『塀の中のジュリアス・シーザー』を見ました。
2012年のベルリン映画祭金獅子賞を獲得した
『塀の中のジュリアス・シーザー』を見てきました。
監督は、タヴィアーニ兄弟。
この映画は、刑務所の中の服役囚が、
演劇実習としてシェークスピアの『ジュリアス・シーザー』を演じる姿を描いたものです。
「服役囚が演劇を通じて、人間らしさを取り戻す…」
なんて言うような、ありきたりなヒューマン・ドラマではありません。
かといって、ドキュメンタリー作品でもありません。
ジュリアス・シーザーを暗殺する(=罪を犯す)というドラマが
そのまま服役囚自身のドラマと重なってしまって、
どこまでシャークスピアの話なのか、
どこまで服役囚自身の話なのか、
わからなくなってしまう映画なのです。
なぜって、
シーザーを暗殺する一味の一人は、
実際に殺人を犯して、この刑務所に終身刑で服役中なのですから。
『ジュリアス・シーザー』の話は、
古代ローマが共和政から帝政へ移行していく時の話。
市民による共同統治のローマ共和政、
つまり、政治に参加する権利を持つ市民が、
「市民自治」によって政治を担うのがローマ共和政の原理。
しかしシーザーという将軍が
ローマの政治に颯爽と登場し、
共和政の政治原理に挑戦するかの如く、
元老院の推挙と民衆の歓喜を伴って皇帝の座へと近づいていく。
その時、ローマ共和政に馴染んできたブルータスたちは不安になります。
なぜなら、皇帝の誕生は、
共和政下で保たれていたローマ市民の「自治」と「自由」の崩壊を意味するからです。
それゆえ暗殺者たちは、
自らの「自由」を守るために、
今まさにローマに覆い被さろうとする圧倒的な権力を
暗殺という非合法手段で倒そうとするのです。
ですが、
このシェークスピアの戯曲は、
刑務所内での上演において別の意味合いを持ちます。
なぜなら、
この芝居を演じる服役囚は、
自分たちの思い通りにならない事態を前にして、
それを非合法な手段で打開しようとした犯罪者たちなのですから。
つまり、
暗殺という卑怯な手段で
ローマ共和政を守ろうとした市民の姿は、
自分たちの脅威となる状況や権力を、実力で排除し、
自分たちの「自由」を非合法的に達成しようとした服役囚自身の過去と重なってしまうのです。
そして、暗殺者たちが破滅に追い込まれていったように、
彼らもまた、今現在、刑務所の中にいる…。
刑務所の様々な場所で
シーザー暗殺へ至る芝居の稽古が進んでいくのですが、
その過程はそのまま、
自分自身が犯罪へ至った道筋とその過ち、そして破滅を、
追体験していくことになるのです。
それゆえ、稽古は時に、
シェークスピアの台詞を逸脱して、
服役囚自身の、自分や他人の罪、お互いの人格をなじる言葉となってしまう…。
その緊張感たるや、すさまじいものがあります。
役者が演じる場合、
芝居の中で、登場人物の誰かが誰かをなじり、討とうとも、
ブルータスがシーザーを暗殺しようとも、
オクタビアヌスがブルータスを返り討ちにしようとも、
それは登場人物の「罪」や「過ち」であり、
演じる役者本人の「罪」や「過ち」にはなりえません。
ですが、
刑務所の中、
服役囚による演劇の場合、
登場人物の「罪」や「過ち」は、そのまま自分の過去とダブるのです。
これは辛い。
そして身につまされる辛さがゆえに、
役を演じる服役囚たちの演技は、
我が身自身の物語であるかのように、
ギラギラと光り輝き始めるのです。
こういう内省的な仕掛けを含んだ「虚構」としての芝居が上演され、
しかも、それを映画という更なる「虚構」が包み込んでいる。
映画を見ながら、
ちょっと考え事をしていた関係で、
漫然と見送ってしまった場面も多々あったので、
もう一度、この台詞劇を、
今度は丁寧になぞるようにして見てみたいと思います。
安寿
2013/02/16 16:56:10
>Luciaさん
もう、動画サイトで見ることができるんだあ。(感心してしまった)
そうそう、映画のパンフレットでしりましたが、
「高潔な人間」「名誉ある者たち」という呼び名は、
イタリア語では、マフィアの組織犯罪者をも意味するらしいですね。
ですから、ここでも彼らは『ジュリアス・シーザー』を演じながら、
同時に自分たちの過去をダブらせているわけです。
日本語で「兄貴~! あねさん!」と呼んだ場合、
それは必ずしも自分の兄弟姉妹を呼んだのでなく、
むしろ裏の世界の上下関係を語っているのと同じなんでしょうね。
そうでしょ、Luciaの姉御! ☆\(ーーメ)
Lucia
2013/02/15 21:08:35
上演はしていませんよ~
見つけました、と書いたのは動画サイト
しかし.....
