ぴのぴののなんでも日記

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こどもの頃から日記は大嫌い。夏休み・冬休みの日記も最終日に書いたなあ。書き込み、カテゴリ少ないけど、どこでも大歓迎です。リアル記録をここに残してます。

『光る君へ 第40回!』いよいよあと何回?

テレビ

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 道内出張中に我が北海道日本ハムファイターズの2024年は終わっていたのでした・・・。大量の録画の山に潰されるうーー。
 チラ見したこの秋季の「無能の鷹」にあの一条天皇がダメダメ新入社員役で出ているっ!!この役者、大成するかもしれない!!
  
 では「光る君へ いよいよ第40回」の考察記録です。

  • ・容体の占いを一条天皇が盗み聞いているのはなぜか?
  •  道長が「わざと聞かせた?」さらに「わざと崩御と言わせた?」のか?

  • ・この回で何度も「崩御」の語句が出る。父兼家譲りの「毒」の気配?は考え過ぎか?

  • ・居貞親王夫婦の見せ方をダメキャラにしているのは、早期に退場することの伏線?

  • ・前々週くらいからの行成の表情を撮る。しかし、一条天皇の説得も行成だった。
  • 結局、敦康が順当?なのに、敦成で納得の論理がわからなかった・・・。

  • ・さらに彰子覚醒!国母の下地が出来てきた!

  • ・あえてまひろの前で「おんなに政・・・」は第1回目のオマージュ。

  • ・結局、隆家は何も動かず、仮想設定のウイカはまだ企みの気配?

  • ・双寿丸は前の義賊?毎熊や三郎のオマージュ。

 先週、惟規、伊周が退場してしまった!そして一条天皇。短命、長命が入り混じってる。まあ歴史ものの常か?
 今回の予告編のセリフ切り取りはまったく役に立ちませーん。何でもありえるっしょ。
                      かな?
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  • ぴのぴの

    ぴのぴの

    2024/10/28 00:24:43

    > ユーミさん
    まずは長文のご解説に深く感謝申し上げます。
    行成の説得部分はむっつかしいですねー。
    何度も読みましたけれど、いまひとつ、ここまでの一条天皇の想いと2系統交代論と、三条天皇(後ろ盾も含んで)をが強い訳、がわかんないまま事態が進んじゃった気がしてます。

    ところが、映画から帰って来ると、今夜は特番続きで、予約録画がめっちゃくちゃになっていて、大河ドラマもBS「団地のふたり」も録画が出来ていませんでしたああああ。

    NHKプラスを駆使して追いつきまーーす。

  • ユーミ

    ユーミ

    2024/10/27 16:12:00

    説もあり、在原業平と伊勢斎宮との密通云々が広く世に流布、不義の子の後裔が皇家に入った事を天照が許さないのだ、と信じる人が少なからず存在したかもしれないから、と考えてしまうのは穿ちすぎでしょうか。

    彰子覚醒、というか怒ってましたね、父道長に。
    それだけ一条天皇の事を愛しているからでしょう。
    まだ若いので、敦成親王の即位は敦康親王の後で良い、と考えてもいるのでしょうが、40代半ばになった父の焦りが理解できないのでしょう。
    この時代の40代半ばはそろそろ人生の終わりが見え始める頃なので、道長の焦りは仕方がないのですけどね。

    今回の内容は、ほぼ史実通り(細かく見ると違いはありますが)。
    オリジナル展開は双寿丸と賢子の絡みのみです。双寿丸はオリキャラですが平為賢(たいらのためかた)配下の武者と今回明らかになりましたので、1019年の刀伊の入寇での活躍が期待できるかもしれません。
    平為賢は刀伊の入寇で活躍し肥前国を与えられ薩摩平氏の祖になります。その配下なので、多少は…ね、期待しても良いのではないかなぁ、と思いたいです。
    ちなみに双寿丸は、義賊というか内裏で引き剥ぎをした連中とは無関係です。
    ドラマでは小袖を着てましたが、実際は素っ裸に剥かれたそうなので(しかも真冬に)、正直義賊とは言いたくないですね。

