眠りの森 〜言葉の雫〜

ようこそ。ここは、胸の奥に深く沈んだ悲しみや、消えない寂しさを、一滴の水滴のようにそっと救い上げる場所です。木々が深い影を落とす静寂の森。そこは、誰にも見せられない孤独な涙や、言葉にならなかった切ない想いが静かに息づく世界です。独りきりで佇む夜、心に溢れる冷たい雫を、壊れやすいガラス細工のように大切に綴ります。果てしない寂しさに寄り添い、あなたの孤独の影をそっと包み込めますように。静かな痛みを分かち合う、終わらない夜の記録です。

忘却の家

人生

母は、一輪の向日葵のように笑って、
私の名を忘れてしまった。
それは、夏の夕暮れにふっと灯が消えるような、
あまりにあっけない、手品のような出来事であった。
「どなたでしたかしら」
その丁寧な言葉の礫(つぶて)が、
私の胸の、いちばん柔らかな場所を正確に射抜く。
ああ、神様。
これは罰でしょうか。それとも、母への贈物でしょうか。
母の頭の中では、
昨日と今日が、まるで古い活動写真のフィルムが千切れるように、
ちりぢりに、あべこべに繋ぎ合わされている。
かつて私を叱ったあの凛とした声は、
いまや、迷子の子供が口遊む歌のように頼りない。
私は、道化(ピエロ)のように微笑ってみせる。
「いいんですよ、お母さん。私も、自分の名前なんて、
さっきから思い出せなくて困っていたところなんです」
そんな嘘をつきながら、
胸の中では、泥のような悲しみが
静かに、けれども確実に堆積していく。
母は、死ぬまで私を忘れ続け、
私は、死ぬまで母を覚え続ける。
なんと滑稽で、残酷な、美しい約束だろう。
いまはもう、母はいない。
風の鳴る夜、ふと思う。
あちらの世界で、母はようやく思い出しただろうか。
あの時、名も知らぬ男に林檎を剥いてくれた、
その男こそが、自分の出来の悪い息子であったことを。


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