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恵方巻きについて②

日記


大阪鮓商組合が1932年に配布した「巻壽司と福の神 節分の日に丸かぶり」と題する広告チラシが、大阪心斎橋にあった鮨店「本福寿司」に残っている。

「巻壽司と福の神 節分の日に丸かぶり
この流行は古くから花柳界にもて囃されてゐました。それが最近一般的に喧傳して年越には必ず豆を年齡の數だけ喰べるやうに巻壽司が喰べられてゐます。
これは節分の日に限るものでその年の惠方に向いて無言で壹本の巻壽司を丸かぶりすれば其年は幸運に惠まれると云ふ事であります。
宣傳せずとも誰云ふともなしに流行って來た事を考へると矢張り一概に迷信とも輕々しく看過すべきではない。
就ては本年の幸運をば是非平素御愛顧蒙る御得意樣にも斯樣な事も御承知能ひ永續の御繁榮を切に乞ふ譯であります。
一家揃ふて御試食を願ひ本年の幸運をとり逃さぬやうお勸め申します。
昭和七年節分二月四日 惠方西北(亥子ノ間)
幸運巻壽司 一本金拾五錢 大阪鮓商組合
— 大阪鮓商組合 チラシ」

やはり大阪鮓商組合が1940年に配布した「幸運巻寿司 節分の日に丸かぶり」と題する広告チラシも大阪歴史博物館に所蔵されている。

「幸運巻寿司 節分の日に丸かぶり
巳の日に巳壽司と云ふてお壽司を喰べるやうに毎年節分の日にその年の惠方に向つて巻壽司を丸かぶりすると大變幸運に惠まれるという習しが昔から行事の一つとなつてゐて年々盛になつてゐます。
お得意様にも一家揃ふて御試食願ひ本年の幸運をとり逃さぬやうお勧め申上ます
昭和十五年 節分 二月四日 惠方西(申酉の間)
幸運巻寿司一本金廿銭 大阪市東区上本町一丁目美登利
御得意様 (昭和十五年二月 大阪鮨商組合後援會發行)」

「戦後」

1949年、大阪鮓商組合が土用の丑の日に鰻を食べる習慣に対抗する販売促進手段として、戦前に行っていた「節分の丸かぶり寿司」の広告を復活させたとされる。

大阪・船場の鮨店「吉野寿司」の大山雄市が、1955年ごろの節分に巻きずしの丸かぶりを目撃したと証言している。

「大阪ずしの老舗「吉野寿司(すし)」(大阪市中央区)の大山雄市さん(68)は「兵庫県のすし屋に入った1955(昭和30)年ごろの節分の夜。出前先で、仕事にあぶれた芸者衆が巻きずしを丸かぶりしていた。行儀悪いのに女の人がなぜこんなことを、と思ったが『いいだんなに巡り合えますように』という願掛けの意味があると教わった」と話す。「当時はごく一部の風習だと思っていた。後にこんなに盛り上がるとは」と驚く大山さんは「おせち料理のゴボウのように、長いもの、丸いものは縁起物の一つ。縁起物を食べて願いをかなえたい、何かにすがりたい、という思いは今の人も同じでしょうね」
— 毎日新聞、[食]巻きずしの「丸かぶり」 ガブリ、もぐもぐ…「幸せ来〜い!」、2004年1月26日」

1956年に刊行された岡部伊都子のエッセイ集『おむすびの味 続』には以下のように書かれている。

「今日二月四日は、幸福をよぶ節分でございます。
昔から大阪では、塩づけの赤鰯を焼いて食べたり、幸運の巻きずしを食べたりいたします。

(中略)

幸運の巻きずしというのは、幸運を丸々かぶるという意味から、切らないで長いままの巻きずしを、かぶって食べるのです。
— 岡部伊都子、『おむすびの味 続』」

1800年代のある年の節分の日に、大阪近郊の申村(現在の此花区伝法付近と比定)に住む老若男女が集まり、巻寿司を食す時に、切り分ける手間を省くために一本丸かぶりをしたというエピソードを、京都の鮨店が聞いて1960・1961年に売り出したとする説もある。

1962〜1964年度の民俗調査をまとめた『日本民俗地図』、大正末から昭和初期に食事の担当者だった人への聞き取り調査をまとめた『日本の食生活全集』を参照しても、立春の節分に巻き寿司を食べる記載は見つけられておらず、節分に寿司類を食すると記録されていたのは五目ちらし(東京)、五目ずし・にぎりずし(静岡県)、すし(徳島県・愛媛県)であった。

1960年代後半には、大阪の海苔問屋協同組合とすし組合が連携し、行事普及活動の一環として飛行機をチャーターして広告ビラを撒いた。ただしこれは、経費過多により1回のみの実施に終わった。

この時期、4代岡本文弥のエッセイ「品変る」(『ぶんやぞうし』新日本出版社、1980年、28-29頁)によると、大阪で節分をすごしたときに、「福ずし」と呼ばれる「馬の陽物大の海苔巻き」を「恵方に向かってかしこまる。それぞれ願い事を念じつつ福ずしを食べ終れば念願成就の由、但し口をきいたらダメ」という風習に出会ったことが記されている。なお、「少したべても『頂きました』の挨拶で許される」とのことである。

1973年から大阪海苔問屋協同組合が作製したポスターを寿司屋が共同で店頭に貼り出し、海苔を使用する太巻きを「幸運巻ずし」として販促キャンペーンが展開された。

1974年に大阪の海苔店経営者らがオイルショック後の海苔の需要拡大を狙いとして「巻き寿司早食い競争」を節分のイベントで開始、1977年に大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った同イベントがマスコミに取り上げられたこと、関西厚焼工業組合も同時期に宣伝活動を開始したこと、などが契機となって徐々に知名度が上がり浸透していく。

その後も大阪では、1月最終日曜日にとんぼりリバーウォークで「巻き寿司早食いコンテスト」が継続しているほか、節分当日に大阪天満宮で「1000人巻き寿司丸かぶりイベント」が行われている。




















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