かきくけこのブログ。

かきくけこ

かわいいかわいいと、かわいい連呼するブログ。読めばかわいいがゲシュタルト崩壊することうけあい。

ごはんちゃんと食べる。

日記

二十代の時、当然のようにというか、まぁそうなる運命だったようですが、拒食症でちょっと職場に「痩せ方おかしい休め」って言われるくらい引かれてた時がありました。ご飯食べるのをやめてる自分がなんかカッコイイみたいに思ってた時があったなぁ~って。拒食症治る時のきっかけが、「拒食症になる人は百パーセント母親と問題ある人」って精神科医がなんかのテレビで言ってたのを聞いた時で、え~~。拒食症って個人的な問題じゃないのか。って思ったんですけど、百パーの確率で母親と問題がある人って言われて、でも確かに。って思って、それを自覚すると、少し治りました。母親に負けたくない…って思ったから。自分の人生が、母親に損なわれてしまってるのか、って思うと、治らないと追い込まれて負けてるみたいに思って。勝ちたい…って思って、食事はきちんとしないといけないと思いました。そこまで深刻な症状とかじゃなく、気を付けたら何も問題ないタイプの私だったので、結局今でもそこまで深刻に周囲にも歯医者にも拒食症とかバレた事ない。ちょっと負荷がかかった人の軽度の話しだったんだと思う。軽度な私とはいえ、拒食症になる人っていうのをとても他人とは思えない私がいる。あでも、ちょっとやっぱり付き合ってる彼氏には「吐いてるの心配」って言われてた。なんかしら食事がおかしいのバレてた。




異食症
 拒食症とは違うんですけど、本来食べ物じゃない砂とか食べてしまう病気の人もいるようで(笑)いや、笑っちゃいけないんですけど、そういう人ってなんだか私みたいな人からすると、ほっこりするというか、いいなぁ~(笑)って思うんですよね。変なもの食べるほどに食欲あるっていうか、変なもの食べるほどに生きるエネルギーに満ちてるというか。そういう生命力というか、人間としての強さみたいなのが、いいなぁ~輝いてるな~っていうか(笑)グルメなのかなんなのか。しかし、そこには生きる活力がみなぎっているようで、絶望とは違う種類のエネルギーがあるようで、なんだかものすごく微笑ましい。鉄分不足で変なゲテモノ食べる人もいるそうで、栄養不足が原因ならばやっぱり治らないと本人の為にはならないのだと思う。大変だけど、美味しいモノを食べる事が、まともじゃない社会人として見下げられない条件でもあると思って回復して欲しい。


グルメハンターは賢い
 そういう私からすると、自分から絶食とかして、本来人生のおおいなる楽しみ、おおいなる悦び、おおいなる幸せである食事というものを愉しみとして楽しんでない私からすると、率先して楽しい食事、美味しい食事、ひいてはグルメハンターをしてる人をみると「勝ち組だな~」って思います。人生の最大の喜びの一つなんじゃなでしようか。美味しいモノを食べるって。刑務所に入ってるわけでもないんならば、当然人間がおいかけてもいい娯楽の、快楽の、最大公約数みたいなもんじゃないでしょうか。唯一?というくらい、人類すべての人が「おいしいものを食べる」っていう行為には、そこまで嫌悪感を催したりとか、激しい侮蔑は感じないんじゃないでしょうか。美食というものが貧困という観点からみたら、嘆かわしいとか いう人もいるかもしれませんが、美食というのは、ある意味、食べる行為というよりも、文明人の文化的な知性的な働きによる、優美なたしなみ、みたいなモノといえるんじゃないでしょうか。食べるという行為は、どこまでも人間が生存するための行為でありながら、人間は、その行為を文化的な、芸術的なものともいえる存在なんではないでしょうか。とりもなおさず、人間は犬猫じゃないんだし、食事が生存本能でしかない動物じゃないんだし、高度に社会性を持つ人間だけが、文化的な食事、四季折々の美しい暮らしというものを取り入れて生活するんじゃないでしょうか。もし人間が食事は栄養だけあればいい、美食は贅沢だムダだって言うようになったら、牛豚と人間の違いはまったくなくなるんじゃないでしょうか。たまには贅沢に食べたり、意味もなく桜餅食べたりと、社会をかんじながらの食事をするのが、頭のいい人だと私は思いますよ。もちろん、頭がわるい人でも、人間は人間。無理に美食やらグルメな食事をしなくても、人間ですけども。拒食症だった私のような負け組なほうの人間は、食事を大切にしないほうの人かもしれませんね。人生は有限。食事一回一回を、大切にして充実させたいものです(´;ω;`)切実に。


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