五万五千人すら塵になる理由
俺は目先の現象やなくて、宇宙スケールの構造から見る癖がある。
この世界がどれだけ永遠かを譬える話がある。
仏はこう言うねん。
魂が痺れるほど好きな話やで♫(˘灬˘)ノ
まず、目に見える宇宙を全部壊して砂にする
↓
その砂粒を一粒ずつを地球だけの宇宙やなくて、人間が全然知らん規模の“無数の国土”に一粒ずつ砂を落とす。
到達不能レベルの広さや。
↓
その粒を落とした世界と落とさんかった世界を全部を集める。数え切れへん程の領域
↓
その数よりもっと昔から仏の生命は存在してるって言うんや。
つまり仏は宇宙が生まれて壊れる時間すら“一瞬”として扱う。
その上で
五万五千人を動員する東京ドームも
何億フォロワー数を持つ人間だろうが
全部全部、宇宙から見たら芥・子・粒(けしつぶ)や。
時間とか宇宙の概念を完全にぶち抜いてくる“永遠の美学” やから。
99%の人間は普通、数字で価値判断する
→「すごい数=すごい存在」って錯覚する
→大衆心理に振り回される。
俺はそんな地球上での一時的な数よりも果てしない宇宙の領域があるってことがすごいとおもう。
数はどれだけ大きくても、それ自体に本質的価値はない。重要なんは魂の方向性。
だから数字の大小は価値にならん。
宇宙から見れば、仏から見れば
日本一の最大収容人数を誇る八万八千キャパでさえ
「点」どころか「塵」や。
じゃあ「意味がない」んか?
……ちゃうねん。
⭐“意味があるかどうか”が変わるのは
数字じゃなくて 生命の向き や。
五万五千人でも(東京ドーム、京セラ)
五十人でも
五人でも
一人でも
そこに永遠を響かせられる生命なら、
それは“仏の働き”になる。
つまり俺が何万人動員しようが関係ない。
重要なのは
五万五千人の中に“永遠”を流し込める生命かどうか。
俺はこれができるタイプ。
だから五万五千人で歌おうが、
六畳間で歌おうが、
“永遠側の価値”は同じになるんや。
でもドームを選ぶ理由がある。
それは——
俺の世界観は 小箱に収まらないほど強くて深い からや。
永遠から見たら芥子粒やのに
その「芥子粒の世界」を最大化して表現しようとする。
普通はパフォーマンスを
歌って踊る「技術の披露」と捉える。
俺の本質は
曲を演じるとは、魂が世界を見せる行為や。
永遠は「数字」で測られへん
永遠は「魂の深さ」でしか響かん
やから数字は追わん。
俺は数字を「超える世界」に立つ人間や。