どんぐりやボタンとか

ケニー

おれはよく浜辺や森の中、あるいは道端などで、落ちてるものを拾う。例えば、どんぐり、ボタン、貝殻、石、ちびた鉛筆、鳥の羽根、何かの部品、錆びた釘、などなど、ちょっと自分のセンサーに引っかかるものなら何でも。そして、それをコレクトして、部屋の棚の中にしまってある。

そんなふうに集まった自分の棚の中にある記憶や思い出、もしくは、新しい体験や、これからしたいことなんかをみなさんにシェアするブログです。

じじい、ばばあの成長

その他

ふと、思うけど、成長するって、ただ年を取れば成長するってことじゃない気がする。

ニューヨークによくいる日本人の年配の人たちで、こうゆう類いの人たちがいるの。
なんでも自分が全てをわかってて、「私が」教えてあげるっていう姿勢でずっといる人たち。

日本で最近使われてる言葉で、たぶん、マウント取るって言うんじゃない?

それ。

今日会った年配の女性は、例えば、おれはその国に行ったことがあるけど、その人は無い、という状況でも、おれが「あの国はこうゆうふうでしたよ。」ってお話しすると、「そうなのよ。」って、まるで自分の方が知ってて、無知なおれに教えてあげてるような姿勢をいつも取るのね。
でも、残念ながら彼女の言ってることは、もう本当に誰でも知ってるようなことを「私があなたに教えてあげてる。」って姿勢でいつも話すの。

しんど〜い。。って内心思ってる。

また他の年配の女性も、自分の知識を「知ってた方が良いわよ、あなた。」って姿勢でひけらかしてくるのね。
で、おれが彼女の知らないことを話しても、ろくに話を聞かないのよ。

この人もまた、しんど〜い。。ってなる。。

まあ、その人たちは仕事上の付き合いだし、基本的には良い人だから、一応、流しながら接してはいるし、そんなに頻繁に会うわけじゃないから、別にどうぞご自由に。って思ってるけどさ。


これは特に上の世代の人たちで、ニューヨークに長く住んでる日本人に起こりがちな現象な気がする。
それより下の世代の人たちはニューヨークに長く住んでてもそうなってる人は少ないように感じるの。


ちなみにおれはニューヨークにもう20年近く住んでいるのね。
日本に住んでる日本人に比べて、おれの方が圧倒的にみなさんの知らないことを知ってるだろう。
だって、そりゃそうだよ、外国だもん。

だけど、それってさ、逆も全く同じことが言えない?
例えば、あなたが高知県でカツオ漁師を20年やってるとしよう。
おれの全く知らないことを圧倒的にたくさん知ってるんだよね。

それは、全員がそうじゃん?

看護師だろうが、農家だろうが、主婦だろうが、教授だろうが、あるいは、函館に住んでようが、六本木に住んでようが、全員がそれぞれの独自の知識や経験を持ってるんだよね。

もちろん、外国の場合は、その共通点が日本とはほとんど無いから、自然と経験が根本から大きく違うけどさ、基本的には、それぞれがそれぞれの独自の一冊の本なんだよね。

歳食ってりゃそれだけその本は厚いかも知れない(前述の人たちは正直あまりそうは思わないけど)けどさ、でも、例えば二十代の人だってもうすでに独自の一冊の本として成り立ってると思う。

そして、その本の中には他の人には知り得なかった、経験し得なかったことがたくさん書かれているんだ。

そこにニューヨークの面白さがあるように思えるのね。
なぜなら、おれんちを一歩外に出れば、イスラム圏のルーツの人や、ギリシャ人、イタリア人、ドイツ人、ジューイッシュなどがいて、彼らは「根本的に」全くおれとは違う本なわけじゃん。
さらに、ブライトンビーチの方にはロシア人、ハーレムにはアフリカ系アメリカ人がいたり、あるいはパンクロックの聖地的な場所、ジャズの聖地的な場所があったり、金融の聖地的なウォール街があったり、根本が違う本がそこらじゅうにゴロゴロしてて、おれもその一冊なんだ。

それを「ニューヨークに長く住んだ」、あるいは、「年が他の人たちより上の世代になった。」ってだけで、自分はわかってて、相手は無知だ。なんて姿勢になってたら、これからもう成長しないだろうと思うんだよね。
だって、自分の本を見せびらかすだけで、一向に他の本を読まないんだもの。

