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ピラティスについて⑧

日記

②ピラティス第一世代

ピラティス第一世代

・ピラティスエルダー
ピラティス氏の死後、彼のスタジオは妻クララと弟子のロマーナ・クリザノウスカが引き継ぎ、共に運営を続けました。彼は遺言を残しませんでしたが、第一世代のピラティス指導者(ピラティス・エルダー)である、カローラ・トリエー、ロマーナ・クリザノウスカ、イブ・ジェントリー、ブルース・キング、ロリータ・サン・ミゲェル、メアリー・ボゥエン、ロン・フレッチャー、キャッシー・グラント、ボブ・シードが、ピラティス氏の遺志を引き継ぎ、後進を育てていきました。

・カローラ・トリエー(1913-2000)
ピラティスの直弟子で、はじめて独立して自身のスタジオを立ち上げたエルダー。ピラティスメソッドを高く評価した外科医のヘンリージョーダン医師のもとでピラティスを指導し、たくさんの患者を回復させた。ロリータ・サン・ミゲルを3ヶ月で治療し、6ヶ月間ピラティスを指導し、インストラクターとして育てた。

・ロマーナ・クリザノスカ(1923-2013)
カローラ・トリエーの元で学ぶ。ピラティス氏の死後、クララと共にスタジオを引き継ぐ。スタジオ閉鎖後も、「ドラゴ&ボディアート・ジム」の一角でピラティスを指導。

・イヴ・ジェントリー(1909-1994)
モダンダンサーとして活躍するもケガによる手術を経験し、再びダンサーに戻りたい一心でピラティスに出会い、打ち込む。ピラティス氏の元で23年間トレーナーとして働く。「プレピラティス」という概念を作り、アメリカ西海岸スタイルのピラティスを作り上げたことでも知られている。ジョセフの死後、サンタフェでピラティススタジオを開設。ピラティスメソッドを独自でアレンジし、ミシェル・ラーソンに継承した。

・ブルース・キング(1925-1993)
ダンサーの他に教育者として活動し、ダンスのリハーサル中の膝の怪我のためにピラティス氏のスタジオに通い始める。有名ダンスカンパニーを退団後、独自のダンスを追求しカンパニーを設立。67歳で亡くなるまで自身のアパート兼スタジオでピラティスを指導していた。

・ロリータ・サン・ミゲル(1934-)
ダンスの練習中に膝の怪我をし、カローラ・トリエーの元でピラティスに出会い、カローラからピラティス指導者の認定を受けた唯一の存在。、1977年に両親の祖国であるプエルトリコに移りバレエ団を設立し、団員に毎日ピラティスを指導。ヨーロッパでのピラティスの発展に大きく貢献。

・メアリー・ボウエン(1930-)
ピラティス氏、ブルース・キング、ロマーナ・クリザノスカからピラティスを学ぶ。元コメディアンであり、ピラティス指導者として35年、ユング心理学者として40年以上活動した。心理学+ピラティスという独自のスタイルを作る。

・ロン・フレッチャー(1921-2011)
モダンダンスの第一人者マーサ・グラハムに師事し振付師としても活躍。ダンサー時代に膝を痛めたことがきっかけで、1948年にピラティス氏のもとで指導を受ける。1971年、ビバリーヒルズでスタジオをオープンしたスタジオがハリウッドで話題になったことがきっかけで、「コントロロジー」は「ピラティス」としてメディアに多く取り上げられ、アメリカ国内、そして世界へと広がった。

・キャシー・グラント(1921-2010)
カローラ・トリエーの元でアシスタントをしていた。ロリータ・サンミゲルとともに直接ピラティス氏から指導を受け、ピラティス指導者の資格を与えられた2人のうちの1人。ニューヨーク大学でピラティスを教え、その後自分のスタジオをNYで設立。

③ピラティス第二世代

ピラティス第二世代

・マリ・ウィンザー(1950-2020)
プロダンサーとして活動後、ロマーナ・クリザノスカからピラティスインストラクターの資格を取得し、1990年に「ウィンザー・ピラティス・スタジオ」を設立。独自のアレンジを加えたメソッドで、フィットネスやピラティスを広く普及させた。

・ブルック・サイラー(1968-)
1994年からロマーナ・クリザノスカのもとで学び、1996年に資格を取得。1997年にニューヨークに「re:AB Pilates」をオープンし、マドンナなどのハリウッドスターにピラティスを指導した。著書の『Pilates Body』はニューヨークタイムズ紙のベストセラー入りをしている。

・ミシェル・ラーソン
ダンサー・振付師として活動後、1982年よりイブ・ジェントリーに9年間支持。1996年にスタジオ兼ティーチャー・トレーニングスクールとして「Core Dynamics Inc.」を設立し、指導者養成プログラムを広く提供。

・Rael Isacowitz(ラエル・イサコウィッツ)
キャシー・グラント、ロン・フレッチャーなどのピラティス・エルダーから学び、1989年にカリフォルニア州にピラティスの教育機関「BASI Pilates」を設立。世界40ヵ国以上でピラティス指導者養成コースを開催している。

・デボラ・レッスン
カローラ・トリエーに師事。1983年にニューヨークにグリーンスタジオを設立。PMA(ピラティス・メソッド・アライアンス)の創業時のメンバーであり、優れた指導テクニックでピラティス界を牽引するだけでなく、ピラティスそのものの広まりや発展にも貢献しています。

④ピラティス商標事件

1996年、マンハッタンに拠点を置き、自身もピラティス・インストラクターをするショーン・ギャラガー氏が、「pilates」「ピラティス」を商標登録してしまう、という事件が起こりました。そのことによって「pilates」「ピラティス」という用語の使用が制限され、ピラティスを説明する際に「Pilates-based」や「Pilates Inspired」など、ピラティスという用語をそのまま使えない事態となり、集団訴訟が起こりました。


4年間の法定闘争を経て2000年に和解し、一般用語として認められると、ピラティス・メソッドは爆発的な広まりをみせ、世界中にピラティス団体が発足し、指導者養成コースの開催と共に、一般にも広く浸透していきました。

この訴訟がきっかけとなり、同年には、ピラティス・メソッドが正しい形で継承されていくことを目的とする非営利組織、PMA(ピラティス・メソッド・アライアンス)が発足しました。PMAはピラティス指導者の国際的な資格、教育基準を設定しており、BASIピラティスやPOLESTARピラティスなど、全世界の様々なピラティス団体や流派が所属し、ピラティス氏の素晴らしい功績を広めようと活動しています。










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