個人的な札幌観
2年前から住んでいる、この札幌は楽しいです。
極寒というほどの寒さはありませんので、ひとりで毎日を寂しく暮らし、助言のないミニマムな精神世界の構築を楽しんでいるようです。
「それにしても、なんのためにここに来たんだろうね?本当に」
よく頭に浮かびます。
旅は、掴みどころのない想像への挑戦というか、こういった行動が制約もされず許される社会へのアンチテ−ゼというか、なにか象徴的な行動であるようです。私はわざわざ生まれ育った東京を離れて、賃金も低くライフスタイルもスロウなこの土地へ来ました。
それも、当時つきあっていた遠距離恋愛の彼女——彼女は今も小樽に住んでいますが——の近くにいたかった、というだけでは全然ない。
そこには、慣れ親しんだものをみなみな捨ててみたいという自虐的な気持ちも確かにあったのです。
長い間に培った信頼や社会生活を断ち切り、滔々と身勝手な理屈を並べてもなお生きることを許す社会は、果してどのような態度をとり何を要求してくるだろう?
実際にそんなことを追究するわけでもありませんし、実験しているつもりもありません。ふわふわと浮ついた気持ちも多くありますから。
しかし、何かこうしたことを思ううちに、幸せのうちには気づくことのできない得体の知れないものが、影のように私の背を追う気がするのです。そして、きっとその影はまったく友好的ではない気がします。
でもその影は、きっとゼロではない確実な「1」の方法を知っている。そんな想像が私の底流をながれ、いつもひんやりと踵をぬらしているのです。
これが、今のところ私がここへ来た理由です。
ボヤ
2008/11/03 19:17:18
コメントありがとうございます。
そうですねー私はどうも実社会に対して期待しすぎているのかもしれません。
きっとよりどころがないんでしょうねー
こんな拙文にお付き合いいただき本当にありがとうございます。勉強になりました。
ぺたぺた
2008/11/03 12:10:17
こんにちは
>長い間に培った信頼や社会生活を断ち切り、滔々と身勝手な理屈を並べてもなお生きることを許す社会は、果してどのような態度をとり何を要求してくるだろう?
多分人間一人など取るに足らないものでしょう。社会にとっては。
特に何もしてはこないが個人の側から見れば社会は変って見えるでしょう。
変ったのは個人の方なのだが。
>でもその影は、きっとゼロではない確実な「1」の方法を知っている。そんな想像が私の底流をながれ、いつもひんやりと踵をぬらしているのです。
これはパンドラの箱の底に残っていたもののようなものなのかしら?
それは影であり友好的ではないのですが、真の名を見つけ出す事が出来た時、それは主人公が捜し求めていた光でした。
パンドラではないですが昔読んだファンタジーも思い出しました。
なんだか変なコメントですね。別に批判しているわけではないです。
文章から連想したことを書いてみました。
ボヤ
2008/11/02 20:06:51
コメントありがとうございます!
ひとりでいる分にはとても楽しいですよ。
でも、所帯をもつのはちょっと大変かなーというのが実感ですね。
きっとこういうのダメな人はだめですねw
❀celshi❀
2008/11/02 19:35:10
放浪できるとは男の浪漫
今までの生きかたもライフスタイルも変えて新たな自分を
発見できるのは自由な発想でいいと思う。憧れでもある。
ただ、生活のコトを考えると都内と比べて賃金の安さは避けられない。
生活水準のことは気にしないで納得いく札幌ライフをENJOY!