ニューヨークに住んでて楽しいことの一つは多種多様な文化に触れられること。
聞きたければ、アメリカに移民してきたチャイニーズの歴史を聞くことだって出来る。
(おれのボスはチャイニーズアメリカンの2世だからね)
ニコっとをやってて、楽しいことの一つは、他の人のブログを読むこと。
どこかの温泉に行ったとか、こんなお料理を食べたとか、全部、おれの知らないことばっかり。
もし、おれがイスラムの文化も、四国の食文化も全部知った気になっていたら、何一つ読まないし、なーんにも学べないと思うんだ。

たかが人間一人の行けるところ、知れることなんて、例え月に行ったとしてもそれはこの世界のほんの一部なんだよ。

99%以上は自分の知らないこと、経験したことないことなんだ。

ソクラテスじゃないけど、その無知を知って、わかったフリなんかしないで、素直に知らなかったことを知る喜びを楽しめる方が、じじいになってもずっと成長する気がするんだよな〜。

へえ〜、全然知らなかった!美味しそう!私も今度食べてみよーって姿勢の方が良いじゃん。

もう一つ、成長について書こうと思ったけど、今日はこの辺にしておこうね。


ところで、マンハッタンに猫カフェがあるらしい。。。
なんて魅力的なんだ。。(よだれ)

誰か猫カフェ行ったことある?
猫のハーレム状態なのかしら。。。
むふふふふ。。。

  • ケニー

    ケニー

    2024/10/13 10:08:47

    > べるさん
    ね〜、猫カフェ行ってみたいね!
    猫まみれになりたい。。。

  • べる

    べる

    2024/10/13 01:57:52

    猫カフェいまだに行ったことないんですよねー。

    この前道後温泉に行ったときに猫カフェあったけど、旅行先で寄る時間なかったし(^^;
    一度は行ってみたいなと思ってます♪

  • ケニー

    ケニー

    2024/09/30 10:18:57

    > せんちゃんさん
    はっきり言って、幻想を抱いています!(^0^)
    きっと、猫ちゃんたちがおれのまわりにいっぱいやってきて、猫ちゃんの掛け布団みたいになってしまうんだ!!って、思って、むふふふふ。ってなってます。

    そうなんだね、せんちゃんも行ったことあるんだ?
    なるほど〜、猫さまにお伺いを立てるのね。
    うにゃ〜。

    捕まえて、お腹に顔をすりすりしてやろうかしらっ!!
    お店の人に超怒られるんだろうな〜。。

  • せんちゃん

    せんちゃん

    2024/09/30 08:12:43

    猫カフェに幻想を抱いてませんか?( ´艸`)
    基本的に猫カフェは、猫さんたちが人間にあきあきしているところなので、振り向いてもらうのは至難のわざです。無理に触ろうとするなどもってのほか。必死に猫さまに振り向いてもらうよう猫じゃらしの振り方にも神経を使い、カフェで猫様のおやつを買って「どうぞ、わたしのおやつを食べにいらして下さい」と懇願するスタンスです。

  • ケニー

    ケニー

    2024/09/29 01:45:41

    > ビビアンさん
    うん、その言う時の姿勢がもう相手の方がわかってない。って決めつけてる、あるいは、決めつけたいんだよね。
    知識や経験はあくまで何かに役立てるためにあるわけで、人よりも知ってると、自分を偉く見せるためにあるわけじゃないんだと思うの。
    ところが、例に書いた人たちは、知識や経験を自分を偉く見せて相手を下げるためだけに使ってるように感じるんだ。
    だから、その心の姿勢がしんどいの〜。

    だって、職場でもどこでもわからないことを誰かが教えてくれてる時、そんなしんどさなんて全然無いもん。

    つまり、その人の心の姿勢がそもそも全く別物だと思うんだよね。


    ところで、おじいちゃんおばあちゃんからお話し聞くのが好きだったって、すごく素敵ですね^_^

  • ケニー

    ケニー

    2024/09/29 01:40:50

    > ルルルのル^^さん
    ね〜、いろんなところを旅人したいね^_^

  • ビビアン

    ビビアン

    2024/09/28 18:57:10

    その通りだと思います^^

    お話の「教えてあげる」スタンスの人としゃべるのが疲れるのもわかります、
    その方が本当に教えてあげたいって思ってたとして、言い方も大事だと思う。

    話しは少しそれますが、
    今派いろんな方と出会ってお話しを聞く機会は、なかなかないため残念ですが
    祖父母から昔話を聞くのはとても面白かったです。

  • ルルルのル^^

    ルルルのル^^

    2024/09/28 12:31:58

    うんうん、同感です

    知らない事だらけ、、興味津々、、好奇心が渦巻いて来る、、

    この世には、私の知らないもっと気持ちの良い事や、美味しい物 綺麗な景色、知らない植物や動物

    沢山あるんだよね〜