『光る君へ 第34回』考察をして「降り積もれ」へ
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たまりまくった録画を観るのは追い付きましたが、民放ドラマ分は明日の「海のはじまり」が終ってからまとめまーす。だんだんと最終回が増えてきましたねえ。
2024秋ドラマは大体決めました。
では「光る君へ 第34回」を2度見終わったので記録を残します。
- ・ああーー、期待の合戦シーンはやはり無しかい!!
- 検非違使の信長の本願寺攻めくらいの活躍を観たかったあ。
- しかし、3000名をどうやって武力で追い返した??
- ・右馬允??何の役職か??
・定燈はただのコケ脅し?最後の笑みは再戦アリ?
・女御の立ち話の「ひたひた」の意味は??
- ・はんにゃ、道綱の「放火?」、道雅の不出来、襲撃匂わせで伊周の暗雲を漂わせる。しかし、単純に襲撃失敗で失脚じゃあ、つまんないなーー。
- ・カモのおもちゃ流しはこどものお風呂おもちゃみたい。
- ・あの夕立避難のシーンは、かつての「クリケット」後での会話シーンの再現か?
- ・さてこの頃の「源倫子」「清少納言」はどうしてるんだろ。
予告編の断片だと、彰子いよいよ覚醒、隆家が味方に、の気配だったねー。それにしても御嶽詣でって命懸けええ。
かな?
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ぴのぴの
2024/09/18 23:26:27
> ユーミさん
100カメ、しっかり観ました。
その時見つけた「病院ラジオ」に、完全にやられてしまいました。
ぴのぴの
2024/09/15 20:52:44
> ユーミさん
ユーミさん
しっかり、観る前に読ませて頂きましたーー。
細かいところまで、どうもありがとうございました!!
えんのおづぬ!!はチェックしましたよ。
100カメをNHKプラスでまだ観られるようです!!
今夜、観まーーす。
ユーミ
2024/09/15 14:14:01
として知られてもいます。
このあたりは祖母高階貴子から受け継いだ、学識に優れた高階氏の血かもしれません。
匂わされた道長襲撃ですが、こちらは史実にある「藤原道長暗殺計画の噂」からのものでしょう。
伊周・隆家兄弟が、家人の平致頼(たいらのむねより)に命じて御嶽詣でに出た道長を道中で暗殺しようとしている、という噂がたち、朝廷が慌てて道長に使者を送っています。
結局何事もなく、道長は無事に都に帰還しますが。
暗殺計画が実際にあったかどうかは不明ですが、そういう噂が立ったのは事実。
ただしこの事で伊周が処分される様な事にはなっていません。
ドラマでは、噂を未遂事件として扱うのかもしれませんね。史実の噂とは異なり、隆家は道長の味方っぽい予告でしたし。
さて、NHKの100カメでも扱われた土御門殿で催された「曲水の宴」。
かなり強い雨(今でいうゲリラ豪雨)で中断されたのは、御堂関白記にも記された史実です。
そこに上手く「打毬」の時のエピソードを絡めた感じですね。
初めて見る父の自然な笑顔が、娘である中宮彰子の目覚めを誘う演出は上手いと思います。
それにしても雅でしたね、「曲水の宴」のシーン。
下手な合戦しーんより、よほど予算を使っているだろうな、と思います。
「光る君へ」の衣裳は、女房装束などは一着1500万くらいだそうですし。
酒の杯を載せて流れていた鳥を模したものは「羽觴(うしょう)」というものです。ドラマでは鴨をモチーフにしていましたが、元々は雀を模したものらしいです。
ちなみに「曲水の宴」は現代でも、京都の城南宮や福岡の太宰府天満宮で行事として再現されていて、ドラマさながらの優美な平安装束で参加者が詩歌を詠んでいます。
道長の御嶽詣でこと金峯山詣では、当時は命がけの事だった様です。
現代であれば登山ルートも整備され、登山シューズなどの装備も充実しているのでルートによっては初心者向けコースもある様ですが、概ね中級者向きの山らしいですね。
道も整備されておらず、履物も草鞋程度の平安時代となると、その道程は相当に困難だったと思われます。
そもそも、金峯山寺の開祖はあの役小角(えんのおづぬ)ですからねぇ。
険しくてなんぼのもん、という感じかも。
ユーミ
2024/09/15 13:32:25
こんにちは^^
前回「中世の萌芽」と書いた興福寺の強訴は、割とあっさりと終わりました。
検非違使が追い払った様ですが、多分武力行使を示唆しただけで実際にはお互いにぶつかりあってはいないと思います。
この時代はまだ、天皇及び朝廷の権威が絶大でしたので、寺社勢力といえどもその権威を脅かす力は無かったという事ですね。
しかし一条天皇の曾孫白河天皇が、「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたという逸話が平家物語に書かれている様に、百年ほどで天皇を懊悩させる存在になるのが寺社勢力です。
ちなみにこの山法師は比叡山延暦寺の僧兵の事です。
今回押し寄せてきたのは興福寺ですが、今後は延暦寺の方が悩みの種になっていくんですね。
とはいえ、今回の興福寺の強訴に関して言えば朝廷側(というか道長)のほぼ全面勝利です。
興福寺はドラマ内でも言われていた様に、藤原氏の氏寺です。藤原氏の氏の長者である道長と争う事は興福寺としても望ましい事では無かった様です。
ドラマの最後で道長が御嶽詣でに出発しましたが、ルートの途中で興福寺に寄っているので、そこで完全に和解というか手打ちにしたと思います。
興福寺側としても、別当だった蓮聖の処分が取り消されれば一応満足だったと思いますし。
定燈の笑みは、最も望んでいた事が叶ったからのもので、再戦はありません。
興福寺の次の強訴は1093年だと思いますので、既に道長も定燈も鬼籍に入っています。
右馬允(うまのじょう)とは、馬寮(めりょう)という朝廷の馬の管理や調教を行う官司の官職です。上から三番目くらい?
馬寮は左右に分かれており、右馬允は右馬寮に属します。
武士にとっては憧れの官職だったらしいです。
女房達の噂話で出た「ひたひた」は、多分男女関係を示す隠語と思われます。
「ひたひた」は水などが繰り返し静かに打ち寄せて来る様を示す擬音ですが、ぴったりとくっつく、という意味もありますので。
斉信と道綱の邸が焼失したのは史実ですが、火災の原因は不明の筈です。
ドラマだと伊周が意味ありげな感じではありましたが、この火災が伊周の失脚に繋がる事は無い筈です。
息子の道雅は、不出来と言うか色々と乱行の絶えない人で「荒三位(あらざんみ)」とも呼ばれました。
乱行が祟ってか、従三位(じゅさんみ)より上には昇進出来ていません。
一方で優れた歌人