どんぐりやボタンとか

ケニー

おれはよく浜辺や森の中、あるいは道端などで、落ちてるものを拾う。例えば、どんぐり、ボタン、貝殻、石、ちびた鉛筆、鳥の羽根、何かの部品、錆びた釘、などなど、ちょっと自分のセンサーに引っかかるものなら何でも。そして、それをコレクトして、部屋の棚の中にしまってある。

そんなふうに集まった自分の棚の中にある記憶や思い出、もしくは、新しい体験や、これからしたいことなんかをみなさんにシェアするブログです。

夢 (5)

自作小説

次の日の朝、ホテルの部屋のシャワーを浴びて、大きな鏡の前に立つと、左肩に蹴られた青あざが残っていて、動かすと多少痛みがあったが、殴られた顔は唇が切れたくらいで大したことは無かった。ああゆう大男の酔っ払いのパンチは往々にして大ぶりで見た目は派手だがその実、大して芯を食っていないものなのだろう。肩の痣も数日で治りそうだった。
なんだか鏡に映る青あざのある自分の姿が少し誇らしくも見えた。




それから、おれはしばらくそのホテルで暮らした。
朝早く起きて、1時間程度、じっくりランニングをする。
ホテルに戻り、シャワーを浴びて、ルームサービスの朝食を取る。
それからしばらく書き物をする。
自分に何が起こってるのか、本当によくわからないので、その時に思うことを書き留める日記のようなものだ。もちろん、バーでのケンカのことも記されている。
その後、ホテルの近くにある高級スポーツクラブの屋内スカッシュコートでスカッシュをする。
スカッシュのプライベートコーチをつけた。ルイスという若い男で、いつもスカッシュの相手をしてくれる。
スポーツクラブでも、偽名でストランドと名乗った。
スカッシュに気が乗らない時は、屋内プールで泳いだ。
1~2時間も体を動かして、ゆっくりシャワーを浴びて体を隅々まで丁寧に洗うと、とだいたいランチタイムになってる。
スポーツクラブ内にあるレストランで昼食を取って、ホテルへ帰る。
1か月もすると、フロントやボーイたちも顔馴染みになってきて、たまにフロントで立ち止まって世間話もしたが、高級ホテルらしく彼らはある程度の距離を保って、おれが何故このホテルに長期滞在しているかなんて不躾な詮索はしなかった。
だからこそ、こうゆう一流のホテルを選んだのだ。
それからホテルの部屋で昼寝をする。
起きると、5時頃で、おれは街へ出て映画を観る。
メインストリートに古い映画ばかりを上映してる小さな映画館と、最新の映画を上映してる大きな映画館があったので、気分次第で選んで行った。
映画を観たら、ホテルへ戻り、ルームサービスで夕食と酒を注文する。
このホテルは、安くはないが毎日日替わりのメニューもあり、酒の種類も豊富で、ちゃんとしたパティシエもいるのでデザートも旨い。
街のレストランへは一度も行かず、全ての食事をルームサービスかスポーツクラブのレストランで済ませた。
毎日、ほとんど同じ日々を過ごしていると、だんだん曜日の感覚も無くなっていく。
毎日欠かさずある程度の運動をしているのは、健康のためもあるが、しっかり眠れるようにだ。
おれはまたあの夢を見て、次はもうあの夢の世界に移り住もうと思っている。

こないだは、目覚まし時計で起きてしまったが、次はもう起きない。と決めていた。
現実の自分は失われてしまっても良いとさえ思っていた。
しかし、いつも何かおぼろげな夢の片鱗のようなものは見てるようだが、ほとんど熟睡であの夢を見ることは出来ないでいた。



ふた月も過ぎると、おれはもう妻と子供たちの顔もおぼろげにしか思い出せず、そもそも思い出そうとすることも少なくなってきていた。
日記に書かれることは主に自身の内面のこと、運動の記録(何キロ走ってタイムはどれくらいだったとか、スカッシュは何対何だったとか、スイミングプールを何往復したとか)と、あとは、あの夢への憧れが綴られることが多く、妻と子供たちのことが書かれることはほとんど無かった。

