アーヘン大聖堂へ その2
さて、アーヘンに到着。
アーヘンはさほど大きな街ではありません。
適度に都会だけど、人通りも車の通りもさほど多くなく、
こぢんまりとした地方都市という感じ。
アーヘン中央駅は、
アーヘンの街の中心である大聖堂から、
歩いて10分ほどのところにありますから、
ガイドブックの地図を確かめながら、大聖堂へと向かいます。
歩いていて気がついたんですが、
アーヘンの街は、街角の至る所に人の姿の彫刻があって、
可愛かったり、ユニークな仕草だったり、
散歩している人の間に紛れて気がつかないような彫刻だったりして、
とても楽しい街歩きができます。
そうこうしている内に、アーヘン大聖堂に到着。
この大聖堂は、
何せカール大帝の頃に礎石が築かれて、
時代を経るごとに建て増しをしていった教会です。
786年にロマネスク様式で建設が始まって、
1414年にゴシック様式の礼拝堂を建て増しして、
今の形になるまで、1000年ぐらいの時間が経過したらしいです。
ですから、いろんな時代の建築様式が統一感なく、
正直言えば、ごちゃごちゃと合体してしまった感じで、
まるで『ハウルの動く城』のようです。
アーヘンだけに、あー変… ☆\(ーーメ つまんない駄洒落
つまり、
「ここに塔を付けたので、
ついでに塔からドームに渡り廊下を付けてみました、
時計台も付けちゃいました~」
と行き当たりばったりで増築してしまった感じ。
有り体に言えばデタラメです。
土曜日ですが、12時半までミサをやっているようなので、
先に大聖堂の宝物館へ。入場料は5ユーロ。
金ピカのカール大帝の胸像や冠などが展示されています。
しかし、制作年代が古いせいか、
ごちゃごちゃと飾り立ててはいますが、
造作は素朴というか粗雑というか…
王冠も、ありったけの宝石を
ところ構わず全部くっつけてみましたという感じで、
美しいとはあまり言えないような…
財宝・文化遺産としての価値は高いのでしょうが
美術品として見るならば、はっきり言って趣味が悪いと思います。
古今東西、
権力者の美意識は趣味悪いなあと、
安寿はいつも思ってしまうのでした。
さて、12時半までもう少し時間があるので、
アーヘン大聖堂の隣にある立派な市庁舎や広場、
そして中世以来の路地を歩き回ってみました。
中世の名残を残すヨーロッパの都市は、
都市計画というものが皆無で、
迷路のように道が入り組み、
広場と広場をつないでいたりします。
12時半になったのでアーヘン大聖堂へ。
なるほど~。
ここはユネスコが世界文化遺産の指定を始めた時、
最初に登録された世界文化遺産であり、
ドイツにおける第1号の世界文化遺産です。
でも、外側から見てる分には、
統一感の欠けた建物にしか見えなかったのですが、
中に入ってみると、これはちょっとした小宇宙です。
ロマネスク様式の八角形のドームは、
大理石の壁面が美しく、
回廊の天井はモザイクで綺麗に装飾されて、
ドーム天井は金色のモザイク画で輝いています。
そして、
このロマネスク様式のドームに併設されて建つ
ゴシック様式の礼拝堂は、
青いステンドグラスが美しい。
つまり、
手前は重厚な大理石と金色の装飾で光り輝き、
奥では青のステンドグラスが
薄暗い礼拝堂に光を落としている。
これは確かに綺麗です。
ここは教会なので入場料はとられませんが、
特別の部屋に入れるガイドツアーや写真撮影の許可は料金が発生します。
ケチな安寿も、これは写真に撮っておかねばいけないと思ったので、
1ユーロ支払って、遠慮なく写真をバチバチ。
礼拝用の椅子に座り込んで、
ゆっくりとドームの雰囲気を味わいたかったのですが、
常に観光客が入れ替わり立ち替わり訪れるドームですから、
教会にもかかわらず、ちょっと騒々しい。
ケルン大聖堂に比べれば、かなり小さいので仕方ありませんが。
でも、小さくても、
この教会で600年もの間、
神聖ローマ皇帝の戴冠式が行われた理由は頷けます。
だって、やはりこの空間は小宇宙ですから。
さて、ケルンに帰るには、まだ早かったので、
近くにあるズエルモント・ルートヴィヒ美術館を訪ねてみました。
ここは中世末期、ルネサンス以前の、
彫刻や絵画のコレクションが充実しているとのこと。
なるほど、有名な画家の作品はありませんが、
しかし、十分に満足できる美術品が揃っています。
まだ中世の頃の作品ですので、
主な画題は、宗教画や肖像画、そして静物画。
オリジナリティに欠けるのですが、
でも、同じ題材を比較しながら鑑賞することができるので、
画家・彫刻家による題材の取り上げ方の違いを楽しむことができます。
聖母子像なんて、それこそ目白押しなんですが、
それでも「みんな同じでつまんない」と思うことはありません。
