コーデ記録~紙飛行機に乗って
そういえば『ビアンカが作った風ののる紙ヒコーキ』を
7月にフリマ入手していたよ、
ということでコーデしてみた。
紙ヒコーキで空から花を撒くのだ。
これ、雲がない方が使いやすいのに。
普通の風景な背景に使おうとすると
地面についてしまうというか。
浮いてないよ、紙ヒコーキ!
夜の空(星とか月とか)の背景はあるけれど、
昼間の方が似合いそう。
ただし青空だぇちう背景もなく。
ちょっと妥協しました。
高所恐怖症気味なので、空を飛びたい願望はあまりありません。
「タケコプター」にも憧れたことはない。
箒で飛ぶ? 無理です。
だって、絶対痛いよね? 安定悪そうだし。
横座りならまだましかも。
地上から1メートルくらいまでだったら許容範囲。
ほら、落ちても大丈夫そうだから。
身長以上はダメです。
「タケコプター」が論外なのは、
あれが一見、生身に見えるから。
風とか温度とか影響なさそうなので、
なんらかのシールド的なものがありそう。
でもこう、体感的に生身ぽいというか。
どうせならば「乗り物」にちゃんとなっている方がいい。
自動車までいかなくとも、箱ものというか、
そういうもので囲われたい。
椅子があって、足元は不透明。上部は風防強化ガラス。
なんだろう? 一人乗りのロープウェイが近い?
それとも観覧車?
空飛ぶ絨毯だと、床面積があるから、
直接座るか寝ころべるから、
まだ安心しそう。囲いがあればもっといい。
……もういっそ、「空飛ぶベッド」でいいんじゃないかとか
思ってきてしまったよ。
……風景も見ずに寝るつもりらしい。
空気抵抗的にも横になっているのが一番安定しそうではある。
一昨日。
『小説家になろう』に掲載していたエッセイを読んで。
そこで紹介されていた小説に興味を持ち、
詳しいあらすじが欲しいと検索したら、
予備知識もないうちにweb連載されていた当の本文に辿り着いてしまい。
うっかり一日かけて読んでしまった。
『カクヨム』にて連載されていた作品で、書籍化しているが
そのまま残されているので。
そう、読んでしまった。
ホラーなのに。
めっちゃ怖い話だったのに!
それが、背筋氏による『近畿地方のある場所について』である。
フィクションではあるのだけれど
ドキュメンタリー的手法を取られた「モキュメンタリ―」という形式らしい。
オカルト系雑誌の過去の記事、
ネット上に上がっている文章や掲示板、
そういったものが積み重なって、真相がひたひたと近づいてくる。
本当に怖かった。
エッセイを書いていた人のコメント返信によると、
書き下ろされた部分のある書籍はもっと怖いらしい。
うっかり全部webで読んでしまったくらい、
実にこう、好奇心と考察そたい欲求を煽る作品である。
「怖い。でも読んじゃう」みたいな。
感想と考察を少々。
ある程度ネタバレも入ります。
未読の方、注意。
ぶっちゃけ、タイトルがまず気になった。
だって近畿地方在住だもの。
書籍表紙はダムである。
もうこれだけで怖いw
ほら、高所恐怖症なんだってば。
ダムとか、吸い込まれそうで足が竦むんだよ。
と言っても、実際にダムを見たことはすくない。
小学校の遠足で行った天ヶ瀬ダムに、
父方の田舎近くのダム。
あとは旅行中に目にした感じ。
普通に湖ぽかったりもするし。
気になったのは当然、舞台のモデルだ。
近くだと怖いじゃないか!
いやまあ?
オカルトスポットとか、わざわざ行く趣味はない。
怖いもん。小心者なんだよ。
この舞台にはダムがあり、その傍に保養所(廃墟)があり、
トンネルがあり、
朽ちた鳥居のある石段とかつての神社だった場所と祠があり、
山の反対側には曰くつきでほとんど住人のいないマンション群があり、
そこの住人が通っていた小学校があり、
凸された家もある。
これすべて、オカルトスポットという大盤振る舞い。
(そのほとんどで自殺とかがある)
ただ、これらを繋げて考える人がいなかった(県境のため)、
そんな場所なんである。
盛りだくさんすぎるだろう!
そんな場所、近くにあったらイヤだろう!
で、当然、モデルになった場所を特定しようというひとたちはいるわけで。
それで有力なのが滝畑ダムらしい。
……どこよそれ。
大阪の河内長野市にありました。
遠いよ。
そこから地図を拡大していって。
物語的に大事な「お山」は岩湧山?
なんかどっちかというと神聖な霊場って感じなんですが。
マンション等があるのは和歌山の橋本市?
遠いわ。
うん、ロケ確認に行くのは遠すぎるということで!
ビビりですが何か。
物語としての怪異に直接関与してそうでしてなさそうで。
というのも人型の怪異が中心というか。
ただ、やっぱり「お山」なんじゃね? とも思うのです。
山岳信仰というか、神社の御神体が山そのもの、
というパターンは日本全国にあります。
山が神。
そして日本の神は祟る場合もありまして。
そして祟りを収めるために神として祀っていたりもします。
自然そのものも信仰の対象ですし。
そして信仰も時代と共に移り変わっていきます。
忘れられることもあります。
なかったことにされることもあります。
そうされた存在が何を思うのか。もしくは思わないのか。
ただ或るのか、糧を求めるのか。
この話では明かされること、明かされないことがあります。
分からないままもやもやする。
それがまた怖いんですけどね!
ちなみに、書籍版には袋とじがあり、
それがまた……らしいんですが。
正直に言って、それを見る勇気が私にはない。
しかし好奇心はある。
なので、買ったら開けてみちゃうと思うのです。
私、現在一人暮らしなんですよ。
そんな本、真夜中に読んだり見たりしたら
すっごい怖いじゃないでっすか!
……購入は見送りたいと思います。
しかしこの作者さま、すごいんですよ。
カクヨムでのプロフィールから感想返信、近況ノートまで。
作中に出てきた、言葉だけなら普通なのに、
やたら怖く感じてしまうようになる言葉だけがぽつりと。
徹底していてすごすぎるなあ、と。
なんかツイッターでバズったらしいんですが、
納得しかないというか。
ところで、この小説を読み進めていくうちにある懸念がありました。
「コズミックホラーになったらどうしよう」という。
いわゆるクトゥルー神話的な。
一時期、かなりはまってはいましたが。
あれはアメリカだからこそだと思うんです。
こう、日本の風土に合わないんですよ。
きっと湿気が多いからだ。
そして食い意地が張ってるからだ。
というのは冗談としても、
多神教の一部としてあっさり受け入れてしまって、
「そういうもの」で終わりそうというか。
どれほど見た目がグロテスクであったとしても。
実物というか形があるものというのは、
見えないものほど怖くないというか。
カルトな宗教とかも、むしろ属する人間の方が
危なくて怖い気がしますし。
分からない、が怖い。
なんかとっちらかったものをぐだぐだ書いてきましたが、
結論としてはそういうことで。
とりあえず『近畿地方のある場所について』は
その形態が面白く、そして怖かったということで。
今も結構売れているようなので、
勇気のある人は買って読むといいよ!