雨のノイエンガンメ強制収容所 その1
今日は一日、雨でした。
ここでは一日中、雨が降り続くことは少ないのですが、
いずれにせよ、今日は一日雨でした。
この雨の中、
ノイエンガンメ強制収容所を見学してきました。
言わずと知れた、ユダヤ人強制収容所です。
強制収容所というと、
アウシュビッツやビルケナウの名前がすぐに思い浮かびますが、
アウシュビッツもビルケナウも、
その場所は、現在のポーランドにあります。
(戦時中はドイツが支配していました)。
ですが、ノイエンガンメ強制収容所は、
現在のドイツ内にある10以上の強制収容所跡の一つです。
今、ユダヤ人強制収容所と書きましたが、
正確には、ユダヤ人以外にも、
ナチスドイツにとって好ましからぬ政治犯なども収容されているようです。
また、「ユダヤ人」という括り方にも問題がありまして、
何をもって、「ユダヤ人」と定義するのか、そこが問題です。
ユダヤ教を信じているから…?
ですが、キリスト教徒の「ユダヤ人」もいました。
ヘブライ語を話しているから…?
実は現在イスラエルの公用語であるヘブライ語は、
20世紀になってから新たに再構成された言語で、
古代ヘブライ語は、ながらく書き言葉としてのみ存在していました、
少なくても日常語においては死語だったのです。
日常語としてはイーディシュ語が存在していましたが、
しかし、これは高地ドイツ語(ドイツ南部の言葉)の一つに分類されており、
8割以上がドイツ語です。
むしろ、ドイツ語の一方言と言った方がいいでしょう。
しかも、「ユダヤ人」とされた人が、
すべてこのイーディシュ語を話していたかというと、
もちろんそうではありません。
実際、この強制収容所に収容された人々の出身国を見ると、
ドイツ国内にあるにもかかわらず、
ドイツ国内の人々よりも
旧ソビエト、ポーランド、フランス出身の人の方が多いのです。
ほとんど全ヨーロッパから、この強制収容所に送り込まれたといってよいでしょう。
ですから、「ユダヤ人」として強制収容所に集められた人々は、
「ユダヤ人」としての同質性など、ほとんど皆無で、
むしろ、言語も宗教も文化習慣においても異なる人々だったのです。
つまり、「ユダヤ人」とは何かという問いの答えを、
「ユダヤ人」とされた人々から探しだそうとしても、ほとんど不可能です。
むしろ排除した側が、
何をもって「ユダヤ人」と見なしたかを問うていった方が、
まだ、「ユダヤ人」の定義に近づき得るのですが、
しかし、これはドイツの、
あるいはヨーロッパの、
あるいは全世界の人々が抱いている「ユダヤ人観(偏見)」の定義に過ぎず、
やはり、「ユダヤ人とは何か」という問いの本質に答えるものではありません。
そして、もう半ばお分かりかと思いますが、
これはそもそも問いの立て方に問題があるのです。
「ユダヤ人」を定義しうる本質的なものがあるかのような問いの立て方自体が、
そもそも間違っているのです。
ですから、これは無意味な問いなのです。
ですが、このような無意味な問いの立て方が、
しばしば人々を突き動かす大きな力となるのです。
(今、「ユダヤ人」という言葉を使いましたが、
この括弧の中に、
「日本人」や「外国人」という言葉を置いて考えれば、
私たちの思考が、いかにこのような問いの立て方に支配されているか、
気がつくのではないでしょうか)。
続く。