syoco

忘れられない先生

今週のお題

先生とは付かず離れずの関係でいたいなといつも思ってました。

悪い意味で忘れられない先生がいます。
中学一年の時、凄く虐められている女の子がいて不登校気味でした。
お昼も満足に用意してくれないような家庭だったみたいで可哀そうなのに、いじめのターゲットでした。
私は大人になった今でも時々辛い気持ちで思い出す事があります。
虐める子は大体同じ5-6人の子達、取り囲み、時には暴力の喧嘩に発展する事もありました。虐められている子も負けてなかった。
泣き言は何一つ言わなかった。当時私は級長で喧嘩が始まると同級生が呼びに来ました。
先生はあまり関知せずに、まあ今から考えると経験度の高い、マンネリ先生だったかもです。大人になった今はそう思う。
朝のミニテストの採点を自分ではせずに私にさせてましたので私は昼休みなどの時間を採点に当ててものすごく時間に追われる生活でした。
そんな中で喧嘩が始まり私は呼ばれて、止めにはいります。こっちも頭に来てますよ。何故にこんな無駄な事をしているのかと思いました。
虐める子達の事です。よってたかってこぶしを振り上げるので私はたまには先に私がなぐってやろかと思いました。
私はクラスの皆からは一応尊敬されていた様子です。
で、丁寧語で「何をするんですか?」と、びっくりしたいじめっ子達。そこへ先生がやって来て、いじめっ子達が私から殴られたと先生にいいました。私どれだけ怒られたか!
お前、級長のくせに何をするんだ!とね。そして廊下に立たされました。
その時の事を反省しているかって? いいえ反省してません。いじられた子は何度でも殴られた。一回くらいは同じ思いをしてもいいだろう。このような事ばかりでよく私は廊下に立たされるクラス委員長として有名になりました。
社会人になってからある日の事道端でいじられていた子にばったり出会いました。
私の事を探していたそうです。そして「あの時は有難う、中学時代の良い思い出はたったひとつだけ、syocoさんがかばってくれたことです」と、その時に合ったのを最後にもう会う事もなくて過ごして来ました。本当は先生にもっとかかわって欲しかったです。私を叱っても解決なんてしないです。
私はまだ子供で良い解決方法を知りませんでしたが、彼女の中学時代の唯一良い思い出として残った事はとても嬉しいです。
悲しい事だけでは辛いから。
まあ、先生もきっと忙しかったのかもですが、ベテランの先生ってね。でも今は私はその当時の先生の年よりも年齢を重ねました。
「先生、先生も色々私の知らないところで大変だったんでしょ。ゆるしてあげます。」いじめっ子達もきっと反省している事でしょう。で、私は? 反省はしていませんよ。

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