ジョーカーの冬から夏の国より~その4
暑い。
最初こそ気温の上昇を、「夏が羨ましいわね」と甘く考えていた。しかし、ものの数分で汗が滲み始め、足取りもだんだん重くなる。
「はあ、水が欲しいわ」
「まったくだ。これは酷い暑さだな」
グレイも参っている様子で、ネクタイを緩めていた。当然、ふたりともコートなどとっくに脱いで、脇に抱えている。
「俺たちは冬の領土から来たから、余計にそう感じるのかもしれん」
この世界では雨が降らないことが恨めしい。青々と広がる真昼の空から、焦げつくような日差しがじりじりと降り注いでくる。
(ナイトメアだと、もう倒れてるわね……)
遊園地への道のりの途中では、河川敷などで子どもたちが素足になり、川辺ではしゃいでいた。できるものならアリスも靴とソックスを脱ぎ捨て、参加したい。
「子どもはいいわね。……私も子どもみたいなものだけど」
「君がそうなら、俺も子どもみたいなものだよ。さして差はない」
グレイ本人がそう謙遜しても、彼の容姿や物腰は抜群に大人びていた。余裕と気品を兼ね備えており、何事であれ、常にアリスの目線のひとつ上を見ている。職務中も、きびきびとした言動と統率で集団を上手くまとめ、部下からの信頼も篤い。
今も彼が歩調を合わせてくれているから、アリスの歩幅でも無理なく着いていける。
「少し休憩にしようか? アリス」
「遊園地まで頑張りましょ。そこまで行けば、休むところもたくさんあるし」
「まあ水分くらい補給しておこう。実は俺も咽が渇いた」
行く先にはずらりと屋台が並んでおり、変わった形のランプが吊るされていた。ほとんどがまだ準備中だが、ドリンクやアイスの屋台では、店番が景気よさそうに呼び込みしている。
そこでグレイは立ち止まり、ジュースをふたつ注文した。
「適当に選んでしまったが、アップルで構わないか?」
「勿論よ。ありがとう、グレイ」
咽を潤すとともに、身体の中に冷えたジュースを流し込む。グレイは軽く一気に飲み干して、見え始めた遊園地の遠景を確認していた。
「もう少しか」
その「もう少し」の間に、アップルジュースの水分はすべて汗になった気がする。
遊園地の入場ゲートでは、偶然にも見知った顔に出迎えられた。
「おっ! クローバーの塔のおふたりさんじゃねえか」
この遊園地のオーナー、ゴーランドである。ナイトメアやグレイの規律的なスーツ姿ばかり見ているアリスにとって、彼の服装は奇想天外だ。
あっけらかんとした性格で馴染みやすい。
「前は別件で塔に行ったってのに、ボリスたちまでご馳走になっちまってすまなかったな」
「いいのよ。ゴーランドのおかげで、私たちも楽しかったし」
第一印象は「この人なら大丈夫そう」だった。しかしゴーランドも、この物騒な世界の例に洩れず、割かし危険な人物である。
「ところでゴーランド……何かあったの?」
入場ゲートの一帯には、無数の弾痕が残されていた。
「あー、大したことじゃないんだ。帽子屋のガキどもがちょいと暴れやがってさ」
帽子屋の双子ブラッディツインズが振るう凶器は斧であって、銃を使う姿は、今のところ見たことがない。「暴れた」のはむしろゴーランドのほうだろう。一旦キレると、あたり構わずライフルを乱射するオーナーなのだ。
足元の弾痕を確認していたグレイが起き上がる。
「かなり深いところまで埋まっている。大した貫通性能だ」
「おう、ありがとうよ。なかなかのモンだろ」
グレイの感想は褒め言葉らしい。時々、この世界の常識にアリスは着いていけなくなる。
ゴーランドはあごひげを撫で、ぴんっと指を弾いた。
「そうだ! 美味いもん食わせてもらった礼に、今日はふたりにとっておきのを楽しませてやるぜ」
「え? あの、でもゴーランド、私たち」
「何の用事か知らねえが、せっかく遊園地に来たんだ。遊んでいかなきゃおかしいだろ? 荷物は預けておくといいぜ、こっちにきな」
遊園地のオーナーは客引きに限らず強引である。
つづく