そして、中世の人物画や静物画を見てみると、
かなりリアリスティックに、
細密に描き込まれていることがわかります。
中世の宗教画は、
過度な誇張と装飾、象徴的表現に特徴があるという印象だったのですが、
その印象を人物画や静物画にも当てはめるのは、どうも間違いだったよう。
むしろルネサンス以降の画家の方が、
人物画や静物画にも誇張や装飾が多いような気がしました。
この美術館を訪れる人は少ないですが、
でも、美術館の一室をたった一人で鑑賞できるなんて、すごく贅沢なことです。
さて、そろそろ日が傾いてきたので、
もう一度、アーヘン大聖堂に立ち寄って、
夕方の光線で、聖堂内部がどのように変化するかを確認しに行きました。
さして大きな変化はなかったのですが、
観光客が少なくなった分、大聖堂も落ち着きを取り戻した感じがします。
八角形のドームの真下に置かれた椅子に座り、
しばし天井を眺めて思ったこと。
言葉であれ、美術であれ、音楽であれ、
宗教とは体系的な小宇宙を現出させようとすることなんだ…。
アーヘンからの帰り道、
無言になった私を乗せて、
ローカル列車は、晩秋の夕暮れを走り抜けていきます。
安寿
2012/11/02 03:43:36
>Luciaさん
ボルジア家。
マキアヴェリが『君主論』の中で、
その大胆な政治的手腕によって、
賞賛していたチェーザレ・ボルジアも、
その家系。
マキアヴェリ曰く、
獅子の獰猛さと狐の狡猾さを兼ね備えた人物。
どちらも聖職者にはふさわしくありませんが、
しかし、彼の父は教皇であり、
彼は教皇領の拡大を意図して、
権謀術数の数々を展開したわけで…。
ちなみにドイツには教会税という、
中世の頃の十分の一税の名残を残す税があるそうです。
ですから、ドイツ国内の聖職者は、
カトリックもプロテスタントも、
税金から教会維持費や給料が出ているらしく、
半ば公務員化しているらしいです。
でも、若い世代ほど、
教会税を納めなくなっているので、
(この税金は申告制なので、
私は信者ではありませんと申告すれば、
払わなくてもいい税金なんだそうです)
教会の財政は、ほとんど破綻状態。
観光客が多数訪れる有名な教会は、
塔への入場料や土産物販売などで潤っていますが、
そうでない教会は、無人化しているところも多いそうです。
教会の鐘は、無人でも機械仕掛けで鳴るんだそうです。
なんだかな~。
Lucia
2012/11/01 09:12:12
うん、サンピエトロはさすがに巨大
でも、フィレンツェはそんなに大きかった記憶がないの
どちらかというとウフィッツィの方が大きいような....
それはもしかしたら、「出口まだ~」と思いながら
ウフィッツィ美術館内を歩いた記憶から来ているのかも知れませんが...
あれだけ美術品に溢れていると
半分も見ないうちに食傷気味になります
権力、司祭というキーワードが並ぶと
真っ先に思い浮かぶのがボルジア...
教会権力の縮図ですね
安寿
2012/11/01 07:41:42
>Luciaさん
安寿はイタリアへ行ったことがないのですが、
おそらくフィレンツェのドームや、
ヴァチカンのサンピエトロ寺院の方が大きいような気がします。
前日にケルン大聖堂を見学してますから、
それと比べるとアーヘン大聖堂は、
こぢんまりとしている印象を受けました。
ケルン大聖堂の巨大さと威圧感に比べると、
十分に大きいアーヘン大聖堂も、
こぢんまりした感じになってしまうのかもしれません。
鎌倉の大仏も十分大きいのですが、
大仏殿の中に狭苦しそうに入っている奈良の大仏と比べると、
なぜかかわいく見えてしまう。
そんな感じでしょうか? ☆\(ーーメ ちがうと思う。
ケルンも、この前訪れたヴュルツブルグも司教領らしく、
聖職者が内面の信仰を治めるだけでなく、
世俗の領土と民衆までも統治した地域らしいです。
ですから、司教なのに、
要塞を作り、宮殿を作り、
自らの権勢を誇るために、
財宝を揃え、画家や音楽家のパトロンとなり、
狩り場をこしらえ、舞踏会・昼食会・演奏会を開き、
それを見せびらかすという…
悪趣味…
権勢を誇示する人がいなくなった現在になって、
宮殿や大聖堂はようやく本来の静けさを取り戻したような気がします。
Lucia
2012/11/01 04:06:56
アーヘン大聖堂の画像を見ました
第一印象
デカイ!!
ミラノ、フィレンツェ、ヴェネツィア(サンマルコ寺院)より
大きいような印象を受けました
私はヴァチカンの宝物館を見たけれど
ああいうのを見ていると
教会という組織と、宗教という概念は
相反する極限に位置するもののように思えてきます
教会というのも一つの王族よね