『光る君へ 第41回』をNHK+でやっと・・・
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選挙+大リーグ+日本シリーズのおかげで、週間録画予定がめっちゃくちゃ。『侍タイムスリッパー』を観に行って感激してるあいだにとんでもないことになってました・・・。
ではやっとNHKプラスで追いついた「光る君へ 41回」の考察記録です。
- ・ロバートへの三条天皇の別名とは何か?
- ・関白辞退の深い意味は?両面押さえて、いいとこどりすればいいのに。
- ・すけこ・きよこの女御の真意は?より皇子を産む確率を高くするため?
・和歌連発には笑えなかった?・・・・。
- ・ウイカの反撃はここまで?これが始まり?
- ・敦康=光源氏モデルなら、キャスティングが弱過ぎーーーっ!!このドラマタイトルのモデルがあんなんじゃなあ。
- ・双樹丸の親分は源氏の祖??もっと前の代?
- たぶん平氏の祖もこの時期どこかに?
- ・「殿様」という言葉はこの頃に出来た?
- ・彰子の4弟は四納言の対抗?なりえるのかあ?
- ・敦明親王に悪さの気配。
- ・すけこの出自はなんだっけ?
- ・三条天皇の攻めの人事介入→明子母子との不仲。行成離反。よって今週のタイトルが「揺らぎ」かあ。
道長闇落ちの気配を各所に散りばめつつ、最終回にどう真意を一気に暴露!!ともっていくか?それとも『鎌倉殿~』パターンのすべてを背負ってまひろのみに見送られるか?
大石静香大先生の大団円の持ってき方の腕がためされるねーーー。
かな?
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ぴのぴの
2024/11/03 20:08:09
> ユーミさん
BSでの1回目を観る前に、拝見することができました!!
どうもありがとうございました。
いま、字幕付きい゛2回目を観ています。
あさっての降雪の備えで、全身クタクタです。
ユーミ
2024/11/03 16:20:37
彰子自身も初の女院になった詮子に続いて女院となり院号を上東門院(じょうとうもんいん)と称しますが、大女院(おおにょいん)とも称され、藤原実資からは賢后(けんこう)である、と称賛されることになります。
敦明親王に悪さの気配…?
今のところ、自分の立場の脆弱さに全く気付いていない感じではありますね。
母親が卑屈なほど妍子に頭を下げている理由を理解しようとしていません。
藤原顕信の出家で明子が道長を責めていましたが、道理は道長の方にあります。
三条天皇の人事はかなり不当なもので、それを認める見返りとして顕信の蔵人頭就任を受け入れてしまえば、道長が私情で政治を壟断している、と非難されても仕方がない事態になりますので、道長としては決して受け入れられない事でした。
また顕信自身が少々醜聞を起こしていたので、そのような者を帝の秘書的立場の蔵人頭にする訳にはいかない、という判断もあったと思われます。
父と息子との間でもう少しコミュニケーションがとれていたら、出家と言う事態にはならなかったと思われますが、倫子の子である頼通や教通とは土御門殿で同居していますので(息子たちがどこかに婿入りするまでは同居)日頃の会話もあったでしょゆうが、明子の子である顕信とは道長が明子の邸(高松殿)に通った時に話す程度だった筈なので、圧倒的にコミュニケーション不足だったのでしょうね。
またドラマの明子は倫子に対してライバル心が強く、息子たちにも日頃から土御門殿の子達に負けるな、と言い含めていたのでは? と思えます。
明子は道長を責めていましたが、個人的には明子の責任の方が大きい気がしますね。
脚本の大石静氏は、道長の闇落ちは無い、最期までホワイト道長で行く、と一応明言されているそうです(あくまでも一応なので、変更はあり得ます)。
とりあえず「鎌倉殿~」のパターンは無いのでは?
