪ねたかどうかは不明です。ただ実資と公任は同じ小野宮流でそれなりに親しかったようなので可能性はあります。

    実資と関係がありそうな女房は、公任の邸宅である四条宮に仕える女房でしょう。
    実資は嫡妻に関しては一途でしたが、恋人はかなり多くてかなり浮名を流していたそうなので、数いる恋人の一人、という位置づけだろうと思います。

    「君が代」は元々は古今和歌集賀歌の巻頭に出て来る詠み人知らずの和歌ですので、古今和歌集を諳んじるのが教養の一つだった平安貴族が、それちなんだ名前をつける事もあったでしょう。
    ですから「巌君」や「苔君」の由来と考えるのは妥当です。
    元々の歌は「君が代は」の部分が「我が君は」となっており、長寿を寿ぐ歌です。「君」は君主・天皇をさすものではなく、長寿を祝福される年配者を意味しています。