『光る君へ 第36回目』考察後巡回開始します。
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今までNHKBS「団地の二人」観てましたあー。東久留米の聖地のロケ団地巡りがはやっているらしい。しばらく日曜の夜は寝れないなあ。これにCS、日本シリーズ、秋ドラマが加わるのか―――!!
では「光る君へ 第36回」の考察記録を残します。
- ・先週の初お渡りから、今週は出産までいっちゃいました。
- ・今週のすべての女性同士の会話はみな何か「裏」がありそうで、のちに、ほおらねっ、て伏線のような気がして、緊張して観てました。
- ・特に「赤染」「ウイカ」「明子」が、今後の半生の明暗が分かれて来る気がしましたが、いかに・・・。
- ・彰子、ウイカのメイクが明らかに変わったよね。
- ・今週の出産イベントは今年最大でした。伊周の呪詛も定番化しましたが、前回襲撃も不問だし、いい加減露呈し退場して欲しいですが、ドラマ的にここまで引っ張ったので、溜めに溜めて派手に散るのだろうか??
・今週、通しで「道綱」の尺が長かった。ボンクラで初期から登場したけど、ここまで昇進し、このひと、血縁からいって、最終どっち側の誰推しの立ち位置なのかがわからない。
・石野真子は異例の長生き?曾孫誕生だよねー。
・お食い初めって現在は「100日」じゃなかったっけ?北海道だからだろうか?一升餅背負わせるやつじゃあ?
・ロバートの名前で最初に出て盛り上がったけど、あのシーンだけだった・・・。いまなにしてんだっけ?
ウイカ再登場で、史実には無い、女流作家同士のバトルありってことか。48回としてあと12回。残り4分の1。
そろそろ藤原家の頂点から、下降が始まるんだろうか。
いずれにせよ、最終回は雪の中か・・・。
かな?
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ぴのぴの
2024/09/29 21:19:39
> ユーミさん
御礼と、今夜の考察が前後しちゃってすいません!!
今夜は1回目視聴と2回目のあいだで拝読させて頂きました。
無礼講の一夜だけで、そんなに裏付けがあったのですねえ。
道長が命じた出産記録の日記に、そこまで細かく残し、現代まで残っているっていうのも、すっごいことです。
また次週、皇位継承と策謀と、ケンカがややこしくなりそうな予感です・・・。
ユーミ
2024/09/29 16:29:35
道長の御堂関白家の隆盛はまだまだ続きます。
嫡男の頼通は、半世紀にわたって関白の座にありますし。
まぁ、娘に恵まれなかった為に天皇の外祖父になることは出来ず、次代が院政に移るにしたがい御堂関白家の影響力は減少して行きますが、ドラマではそこまでは描きませんので、下降が始まる事はドラマ内においてはありえません。
最終回については想像するしかありませんが、道長とまひろが満月を見上げながらラストシーンになる様な気がしています。
月は今ドラマにおいて重要なモチーフですし、二人はしばしば月を見上げていますし。
ただ、二人が一緒に月を見ているか、別々のところで見ているかは分かりません。
ユーミ
2024/09/29 16:14:17
倫子の財力によって支えられた面が大きいですから、道長がもし倫子と結婚していなかったら左大臣に出世出来たかどうか怪しいところです。
退出した倫子の後をすぐに道長は追いかけ、その後は仲直りした模様ですが、後に嫡男頼通に具平親王(村上天皇の第七皇子)の娘隆姫女王との縁談が来た時、「男は妻がらなり(男の価値は妻次第で決まる)」と喜んだそうなので、倫子の機嫌をとるのには道長は余程苦心したのかもしれません。
倫子の母藤原穆子(ふじわらのあつこ/ドラマではむつこ)は今回誕生した曾孫である親王が後一条天皇として即位してから86歳で亡くなります。
娘の倫子は90歳、孫の彰子は87歳と長寿ですが、おそらく穆子の血筋でしょう。尤も、短命な者も少なくないので個人差は大きいと思いますが。
道綱は無能・ボンクラと言われながらも大納言迄出世しました。
これは弟道長の引きが大きいと思われます。
道綱は道長に最後まで忠実であったと言われています。
道長は政敵に対しては割と容赦ありませんが、恭順を見せれば結構寛容。
もし伊周が道長に対して恭順を示せば、道長は寛容に彼を出世させていたかもしれません。
それが出来なかったところが伊周のプライドが先行するボンボンたるところだったのだろうと思いますが。
五十日(いか)の儀は、現代では百日目に行われる「お食い初め」に相当するものです。
百日目に行われる「百日祝い(ももかのいわい)」も存在し、五十日の儀に準じた形式で行われました。
平安時代には五十日と百日の節目となる日に、赤ちゃんの健やかな成長を願って祝う儀式が存在したわけですね。
ただし五十日の儀は鎌倉時代以降百日祝いにとって変わられ次第に廃れていったようです。武士の時代となり、朝廷や貴族の力が衰えていった事と関係しているかもしれません。
武士の時代には実用的で簡素な生活が重視される様になり、複雑な儀式や習慣は次第に省略される傾向が強まったそうですので。
次代が下るにしたがって貴族たちは経済的に困窮するようになり、儀式どころではなくなっていきますしね。
ところで、赤ちゃんに一升餅を背負わせるのは一歳の誕生日だと思います。
流石に百日で一升餅を背負わせるのは無理では?
