ジョーカーの冬から夏の国より~その7
「次はチェシャ猫のほうをもらおうか。興味がある」
「いいけど、せめて箸は拭いてからにしてよ」
次はボリス特製麺つゆで試食。
ずるずるずる。
「こういう麺はパスタと違ってさ、音を立てるのがむしろマナーなんだぜ」
「そう……よね。うどんの時に誰かが言ってたわ。ゴーランドだったかしら」
グレイはもう一口試食してから、確信めいて断言した。
「……いける。」
ボリスが我が勝利とばかりに指を鳴らす。
「この反応は俺の勝ちだね! 味と栄養、それから麺との相性まで贅沢に盛り込んだんだ。トカゲさんならわかってくれると思ったよ、にゃはは!」
「えええ~? 僕のは美味しくなかったってこと? ねえっ、ねえってば、トカゲさん!」
「いや、君の作品もなかなかだった。是非、塔に持ち帰りたい」
判断基準に肝心の「味」が抜けているのは、間違いない。
「メシ作ってたら、俺も腹減ってきちゃったかも。そうめん食うか~」
「僕も、僕も! もうお腹ぺこぺこだよ、麺も伸びちゃう!」
その頃には、店の外は暗くなっていた。時間帯が昼から夜へと変わったようだ。
試食せずに席を立ちたいアリスには助かる。
「それじゃあ私たち、夏祭りを見てまわってくるわね。ふたりとも、ありがとう。行きましょ、グレイ」
それに、どうせなら夏祭りとやらを体験したい。
「そうだな、用件は済んだし……浴衣が初めてなら、夏祭りも初めてだろう? 行くとしよう」
グレイも同行を快諾してくれた。
「もぐもぐ、まあゆっくりしてってよ。そうめんつゆは、トカゲさんの荷物んとこに届けとくからさ。あっ、こら! ピアス、その麺離せっての」
「麺は他にもあるでしょ? これは僕が食べるったら食べるの!」
食欲旺盛なチェシャ猫と眠りネズミは、競争でもするように麺を啜っている。
夜になっても外の空気はじめじめとして、蒸し暑かった。それでも気温は確実に下がっているし、浴衣の通気性が心地よい。
遊園地の外に向かうようにとの案内板があり、来客の列がゆっくりと前進している。アリスとグレイもそれに混じって、少しずつ歩を進めた。
「夏祭りって、まだよくわからないんだけど……ワクワクしてきたわ」
客たちの楽しそうな雰囲気に感化されたのか、高揚感が込み上げてくる。もしかするとグレイの隣で、子どもみたいな笑みでそわついているのかも。
「草履は歩きにくくないか?」
「大丈夫よ。最初は戸惑ったけど、ヒールよりはすぐに慣れたから」
この際、ヒールに慣れない子どもで構わなかった。
「それより、はぐれないように手を繋いでもいいかしら」
「ああ、いいとも」
年上の彼に手を繋いでもらっておけば、何の心配もない。グレイのように余裕ある大人になりたい一方で、まだまだ甘やかされたい自分もいる。
遊園地に来る途中の河川敷に出て、アリスは思わず目を輝かせた。
「うわあ……!」
昼に仕掛けを見たはずなのに。この世界では当たり前の魔法ではない、はずなのに。深淵の夜空を背景に、橙の灯で浮かび上がる出店の活気は、それこそが魔法のように幻想的だった。
提灯は道なりに連なって、夏の風に揺れていた。
「すごいわ! こんなお祭りがあったなんて」
暑さなど些細なことで、忘れてしまう。
道端で立ち食いなど、普通ならマナー違反とみなされそうだが、ここでは皆、そのスタンスだ。アリスの見慣れない菓子を持ち、食べ歩いている。
屋台は食べ物ばかりでなく、ゲームなどもおこなっているようだ。
「ふむ。銃が嫌いな君でも、これなら大丈夫だろう?」
グレイにいきなり銃口の長い得物を手渡された。
「ち、ちょっとグレイ! ……あら?」
そのような物騒なものを渡されても、と思ったが、銃にしては重量がない。アリスの反応が予想にあったらしいグレイは、珍しく意地悪だ。
「ニセモノだよ。そいつで、あそこに並んでる景品を狙うんだ」
「もう。びっくりするじゃない。景品に当てればいいのね」
ゲームの代金は支払済みなのだろう。彼から貰いっ放しで申し訳なく考えてしまう頑なな自分を、今は黙らせて、ターゲットを選ぶ。
「よぉし、あれにするわ。白いウサギのヌイグルミ」
「耳は狙わないでやってくれ」
そんな冗談に笑いを堪えつつ、アリスは慎重に狙いを定めた。銃の構え方など知らないのだから、間違った姿勢かもしれないが、たかが景品ゲームだ。グレイは何ひとつ指南せず、黙って結果を見守っている。
つづく