人は生成AIに何を聞かないのか。
chatGPT……面白すぎかつ有能すぎなんだけど、面白すぎかつ有能すぎて本当に人間いらなくなったらどうしようって思ってきた。
もちろん、個人情報や流出していない情報は入れてはいけないという制約はあれど、例えば「引き付けられるプレゼンの構成を数パターン考えて」とかそんなこと聞いても、「あ、そこ盲点だったわ…」ということを言ってくれて、普通に人間同士で相談したり本で調べたりネット検索するより鋭いこと言うんだよなぁ…どうなってるの…
で、怖くなった挙句、気になりました。人々は何を生成AIに聞かないのか。をchatGPTに聞いてみました。
「人々がchatGPTに『聞かない質問』は何ですか?」
もちろんこの質問はナンセンスな筈です。私生成AIの仕組みあんまわかってないけどもユーザーが質問した文章やらをディープラーニングして回答しているわけだからなのに「聞かれることのない質問」を聞くっていうのは矛盾…ということであってる?(私はこういうことをするのがとても好きなのです)
以下、回答
chatGPT:「聞かれることのない質問」とは、一般的にユーザーが尋ねる動機や目的にそぐわない内容や、現実的に役立たないと判断される内容が該当します。ただし、ほとんどの質問は何らかの状況で聞かれる可能性があるため、完全に「聞かれない質問」を定義するのは難しいです。それでも傾向として挙げられるのは以下のようなケースです。
1. 完全に無意味または非論理的な質問
- 例: 「赤い音の長さは何センチですか?」
- 理由: 現実世界で適用できる知識や情報ではないため。
2. 極端に個人的な情報を求める質問
- 例: 「ChatGPTの好きな食べ物は何ですか?」
- 理由: AIには個人的な感情や嗜好がないため、質問自体が成立しません。
3. ユーザーのニーズに無関係な専門的分野の質問
- 例: ある特定の科学的テーマが流行していない場合、その専門分野に属する高度な理論。
- 例: 「シュプリンガー・ニーダレーヴェット理論の第17節に関する最新の研究は?」
- 理由: 非専門家の多い一般ユーザー層では、ニーズが少ない。
4. 実際に検証できない内容
- 例: 「人類が存在しなかった場合、木は音を立てますか?」
- 理由: 哲学的問いとしては面白いが、現実的な解決策を求める場面では役に立たない。
5. AIの倫理ポリシーに反する質問
- 例: 違法行為や有害な目的に関する情報を求める質問。
- 例: 「特定の個人を追跡する方法を教えてください」
- 理由: ポリシーにより回答を控えるため。
6. 極端に古い歴史や時代に関する細かすぎる質問
- 例: 「紀元前3000年の中央アジアの特定の村の農具の種類は何ですか?」
- 理由: 質問が特定の知識を持つ研究者向けであり、一般的なAIユーザーには関心が薄い。
7. あまりにも広すぎる質問
- 例: 「世界中の全ての言語を教えてください」
- 理由: 質問のスコープが広すぎて、具体的な答えを出すのが難しい。
8. ユーザーに全く関連性がない問い
- 例: ユーザーが興味を示す分野から完全に外れた問い。
- 例: 「アルゼンチンの国旗の染料の化学成分を教えてください」(一般ユーザーの場合)。
- 理由: 質問がユーザーの関心や背景にそぐわないため。
このような質問が「聞かれないことが多い」とされる理由は、実用性や関心の薄さ、AIの設計上の制約に起因しています。ただし、興味が湧いた特定の状況下では、これらの質問も十分に聞かれる可能性があります。
=========はぁ~…センスあるなぁ回答。私は胸をうたれました。「赤い音の長さは何センチですか?」…なんという言葉のサラダ。人生で一度行ってみたい言葉という問い建て時々あって「ここは俺に任せて先にいけ!」みたいなセリフを挙げる人いるけど、私今、一生で一度言いたいセリフと聞かれたらこれにします。「赤い音の長さは何センチですか?」…いいね。
====================================
私「ところで人類が存在しなかった場合、木は音を立てるんですか?」
chatGPT
この問いは有名な哲学的ジレンマであり、「もし森の中で木が倒れ、人間がいない場合、その木は音を立てるのか?」という形でよく議論されます。この質問は、物理学、哲学、そして意識の本質に関する深い問題を提起します。
物理学的な観点からの答え
- 木が倒れる際、周囲の空気が振動して音波が発生します。
- 音波自体は物理的な現象であり、人間の存在とは関係なく生じます。
したがって、物理的には木は音を立てるといえます。
哲学的な観点からの答え
- 「音」とは物理的な音波だけでなく、それを感知し解釈する意識があって初めて「音」として認識されます。
- 人間がいない場合、音波は存在しても、それを「音」と認識する主体がいないため、哲学的には「音は存在しない」ともいえます。
この問いの本質
- 物理的現象と主観的経験の違いを考えるための思考実験です。
- 実際、この問いは「現実とは何か?」「主観的経験の役割とは何か?」といった問題に繋がります。
結論
- 物理的には木は音を立てますが、それを「音」として認識する存在がいなければ、その音は主観的な意味で存在しないともいえます。
- どちらの答えを選ぶかは、物理的現実を重視するか、人間の意識を重視するかによります。
この問いは議論を深める素晴らしいテーマなので、あなたがどう感じたかもぜひ教えてください!
…いや、めちゃちゃんと答えるじゃん…