  • ユーミ

    ユーミ

    2024/10/27 15:47:45

    居貞親王は自身の嫡男である敦明王を東宮にしたいと望んでいますから、それに道長が道長が味方した場合は一条天皇の父円融帝からの血統が今後即位出来なくなってしまう危険性がある、と行成は言っている訳ですね。
    三点目はドラマでは省かれましたが、敦康親王は母后定子から高階氏の血を引き継いでおり「斎宮の事」の後胤。敦康親王が天皇になれば神の恐れがある、というもの。
    「斎宮の事」とはし高階師尚(たかしなのものなお)を指し、この人物は平安初期の貴族在原業平(平城天皇の孫/平安きっての色男・美男と言われています)が伊勢の斎宮恬子内親王(やすこないしんのう)と密通した結果生まれた、という風説があります。典拠は「伊勢物語」なので風説の域を出ない伝承にすぎませんが、その風説が広く浸透していたのも事実の模様。
    神聖な伊勢の斎宮との密通の結果生まれた子の血を引く親王が即位したら皇祖神である伊勢の神、要するに天照大神がお怒りになるので、神宮で祈り謝らなければいけない、というわけですね。
    ただし、この三点目は行成は実際に言ったかどうかは実は怪しいところで、後世に行成の権記に書き加えられた疑いがあります。
    「光る君へ」の歴史考証の倉本氏も後に書き加えられたものだとされているので、ドラマでも省かれたのかもしれません。
    四点目は、帝が本当に敦康親王の事を思うのなら、年爵・年官・年給を与え家令を置けば良い(要するに十分な皇族としてのお手当てを与えてあげて、何不自由なく生きられるようにしてあげた方が良いよ、という意味)。

    誰よりも信頼する行成にまで説得された結果、一条天皇は敦康親王ではなく敦成親王を東宮にする事を決意しました。最も愛した定子との子を天皇にしてやれない事は、一条天皇にとって無念だったと思いますが、後見の弱い天皇の行く末を想像できない一条天皇ではなかったでしょうから、やむを得ないという諦念もあったのではないかと思います。

    敦康親王は高階氏の云々というくだりが後世に書き加えられたとしたら、皇后定子が若くして亡くなったこと、定子が残した3人の子のうち二人が早世(そこそこ長生きしたのは修子内親王のみで生涯独身)、敦康親王の娘(藤原嫄子/ふじわらのもとこ)は後に藤原頼通の養女として後朱雀天皇の中宮になって二皇女を産みますが、産褥で亡くなります。作り話だと思いますが、神宮で沐浴中に雷に撃たれて亡くなった

  • ユーミ

    ユーミ

    2024/10/27 15:04:03

    なる要因は満載です。
    ですから、「毒」という線もまぁ無し。
    というか、天皇毒殺はまずありえません。
    ドラマで兼家が円融帝に毒を盛らせたのも、体調不良からの譲位を目論んだもので殺害は意図してませんし、史実の兼家は薬を盛ったりもしていませんから。
    怨霊を本気で怖れていた平安貴族は、天皇と言う最も高貴な存在を害したらどれほど恐ろしい怨霊になるか、と考えていた筈。菅公(菅原道真)をも凌ぐ怨霊の祟りが降りかかるかも、と思えば下手な事は出来なかったと思います。

    東宮の居貞親王は「帝はそんなにお悪いのか」と口では心配しながら顔が思い切り裏切ってましたね。
    しかし、25年待ちに待った譲位ですから「やっと俺の時代が来たぜ」と喜びが爆発してしまったのでしょう。決して駄目キャラという訳ではないかと。
    一条天皇より4歳年上の36歳ですからねぇ…
    それでいて在位は数年程度。結局この方も短命でした。
    長命な天皇もいますが、近親婚が多いせいか虚弱な短命の天皇が多いですね。

