パンの日
こんばんは!12日(土)は、全国的に晴れる所が多いでしょう。
ただ、北海道日本海側や東日本太平洋側、
それに南西諸島では雲が広がりやすく、所によりにわか雨や雷雨がある見込みです。
【川柳】秋をテーマに5・7・5で一句
A、秋バテに適度運動健康に
【パンの日】 Bread Day
☆パンの日は、日本におけるパンの歴史を振り返る絶好の機会です。
1842年4月12日、江川太郎左衛門英龍さんが初めて、
「兵糧パン」を作った人されています。
■兵糧パン
パンは1543年、鉄砲とともに日本に伝来しました。
「兵糧パン」は徳川幕府がアヘン戦争の為に開発したとされるパンです。
◇アヘン戦争の意義
アヘン戦争は、イギリスの清国(現:中国)侵略とそれに続く、
アジア植民地支配の大きな契機となりました。
この後・・・
清国は不平等条約や国土の割譲、租借により半植民地状態に転化します。
さらに過酷な国際政治に巻き込まれた清国は、
それまでの中華思想に基づく朝貢貿易、互市貿易という、
尊大な姿勢をとることが出来なくなり、
権威を著しく、失墜して衰退を早めることとなります。
*衰退・・・清国はその後も70年の命脈を保つ
同時にその一方で、
外国の侵略に対する清国民衆の運動は第2次アヘン戦争ともいわれる、
アロー戦争中に太平天国等となって続くことになります。
『アロー号事件』
1856年10月、広州港に停泊中だったアヘン密輸船のアロー号に対し、
清国官憲は海賊の容疑で立ち入り検査を行い、船員を逮捕しました。
イギリス領事のパークスさんは、
アロー号は(イギリス領の)香港船籍の船であり、
掲げていたイギリス国旗が引きずり下ろされたことは、
イギリスへの侮辱であるとして、抗議しました。
実際にはアロー号は香港船籍は期限切れとなっていまして、
国旗が引きずり下ろされたかどうかもはっきりしていませんでした。
パークスさんの抗議は、戦争の口実をつくる言いがかりでした。
尚、パークスさんは、幕末の駐日公使となりまして、
薩長と結びまして、幕府を追い込む役割を演じます。
『太平天国の乱の最中に開戦』
既に1851年から太平天国の乱が始まりまして、
清国政府の打倒を掲げる太平天国が天京(南京)に成立したことを、
好機と見たイギリス(パーマートン内閣)は、
1856年、広州でアロー号事件を口実に、再び清国との戦争に踏み切り、
1856年に起こりましたフランス人宣教師殺害事件を口実として、
清国への進出を狙っていたナポレオン3世のフランスと、
共同で出兵しました。
1857年12月、英仏連合軍は広州を占領します。
1858年1月には両広総督を捕えまして、カルカッタに連行しました。
さらに海路を北上しまして、5月に天津に近い大沽砲台を占領しました。
◆パンの日本史は織田信長公から
私達が普段使用している「パン」という言葉は、
ポルトガル語のpaoが語源といわれています。
パンは鉄砲と一緒にポルトガルから伝来しましたので、
実に深い歴史を秘めた名前です。
その頃・・・
織田信長公は「ビスコート」という、
パンが好きだったという文献がありました。
パン好き、異国文化OKの織田信長公に認められまして、
広まりそうになったところで、本能寺の変が起きてしまいました。
◇徳川幕府が復活させた「パン」
その後・・・
豊臣秀吉公がキリスト教を禁止した為に、
パン食文化も一度は火が消えてしまいました。
再びパンが日本史に登場しますのは、1840年のアヘン戦争の頃です。
清国に圧勝したイギリス軍が、
「日本にも攻め込むかもしれない」という危機感から、
戦争に備えまして、パン食が開発されました。
◆江川太郎左衛門さんとアヘン戦争とパン
日本で初めて本格的にパンを作りましたのは、
軍学者の江川太郎左衛門さんです。
イギリス軍を撃退する作戦を徳川幕府から命じられた江川太郎左衛門さんは、
戦争がリアルで起こった際に、
兵士が戦場で食すことが出来る食事までシミュレートしまして、
