どんぐりやボタンとか

ケニー

おれはよく浜辺や森の中、あるいは道端などで、落ちてるものを拾う。例えば、どんぐり、ボタン、貝殻、石、ちびた鉛筆、鳥の羽根、何かの部品、錆びた釘、などなど、ちょっと自分のセンサーに引っかかるものなら何でも。そして、それをコレクトして、部屋の棚の中にしまってある。

そんなふうに集まった自分の棚の中にある記憶や思い出、もしくは、新しい体験や、これからしたいことなんかをみなさんにシェアするブログです。

記憶の部屋

自作小説

鳥の囀りが聞こえる朝、おれは廊下を歩いていた。
白い2階建ての建物で、区役所か学校の建物にも少し似ていて、廊下には窓が続いてる。
窓の外は、木々が並んでいて、その向こうに細い私道のような道も見える。

まだ朝の7時頃だろう、朝日が窓から差し込んで、廊下を静かに照らしている。

なぜこんな早くにその建物にいるかというと、シンプルに言えば死んだからだ。

シャケが川に戻って卵を産むように、人間は死ぬと、とある建物に行かなければいけないようなのだ。
しかし、その建物はあくまで「私だけ」が行かなければならない建物で、他の人には他の人の行くべき建物か場所があるはずだ。
(あるいは時に何かの「手違い」や「意思」で行くべき場所が無い人もいて、そんな人たちがわけのわからない幽霊なるものになってしまうのだろう。)

朝日が廊下に美しい影を作ってる窓が続く白い廊下を歩くと、突き当たりを右に曲がる。というか、建物の一番角なので右にしか行けない。

すると、左手に白いドアがいくつか並んでいて、一番手前の角部屋のドアの横に白い小さな「記憶」と書かれたプレートがあった。

ここだ。

誰に指示されたわけでもないけど、まずはこの部屋に行かなければいけないことはわかってる。

ドアを開けると、中は全部白い何も無い部屋で、窓が二つ、左側がㄱ(ハングルの「キヨク」)のように奥が広く、手前の左手にはもう一つ小さな部屋があるようでドアがあった。

二つの窓は開いていて、薄いレースのカーテンが風に揺れている。


それを見ていたら、急に、

あ〜、おれは死んだんだなぁ。。

と、どこかほっと安心する気持ちと、少しの淋しさがあった。


その白い部屋は、「記憶」の部屋というからには、何かおれの思い出の品が置いてあったり、あるいはおれの人生に関する言葉が壁に書かれてるのか、と思ったのだけど、本当に窓しか無くて、とりあえず、窓の外を見た。
2階なので、窓のすぐ近くに欅の木の枝があって、枝にヤモリがとまっていた。
ヤモリは何やら江戸時代の商人のように手を擦り合わせて、真剣な面持ちで何かを確かめているようだったけど、ヤモリがいくら真剣な顔をしても、そのユーモラスな可愛さは失われなかった。
人間でも、こうゆう人っているよなあ。。って、誰ということもなく漠然とした愛嬌の良い憎めない顔が浮かんだ。

それから、一応、念のため、(何の念のためかわからないが)その部屋の壁や窓、それからカーテンを、そっと指先で触りながら、少し間延びした朝の空気の中で確かめた。

それから、部屋の中にある小部屋らしき部屋のドアを開けた。


途端に、ぶわぁっ、、、と空気圧のためか、その子部屋から風が流れ込んできて、おれの前髪を揺らし、目を瞑るほどだった。


中を見ると、そこも同じ白い壁の、窓の無い、2畳くらいの小さな部屋だった。

しかし、それは通常の部屋では無かった。


その白い壁に囲われた小部屋の床は海だったのだ。
波打っている、正真正銘の海だ。
潮の香りもする。


その海は、波打ち際や東京湾の海ではなくて、バミューダ海峡とか、そうゆう“本格的な”、海だった。
その波の荒さや水面の厳しい紺色はそうゆう海のものだった。
太平洋のど真ん中の海の上に家を建てて、その一室の床をそっくり切り取ったら、ちょうどこんな具合になるだろう。
あるいは、逆に、海を2畳ばかり切り取って、それをそのままその小部屋に配置したようなのだ。
しかし、海は切り取られたことに気づきもせず波を送り続けている。