    居貞親王が即位した際の東宮に誰が順当か、と言えば一応皇后所生の第一皇子敦康親王ではあります。
    しかし、ドラマで言われていた様にとにかく後見が弱いです。しかも赦されたとはいえ、一度は罪を得た家しか後見たりえません。
    即位出来ていたとしても、花山天皇より後ろ盾が弱くて早々に退位に追い込まれていたのではないでしょうか。
    飛鳥の頃の蘇我氏、藤原不比等以降の藤原氏、と天皇家は強力な外戚を必要として来ましたので。
    外戚の方も天皇家を必要としましたから、ある意味共依存かも。

    さて、行成は4点を挙げて敦康親王より敦成親王が相応しい、と説得しました。
    まず、清和天皇を例に挙げ、強力な外戚である藤原良房を祖父に持つからこそ清和天皇は即位出来た。現在強力な外戚は左大臣道長であり、その孫は敦成親王である。
    次いで、皇位というものは神の思し召しによるものであって、人間の力の及ぶところではない、と言いう事。
    ここは具体例が上がらなかったので分り難いかと思いますが、淳和天皇の第二皇子で仁明天皇の東宮になった恒貞親王を指しています。この親王は東宮に立てられながら承和の変(じょうわのへん)という政変で廃太子され即位出来ませんでした。
    要するに、敦康親王を無理に東宮に立てた場合、左大臣が居貞親王側に立って敦康親王の即位を阻む可能性を示唆した訳です。

  • ユーミ

    ユーミ

    2024/10/27 14:02:17

    こんにちは^^

    大江匡衡(おおえのまさひら)の占いは、史実では天皇の寝所の傍で行ったのではなく、もう少し離れた場所で行われました。
    そこで思いがけなく崩御の卦が出てしまった為に道長が狼狽し、天皇の病気平癒の祈祷をしている僧侶の元へ行って「帝崩御の卦がでてしまった、どうしよう」という感じで僧侶と一緒に泣き出した、と伝わっています。
    ドラマでは、セットの問題もありますし(寝所と目と鼻の先という距離感は実際にはありえないでしょう)、悪い卦がでたからと泣き出すのは、今迄培われてきた道長のイメージにそぐいませんのでドラマの様な演出になったのだ、と思います。
    ドラマの道長としては、帝の譲位が吉である、という卦が出たら一条天皇に譲位を薦めやすい、くらいは考えていたかもしれませんが、想定外だったと思います。
    大江匡衡にわざと悪い卦を出させたという線も、まぁ無いでしょう。

    一条天皇の崩御が想定外だった、というのは、そもそも一条天皇はドラマでは描写されてきませんでしたが子供の頃から病弱で、成人してからも割と頻繁に病臥するくらい体が弱かったと言います。
    ですから1011年の病臥も、公卿達は「またお上が体調を崩された様だが、そのうち回復されるだろう」くらいにしか思っていなかった模様。
    それが一気に悪化した為驚いた様です。
    ただ、在位は既に25年に及び、醍醐天皇や村上天皇に次ぐ治世の長さ(古代の天皇のありえない長さの治世は当然除きます)でしたので、東宮が帝より4歳上という事もあり、そろそろ譲位をという考えは一条天皇自身にもあったらしいです。
    ただ、譲位後の東宮を誰にすべきか、という点に悩んで譲位に踏み切れなかったわけですね。

    ところで、史実の一条天皇が亡くなった原因は明らかではありませんが、ドラマの一条天皇は脚気からくる心臓機能の低下を想定しているのかな、と思ったりします。
    実際、皇族や上級貴族に脚気は多かったらしいですし。
    フラグというか伏線は、まひろが敦成親王誕生後の宿下がりで中宮彰子から持たされたお土産のお米が白かったこと。ドラマ中でも、きぬ(乙丸の恋人、越前から一緒に来た人)が「こんなに白い米は初めて見る」と言った趣旨の発言をしていました。これは、内裏では綺麗に精米された白米を日常的に食べている事を示していると思えます。
    仏教の浸透で獣肉食はしなくなっていたでしょうし、脚気に