「パン」に目をつけました。
米は窯で炊きます時に、煙が出ます。
戦時中に煙が出ますと、敵に居場所を見つけられてしまいます。
ですが・・・
パンならばご飯と異なりまして、火を炊かなくても食すことが出来ます。
携帯で便利で軽く、持ち運びがしやすいこともポイントになりました。
こうして・・・
1842年、本格的な製パン所が創設されました。
長崎からパン職人を呼び寄せまして、パンを焼かせました。
これこそが・・・
日本人の為に徳川幕府が初めて作りました「最初のパン」です。
「兵糧パン」が誕生した瞬間です。
◇今も残る、始まりのパンの窯
結局のところですが・・・
イギリス軍は、日本に戦争を仕掛けませんでした。
ですが・・・
パンの文化は、ここから現代へと続くことになります。
◆兵糧パン、1842年のレシピ
兵糧パンを記した古文書が近代になりまして発見されました。
これは・・・
信濃松代藩の真田幸貫(ゆきつら)公の家臣、
金児(かねこ)忠兵衛さんに宛てた手紙でした。
・麦粉百六十目
・砂糖四十目
・玉子五ツ
このように分量まで、細かく記されています。
そして・・・
何と、イラスト入りでも記載されていました。
この兵糧パンのレシピで作ったパンが、
現在でも食すことが出来ます。
かじると驚愕の、固いパンです。
この「兵糧パン」は江川邸の入口で販売しています。
◇静岡県伊豆の国市韮山にあります、国指定重要文化財「江川邸」
入館料を払えば自由に見学することが出来ますが、
邸内スタッフによる、無料ガイドをお願いすることも可能です。
スタッフによるガイドの所要時間は約40~60分です。
『江川邸』
住所 :静岡県伊豆の国市韮山韮山1-1
電話番号:055-940-2200
営業時間:9:00~16:30(最終受付:16:15)
休館日 :年末年始(12/31~1/1)、
毎週水曜日(例外あり。又、学校を含めた団体予約は受付可能)
パン祖のパンは1年に1回だけ江川邸内の竈で焼きまして、
邸内にて販売致します。
種類は2種類あります。
・カネイルコック
・パン祖のパン
問題 「江川邸」では織田信長公、豊臣秀吉公、徳川家康公も味わったとされる、
「江川〇」という〇が江戸時代まで造られていました。
〇に入る飲み物を教えてください。
1、茶
2、酒
3、水
ヒント・・・〇(有)三島屋〇店 さん
住所 :静岡県伊豆の国市南篠741-1
電話番号:0120ー491-659
@江川〇 『担庵(たんあん)』 純米大吟醸 720ml
商品コード:E00001
価格 :2970円
原材料 :韮山町山田錦 精白50%
お分かりの方は数字もしくは〇に入る飲み物をよろしくお願いします。
gen_rin
2024/10/13 13:20:49
こんにちは!夜の疲れているところ、コメントとお答えをありがとうございます。
スズラン☆さん、どうもお疲れ様です。
そうですね、このように古い歴史がありますね。
あはは、確かにですね。
実は西洋で固いライ麦パンや古くなったバゲット等は、
スープの具材にして食す料理もあるのですよ。
その通りで、液体に浸けることで柔らかくなり、味も付きます。
私は、イタリア料理のミネストローネやアメリカ料理のクラムチャウダーの中に入れて、
食したことがありますが、美味しいですよ。
今季の秋や冬にピッタリなはずです。
問題ですが、2番の酒が正解です。
流石ですね、おめでとうございます(祝)
「酒は百薬の長」ともいいますね。
飲み過ぎは良くないのは有名ですね。
本日もスズラン☆さんにとりまして、やりたいことが出来る日であることを心よりです。
スズラン☆
2024/10/13 01:57:54
パンの出会いから兵糧パンへと、
かなり古い歴史があるんですね。
固いパンを想像してたら、
人さえ殴れる?フランスのパンを思い出しました(笑)
こちらは、水に少し漬けると柔らかくなるそうですが、
兵糧パンはどうだったのでしょうね?(^q^)
答え 2