ジュンチャン

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平安時代日記 その6 千年美女、小野小町の正体は

自作小説

絶世の美女として美人の形容詞にすらなっている小野小町だが、彼女は歌人としても一流で、平安時代前期に活躍した六歌仙の一人になっている。
音出ます 。クリック↓
http://youtu.be/ApFbEJutGxM
画像を小さくして読んでください。(音を聞きながらだと倍楽しめます!!) 

 小野小町は通称で、「小野氏出身の天皇の側室さん」という程度の意味である。

 小町は謎の人物で、正確なところは小野氏の出身で仁明・文徳天皇時代の女性であることくらいだという。小町伝説は全国に存在し、小町の足跡も全国に散在する。

  彼女の実名は、小野吉子ではないかという説が最も有力であるが、確実なものは何もない。小野吉子は仁明天皇の更衣(天皇の妃)である。

  更衣は中宮や女御などと同じ天皇の妃の位の一つであるが、中宮や女御と違って独立した殿舎は与えられず、大きな建物を仕切って部屋を作り、その部屋に住まわせられていた。

 その部屋を町と言ったのである。

 更衣は町を付けて呼ばれたということだから、小野小町は小野さんという名の更衣さんで、姉がいたので姉と区別するため、小町と呼ばれたという。 

 その、小野小町、古今和歌集の紹介では「古の衣通姫(そとおりひめ)の流れなり。あわれなるやうにて、つよからず。いはば、よきおんなのなやめるところに似たり。つよからぬ女の歌なればなるべし。」となっている。


  小町の歌は、ここでは「古事記」に登場する絶世の美女「衣通姫」の歌に比較され、美しい品位のあふれたいかにも女性的な歌として紀貫之に絶賛されているのである。小町絶世の美女説は、どうやらこの紀貫之の紹介文に寄るようである。

 古事記では衣通姫(そとおりひめ)は絶世の美女として紹介されており、その衣通姫(そとおりひめ)と小町が似ていると解釈され、いつの間にか絶世の美女「小野小町」が誕生したようである。

  実は小町は、そんなに美人でなかったかも。
 
それに平安時代の美人の基準が基準だから。

 下ぶくれの大きい顔の女の人(いわゆるおかめさん)で髪の長い女が美人の条件。

 平安時代の住居は暗かったので、大きい顔でないと目立たないのだ、本当の話です。

 京都は平安時代から千年の間日本の都として君臨し、日本全体の「歴史の保管庫」として膨大な量の世界的遺産を抱えている都市である。

  私には小野小町が、京都そのもののように思えてならないことが度々ある。

 小野小町には、千年の都として君臨した京都そのものの「魂」が付きまとっているように感じるのである。京都の魂と化した「妖怪」のような雰囲気がする。

 小野小町は、あなたかもしれませんよ。

 小町の歌は、宮中の名も知れない大勢の女官達の声の集まりのようであり、もっとはっきり言えば、大勢の小野小町がいて、彼女の作と伝えられる作品を作っていたのではないかということだ。

  たぶん、小町さん達の作品と言った方がより真実なのだろう。

  彼女の歌の世界は、現代人にも十分理解できるものである。彼女は夢の世界を歌にした初めての女流歌人だが、このような歌を詠む。


  いとせめて 恋しき時はむばたまの
     夜の衣を 返してぞ着る


 貴方のことが恋しい時は夜着を裏返して着てみようかしら?せめてあなたの夢がみられるように



 さて、ここからが問題

問題6
   小野小町の上記の歌を参考に、歌を作ってください。
   これまでで最大の難問です。よろしく、小町さま。