3ヶ月が過ぎる頃には、とうとう彼女たちの名前さえも思い出せなくなっていた。
自分が長年連れ添った妻と子供たちの名前をたった3ヶ月で忘れてしまうなんて、明らかに異常なことだったが、その時のおれはそれを疑問にさえ思っていなかった。
それから、そのくらいの時から、自分の中に、愛や、悲しみや、名誉や、欲望といったものは消え失せて、おれにあるのは、旨いものを食べたり、スカッシュで良いプレーが出来た時のシンプルな喜びや、ささやかな満足感だけだった。

欠けているのではなく、必要なものが必要な分量だけそこにある。という感じだった。
満たされるべき大きな器そのものがどこかに消えてしまったようで、今のおれはただの平坦なリノリウムの白い床で、そこには多くのものはいらなかった。
もしかしたら、これが本来のおれの形なのではないだろうか?
とてもシンプルでミニマルな形なのである。








ある日の夜、おれは月の上にいた。
うさぎみたいに。

月は直径2メートルも無いくらいの大きさで、きっとおれの身長(184cm)とさほど変わらなかった。
その上におれは立っていて、もちろん、周りは宇宙だ。
腕を伸ばすと地球を手に取ることが出来た。
地球は手のひらよりも少し小さく、とても大切な宝物ものようで、きらきらに輝いていて、特に魅力的なのは球体の美しい質量であた。
手のひらにすっぽりと収まった地球はリアリティのある質量で心地よい重みをおれの手に与えてくれていた。
更に手を伸ばせば、太陽にも届きそうだった。太陽は直径20メートルはありそうなとても大きなもので、さすがに熱すぎて、触れられるものでは無さそうだった。
後ろを向くと、火星や木星、土星も並んでいて、その後ろには天王星、海王星、冥王星も並んで見える。
やはり特に触れてみたいと思わせるのは美しい輪を広げた土星だった。
そして、紫色に輝く海王星も魅力的だった。
おれはまず土星を手に取ってみると、土星の輪はゆっくりと指で撫でて滑らせた。
それから土星を元の場所に戻して、海王星を手に取ってみた。
海王星は不思議と手の真ん中にしっくりと収まって、紫色の雲のような模様が星の地表をうねうねと動いていた。

おれは海王星を元の場所に戻すと、思い切って月から一歩出てみることにした。
宇宙に落ちてしまうのだろうか?
恐る恐る宇宙空間に右足を一歩踏み出すと、一瞬、ふっと落ちるような感覚があり、そこは部屋の中だった。
小さな部屋で、素敵なベッドと化粧用の鏡がある。窓は空いていて可愛らしい花柄模様のカーテンが風に揺れている。
窓から外を見ると、浜辺が広がっていた。
天気は良くて、雲一つない。
おれはすぐにその浜辺が、あの浜辺だと気がついた。

今、ようやくあの夢の中に戻って来れたのだ!

おれはそこでようやく気がついた。
窓の冊子に足をかけて、そこから外へ出た。
柔らかな青い草むらを裸足で踏みながら歩いていく。
我慢が出来なくて、途中からはもう海辺へ向かって走っていた。
浜辺に着くと、砂に埋もれた黒いラジオを見つけた。
もう何も音は鳴っていなかったが、確かにあのラジオだということがわかるだけの十分な実感があった。

やはり、3ヶ月前に見たあの夢の世界だ。
本当に嬉しい気持ちでいっぱいだった。

おれはふらふらと海へ入り、顔を水面につけて潜って行く。
水は冷たくて心地よい。
薄く青い水中にはたくさんの光が差し込んで、数多のクラゲが海中いっぱいに浮遊している。

うやあうやあやあやあ。。

と、おれは顔中を弛緩させてヘラヘラと笑いながら奇妙な声を出して、クラゲの群れの中へ入っていく。
クラゲたちはおれにぶつかるとそのままおれの体内を通り過ぎた。
通り過ぎる時は、まず、つぷん、とおれの体へ入り、ぷるぷるとおれの体内を通過する。そしてまた、つぷん、と体から抜け出て行く。
その感覚が大変気持ち良くて、おれはしばらくなすがままにたくさんのクラゲたちに身体の中を通過させながら泳いで行った。