眠りの森 〜言葉の雫〜

ようこそ。ここは、胸の奥に深く沈んだ悲しみや、消えない寂しさを、一滴の水滴のようにそっと救い上げる場所です。木々が深い影を落とす静寂の森。そこは、誰にも見せられない孤独な涙や、言葉にならなかった切ない想いが静かに息づく世界です。独りきりで佇む夜、心に溢れる冷たい雫を、壊れやすいガラス細工のように大切に綴ります。果てしない寂しさに寄り添い、あなたの孤独の影をそっと包み込めますように。静かな痛みを分かち合う、終わらない夜の記録です。

最終宣告:記号を貪る屍(しかばね)たちの夜

小説/詩

文字を読むという行為は、本来、自己の解体と変革を伴う孤独な深淵であるはずだ。しかし、ネットの肥溜めに群がる輩にとって、書物は自らの貧相な実存を飾り立てるための安価な「意匠」にすぎない。
難解な衒学(げんがく)の衣をまとい、巨匠の骸(むくろ)の上で「理解できる特別な己」を踊らせる長文の輩。あるいは、知性をファストフードのように咀嚼し、浅薄な読了スタンプをコロコロと押し続ける消費ラリーの輩。彼らの本質は同じである。すなわち、「自らの空虚さを、他人の言葉で埋めようとする知の不妊症」だ。
彼らが画面に打ち込む言葉は、著者の魂への批評でもなければ、世界への洞察でもない。それは「私を見てくれ」「私は賢いのだ」という、去勢された自己愛の、醜悪で虚しい痙攣にすぎない。彼らはどれほど本を読み、どれほど文字を連ねようとも、一歩も前に進んではいない。ただ、自己愛という名の閉ざされた監獄の中で、言葉の死骸を積み上げ、その上に君臨する滑稽な王を演じているだけである。
本を消費しているのではない。彼らはただ、書物という神聖な墓碑の影で、自らの知性がゆっくりと腐敗していくのを、いいねの数と共に見届けているだけの、生ける屍(しかばね)なのだ。


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