ユーミ
2024/09/29 15:34:16
歌って場の雰囲気をとりもったそうです。
彼は中宮大夫ですから、中宮関連の宴が恙無く進行する様に図る役割があったんですね。
女房の装束の袖を持って何やら数えていた実資は、実はあれは酔った挙句の行為ではなく、一条天皇が出している「贅沢禁止令」を女房達が守っているかどうかを確認する為に、女房装束の襲(かさね)の枚数を数えていたんです。
襲は大体5~6枚なんですが、中には20枚くらい襲ている人もいたらしく(現代人からすると5枚でも重くて身動きできなくなりそうなのに、と思いますが当時の貴人は襲の枚数が多い程高貴で贅沢、と思っていたみたい。平安貴族は美こそ全て、でしたから)、天皇の命令を破って贅沢してないだろうな、と実資は確認していたんですね。
ドラマでは酔っていましたが、実際は酔ってはおらず、女房達の襲の枚数を次々確認していたそうです。
それを無粋と受け取る人も多かったようですが、紫式部はその真面目さと堅実さに好感を抱いたようです。
「若紫はおいでかな、若紫の様に美しい姫君はおらんなぁ」と戯言を吐いて「ここには光る君の様な殿方はおりませぬ、よって若紫もおりませぬ」とまひろから手厳しい逆襲を食らった公任ですが、実際はドラマ程不躾ではなく、単に「若紫はおいでかな?」と尋ねただけでです。これは「あなたが源氏物語の作者の女房でいらっしゃいますか?」と尋ねたもので、紫式部は無言でスルーしました。
日記には、「此処には光る君はいらっしゃらないのだから、若紫もいる筈がないわ」という意味合いの事を書いてはいますけど。
さて、ドラマでは阿吽の呼吸で歌を詠み合ったかたちになって、少々妙な雰囲気になって源倫子が退出したり、赤染衛門が「左大臣様とのご関係は?」と詰問して来る事になってしまいましたが、実際は紫式部の歌は「若宮の栄光は千代に八千代に続きましょう」という若宮(親王)ヨイショの歌であり、道長の返歌も要するに「これからも権力を手にブイブイやってやるぜ~」と意訳出来るような意味合いなので、怪しさも色っぽさも欠片もありません。
倫子の退出は史実ですが、紫式部との仲を怪しんだからではなく、返歌を詠った道長が中宮彰子に対しては「このような父を持って~」、倫子に対しては「このような夫を持って幸せであろう」と、酔いもあって言ってしまった事が倫子にとっては不快だったから、と思われます。
道長の出世は
ユーミ
2024/09/29 15:00:16
こんにちは^^
中宮彰子出産イベントは、紫式部日記に詳細に記されており、これはドラマの通り、紫式部が道長から彰子出産前から一連の儀式す諸々を記録して欲しい、と依頼されたからと思われます。
ちなみに出産時の諸々や親王の五十日の儀などは、紫式部日記にほぼ忠実にドラマ化されておりました。
所々にアレンジはありますけど。
少々ホラーじみてさえいた彰子の出産時ですが、ドラマでもかなりの人数ではありましたが、実際はあの数倍はいた様です。
中宮に憑りつく物の怪を憑坐(よりまし)に移すのも、大体3人一組らしいですがドラマよりずっと多かった筈。
ドラマで描かれた規模は定子出産時のリアルに相当するもので、リアル彰子の時は定子の時の数倍の規模だったらしいですね。
現左大臣家と没落した中関白家という後ろ盾の差を如実に表すものですね。
ドラマでは伊周の呪詛を絡めて面白く演出していました。
呪詛が破れるのと親王誕生が同時の様でしたが、破れた呪詛はどうなるのでしょうか?
通常、呪詛が破れた場合は呪詛した当人に返る筈なんですが。
まぁ、伊周の余命はあと一年程度しか無いのですけどね、史実では。
史実の伊周は亡父と同じく糖尿病で亡くなったらしいのですが、ドラマの伊周は酒を断っているらしいので、呪詛が返った影響で亡くなるのでしょうか? どうなるのか少し楽しみです。
ドラマで呪詛が露顕するかどうかは不明ですが、史実では彰子と親王を呪詛したとして伊周の叔母である高階光子(たかしなのみつこ/伊周の母高階貴子の妹)が投獄され、伊周も朝廷への出仕を停止させられます。
出仕停止自体はわりとすぐに解除されるものの、中関白家復活の目は完全に無くなる筈。
彰子が第2子を出産するに至り、伊周は失意のうちに病死します、史実では。
五十日の儀の描写も、ほぼ紫式部日記に書かれた通り…というか実際はドラマ以上の無礼講で乱痴気騒ぎだったらしいです。
ドラマで隆家が女房を柱の陰に連れ込んでいましたが、あれも史実。
というか、細かい所迄見逃さない紫式部の観察眼が凄いというか怖いくらいです。
「女はおらんか~」と右大臣顕光が酒に酔って几帳を割っていたのも史実ですが、顕光はその後女房が手にしている檜扇を奪い取ったりもしたとか。流石に場の空気が悪くなりかけたところ、斉信がその場をとりなし、持ち前の美声で(斉信は朗々とした美声でした)