ジョーカーの冬から夏の国より~その8
白ウサギといえば、忘れられない思い出があった。
(ファーストキスを返しなさい、ペーター!)
ぱんっと音を立ててコルクが飛び出し、ターゲットの額に命中する。台の上に座っていた白ウサギは、危なっかしく不安定になり、最後は重力に落とされた。
「やったわ!」
「やるじゃないか。俺も頑張るとしよう」
次はグレイにバトンタッチ。ナイフ二本でハートの騎士をも退ける腕前だけあり、その構えはプロのものだ。銃口をぶらさずに狙いを定めて。
「あの薔薇が乗った帽子の形の、キャンドルをいただく」
「……ブラッドのイメージなのかしら? アレ」
「そうとしか思えん。遊園地の連中は冒険心が旺盛だ」
引き金を引く、しかし惜しいところを掠っただけで、命中しなかった。
「どうやら君のほうが上手いらしい」
「うふふ。ウサギだけ貰って行きましょうか」
本当はアリスに花を持たせるため、わざと外したのかもしれない。しかし、本気で外した彼であっても、愛嬌があっていいと思う。
射的を終えた後は、アリスから自然に手を繋いでいだ。
「アリス、気になった店があったら教えてくれ。俺は少し腹が減ったかな」
彼の言いまわしは、いつもアリスの意思を尊重しつつ、適度に別の意見も織り交ぜてくる。これなら常に、急を要さない目的が明確にあり、次を決めあぐねて優柔不断になったり遠慮したりすることがない。
「じゃあ何か食べましょ。見たことのないのがたくさんあるし」
「俺も全部を知っているわけじゃない。知らないのを探してみるか」
祭りは賑やかに、色とりどりに盛り上がっている。
出店を見るだけ見てまわり、河川敷に座って足を休めた時には、夜空に花火が上がり始めていた。派手な連発ではなく、一発ずつ夜の空へと吸い込まれて、光の線を散らしていく。
「綺麗……」
火薬のにおいが風に少し混ざっていた。物騒な銃のものと同じはずなのに、違った香りに思える。
(そうか。グレイの雰囲気が違うと思ったら、煙草のにおいがなくて)
普段はコートに煙草を隠しているグレイも、アリスの隣に腰を降ろし、同じ花火を見上げていた。浴衣姿の彼も勿論、煙草を咥えたら様になるのだろう。
「いい夜だ。暑さも大分和らいできたな」
「そうみたいね。はあ……冬の夜とは大違い」
アリスの心は夏に惹かれていた。しかし、冬の塔から離れることは決してない。
こうして遠出した時に思い出すのが、自分の故郷であり、家らしい。
「……今度はユリウスやナイトメアも一緒に来れたらいいわね」
元の世界のことを忘れたわけではなくとも。むしろ元の世界に戻れないからこそ、帰る場所があって、迎えてくれる家族がいる、当たり前の暖かさが嬉しかった。
「このタイミングで、君はそれを言うのか……」
グレイが、ばつが悪そうに首筋の刺青を撫でる。その時になって、ようやくアリスは、肩を抱き寄せられようとしていたことに気が付いた。
(グレイが……? まさか、ね。私みたいな女の子に)
下手なうぬぼれはご法度だ。
「もう少し眺めたら、塔に帰りましょう。ナイトメアに仕事をしてもらわないと」
「賛成だ。花火の残りが惜しい気もするが……また来よう。ふたりで」
しかし平静でいられない。今夜のグレイは、いつものように穏やかな素振りでいて、どこかが違う。爬虫類に独特のまなざしに「見られている」感覚がした。
「ふたりで? ユ、ユリウスたちも一緒じゃなくて?」
それを嫌悪するのではなく、期待で胸を高鳴らせている自分は、どうしてしまったのか。
「勿論一緒で構わないさ」
ユリウスたちと一緒に夏の遊園地に来るのは不可能に近い。ユリウスは仕事最優先の出不精だし、ナイトメアは虚弱体質のひきこもりだし。
つまり、次に夏祭りに来る時も、十中八九グレイとふたりきりということ。
「えっ、ええ、えっと、あっ、あの」
俯く顔を赤くするばかりで、言葉が上手に続かない。
グレイのほうは堂々と仰向きになって、花火を夜空へと見送っている。
「少しは意識してくれないとな。あんまり無防備では困ってしまう」
彼の台詞は困るくらいブラッドに似ていた。
つづく