クランクアップの写真を見たら、道長が出家した僧形だったので「光る君へ」のラストは多分道長の死なのかな? とは思いますが。
ユーミ
2024/11/03 15:53:29
清少納言としては、藤壺の女房達が既に鈍色(にびいろ)の喪服を脱いで華やかな衣裳をまとって楽し気に歌を詠んでいる藤壺の状況そのものが気に入らなかったのでしょうね。
「亡き皇后定子様が残された敦康親王様を藤壺から追い出しておいて、亡き帝の喪も明けやらぬうちに楽し気に歌の会を催すとは、なんてとんでもない」
「敦康親王様のことはもうお忘れになってしまったのですね」
等々と感情が爆発したのでしょう。
ただ、まひろ達藤壺の女房達が裳鈍色の衣裳を脱いでいたのは、亡くなった帝の身内(中宮彰子や皇子達は)と仕える者達(藤壺の女房達)とでは服喪期間が違います。当然身内の方が服喪期間は長く、女房達が元の華やかな女房装束に戻っていても、彰子自身はまだ鈍色の衣裳だったのはそのため。
むしろ、鈍色の衣裳で藤壺に参内した清少納言の方が異常とは言わないにしても使える側としては服喪が長すぎます。
多分わざと着てきたのだろうと思いますけどね。
光源氏のモデルは敦康親王のみならず複数存在します。
立場で言えば、文徳天皇(ドラマ時点から150年くらい前の天皇)の第一皇子で父文徳帝から鍾愛され期待されながら、母親の身分が更衣で後ろ盾になる親族がいなかった為に東宮になれなかった惟喬親王(これたかしんのう)の方がより該当します。
輝くような美貌は、平安きっての色男在原業平が相当しそうですし、藤原伊周もモデルの一人ではないか、と言われています。
光源氏が権勢を振るい始めてからは道長がモデルと言われていますし、光源氏が須磨に一時退去していた頃のモデルは道長の妻明子の父源高明(みなもとのたかあきら)ではないか、ともされています。
双樹丸が仕えているのは、平為賢(たいらのためかた)で薩摩平氏の祖です。
ちなみに、平清盛の祖先になる伊勢平氏の祖は平維衡(たいらのこれひら)でドラマでは名前のみ登場。除目で伊勢守就任を道長に反対された人です。
武家の源氏は、今のところドラマには殆ど出ていませんね。
「殿様」という言葉が何時頃から使われ始めたのかは明確には分かっていません。
日本の時代劇ではお馴染みの言葉、ということで脚本の大石氏も使われているのだろうと思います。
彰子の弟たちは、いずれは四納言達を越えて出世していきます。
現左大臣、後の摂政の息子という立場は伊達ではありません。
ユーミ
2024/11/03 15:06:48
こんにちは^^
実資への三条天皇の別名というのは、ちょっと分かりません。
後に彼が右大臣になってからは、「賢人右府」と呼ばれる様になるのですが、それは多分三条天皇の御代ではないと思います。
道長が関白になる事を固辞した理由は、はっきり言ってしまえば旨味がないからです。
たしかに関白は左右大臣の上を行きますが、陣定(じんのさだめ)というい公卿が集まって行う会議への出席が出来ません。
関白の役割は天皇の補佐ですが、成人している天皇が補佐として使わなければ、関白は名ばかりのお飾りと化します。
花山天皇時代の声の小さい関白藤原頼忠を思い出してください。関白と言う地位にありながら影が薄い人でした。
三条天皇が道長に関白就任を打診したのは、叔父である道長を尊重して、という意見がある一方で関白に祭り上げ陣定に出る権利を失わせて影響力を削ぐ意図があった、という意見もあります。
個人的には後者ではないかと思っております。
少なくとも、ドラマの三条天皇はそんな感じですよね。
藤原娍子(ふじわらのすけこ)と藤原妍子(ふじわらのきこよ)を女御に、というのは、東宮時代ならともかく天皇に即位した後に妻が身位を持っていないのはまずいからでは?
ただし、妍子の場合は左大臣の娘で本人も従二位という位階を持っているので女御になるのは当然として、娍子の場合は父である藤原済時が大納言でしかなく、かつ既に亡くなっていて(道長の兄道隆より先に亡くなってます)後ろ盾が無く、本人も無位無官という状態なので本来なら女御になれる立場ではありません。
ドラマ内での道長の意見は至極当然の事です。
しかし三条天皇は、東宮時代から長年連れ添った娍子を寵愛しており、彼女が産んだ長男である敦明親王をいずれ天皇にしたいと考えていますから、娍子に確固たる地位を与える事で敦明親王の足元を固めたい、というい意図があったと思われます。
妍子に万が一皇子が生まれた場合、敦明親王より妍子が産んだ皇子の方に東宮いずれは天皇の位を持っていかれてしまう、という危惧もあったでしょう。
道長の影響を排除して天皇親政を行いたい三条天皇としては、娍子を女御にする事は最低限行わねばならない事だっただろうと思います。
ききょうこと清少納言が激昂したのは、和歌連発のせいではないです。
和歌の会なのですから、]和歌を詠み合っているのは当然。