ドアを開けたまま、小部屋の前で唖然としながらその床の海を見ていると、ざぱっ、と波がこっちの部屋の床へ入ってきて、おれの靴を濡らした。
試しに、かがんで指を水につけて、ちょっと舐めてみる。
潮水だ。
やはり、「現実の」海だ。

いや、もちろん、それが太平洋のような現実の海なわけがない。
なにせ、おれのいるこの建物は生と死の狭間の、ある種の「死ぬための手続き上の決まり」として存在している場所であって、生きてる人たちがいる現実の世界では無いからだ。
でも、その海は、実際におれの目の前で潮風と共に波打ち、海としての条件を満たした、十分に説得力のある海として存在していた。


しばらくの間、その部屋の海を眺めていて、思いついた。

入ってしまおう。

なぜなら、おれはもう死んでいるのだから、この海で溺れても、もう死なないのだから。
おかしな話だが、一つの真理だろう。
死んだ者はもう死ぬことはない。

そう決まると、おれは少しワクワクしながら、一応、履いていた白いリーボックのスニーカーと白いソックスを脱いだ。

(おれは丸の内のビルから飛び降りて死んだのだが、その時は革靴だった。なのに、なぜ今、リーボックのスニーカーを履いているのかは、わからない。リーボックの靴など、一足も持っていないのだ。
ただ、それはさほど重要なことでは無いだろう。もしかすると、この生死の狭間を管轄してる役所のような所にリーボックが納入しているのかも知れないが。)

ちなみに付け加えておくが、おれは泳げない。
だから、海や川に飛び込んだりした生前の経験は無い。
子供の頃、海水浴へ行ってもせいぜい波打ち際で遊んだ程度だし、大人になってからは、海や川などに遊びに行く機会はほとんど無かった。

おれはスラックスの裾をまくり、クリーム色のジャケットとYシャツを脱いで床へ置いて、Tシャツになった。
こんな格好になると、中年に差し掛かった独身男性の情けなさが浮き彫りになる。

まあ、こんなところで誰に見られるわけでも無いし、おれはその小部屋の海の前に立った。
呼吸を整えながら、その切り取られた深い紺色の海を見つめる。
この海は、明らかにこの小部屋の中だけでは完結しておらず、あくまで海の一部あり、この続きはどこかへ存在しているのだろう。
なぜなら、波は壁の向こうからやってきて、壁の向こうへ動いているからだ。
その途中の一区画だけが切り取られてここに存在している。

おれは意を決して、海へ飛び込んだ。
鼻をつまみ、足から、ぴょんっと飛び込んだのだ。

じゃぽっ、と自分が飛び込んだ音が聞こえた瞬間にはすでにおれは海中にいた。
波の泡で辺りが見えにくく、おれは一旦海面に顔を出した。

小部屋の壁は相変わらず白く四方を囲み、下半分は波飛沫で結構濡れて、濃い色になっている。
海水は冷たいが心地よい程度で、海の水は塩っからい疑いようの無い潮水だった。

ふぅう〜、っと息を吸い込んで、おれはもう一度海の中へ潜った。
今度は海中で逆さになって、下へと泳いでみることにした。

おれは泳げないが、潜る程度ならなんとか手足を動かして、少し潜っていけるようだ。

泡が無くなって視界が開けると、海の中は外から見ていたのとは色が違い、少し濁ったペールブルーのような色で、思ったより穏やかだった。
下を目を凝らして見てみると、うっすら見えている海底は砂地のようだ。
がんばって、手足を動かして、下へ、下へ、と潜っていく。
少しづつ、海の底の砂地が近づいてくる。
多分、水深15メートルくらいだろうか。
少しずつだけど、着実に潜っていくことが出来た。
なんとなく少し息苦しい感じはしているのだけど、でも、呼吸が出来なくてしんどくなるというほどではなかった。
きっと、おれは呼吸してないのかもなあ。なんてことを思いながら、海底の砂地は近づいてくる。


(続く)

  • ケニー

    ケニー

    2024/10/11 02:18:09

    > シフォンさん
    ありがとうございます!
    また後で続きを載せますね^_^

  • シフォン

    シフォン

    2024/10/10 19:22:00

    面白いですね☆*¨*続きが楽しみです(˶' ᵕ ' ˶)