速水猛のブログ アルカディア「Ἀρκαδία 」

速水猛

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風蕭蕭兮易水寒 壮士一去兮不復還

日記

風蕭々(しょうしょう)として易水寒し。壮士ひとたび去って復(ま)た還(かえ)らず 風蕭蕭兮易水寒 壮士一去兮不復還 」というのは、史記』の「刺客列伝」)。に書かれている、荊 軻(けい か、ピンイン:Jing Ke, ? - 紀元前227年)は、中国戦国時代末期の刺客の太子の命を受け、策略を用いて王の政(後の始皇帝)を暗殺しようとするが、失敗し逆に殺された。男の旅立ちの時のという詩句であり、史記の中で最も有名な場面の一つされる。

 

荊軻は強大な国の王に対して、心意気一つで立ち向かった義士と言うことで人気は高い。司馬遷は『刺客列伝』の最後で、夏無且と付き合いのあった公孫季功董仲舒からこの事件の話を聞いたと述べ、荊軻は暗殺は成功しなかったものの、その意思と志の高さにより名を残したのだ、と評価している。またかつて双六のことで騒動となった魯句践が、秦王暗殺事件の話を聞き「彼が刺剣の術を修めていなかったのは、なんとも惜しいことだ。そして、そのような人物を叱り飛ばすとは私も人を見る目が無かった。さぞや私を憎んでいただろう」と嘆いたエピソードも記している。また詩人の陶淵明は、『詠荊軻』という詩の中で「すでに荊軻は死んだがその思いは残っている」とうたっている。