ロシア語に吹き替えられていて意味不明。。。>_<
結局ネットの海から釣り上げ、「お持ち帰り」で見ました
ローマの牢獄なので、地理的に受刑者は南部(&ローマ)の人間で
中部、北部の人間が居ない
しかも、受刑者の大半は組織犯罪者で、南部方言で話す
もう、そこで独特の雰囲気が漂います
南部の犯罪組織と言えば、
マフィア、ンドランゲタ、カモッラ、サクラ・コローナ・ウニータ
何度か
uomo d'onoreウオーモ・ドノーレ=man of honor)
という言葉が出てきますが
これはマフィア組織の幹部の称号でもあります
方言もあるので、全ての台詞を理解したわけではないけれど
個々の役者の人生とのオーバーラップ、という演者側のそれの他、
見ている者にはマフィア映画、対マフィア刑事ドラマとの
オーバーラップ作用がありました
ブルータスを演じた人は、外の世界でも役者に転身しているのですね
どうりで、見たことがある、と思ったはずです
安寿
2013/02/14 23:12:34
>Luciaさん
あれま、イタリアでもまだ上映中だったのかしら。
この映画、
シェークスピアを下敷きにしているだけに、かなりの台詞劇。
長くはないですが、結構、疲れます。
見に行った当日、
集中力を欠いていた私は、
結構多くのことを見落としている気がします。
新しい発見があったら、報告忘れずに ☆\(ーーメ)
Lucia
2013/02/14 22:53:29
見つけました
これから見てきます
イタリアの方言は結構きつくて
例えば夫の田舎(南部)の方言よりかは
標準スペイン語の方が、何を言っているか想像がつきます
一般に、イタリア人でもまったく分からないのが
ベルガマスク(ベルガモ方言)
ジュリアス・シーザーのイタリア語読みは
ジュリオ・チェーザレ
帝王切開はパルト・チェサーレオ
つまり、シーザー風出産
ロシア語のツァールも
確かチェーザレから変化していったはず
安寿
2013/02/14 21:21:32
>あがたさん
「ブルータス、お前もか」というシーザーの台詞は、
このシェークスピアの戯曲だったのですね。
この映画のラストはほろ苦いです。
公演が終わって、
歓喜の声をあげる出演者=服役囚たち、
スタンディング・オベイションで拍手を送る観客たち。
しかし、舞台が終わった後、
役者であった服役囚たちは、
一人一人自分の独房の傍らに佇み、
看守の開ける扉の中に収まっていくのです。
それはまるで、
活き活きとしたドラマを演じた人形たちが、
その役目を終えて、それぞれのおもちゃ箱の中に仕舞われいくかのような光景です。
そう、彼らにとって役を演じるとは、
それが暗殺であろうと、暗殺される側であろうと、
活き活きとした感情を持つ人間を生きることであり、
束の間、自らの人間性を回復することだったのでした。
ですが、芝居が終われば、
彼らは服役囚の単調で孤独な、
およそ他人と交わることのできない生活へと戻っていく。
殺人罪で終身刑の男は、
自らの独房に戻ってきて、
こう呟きます。
「芸術を知って、監獄は牢獄となった」
演劇は人間を取り戻すもの、
人間が本来自由であることを取り戻すものであるとともに、
演劇による束の間の自由の体験こそが、
彼らの罪と罰を、現在の自らが置かれた境遇を、
一層耐えがたいものにしている。
彼らにとって、
演劇は自らの救いであるとともに、
自らの煉獄なのでした。
安寿
2013/02/14 17:34:44
>Luciaさん
>多分、英語や日本語に訳しきれないレトリックが
>そこかしこに ちりばめられているような予感
シェークスピアの作品はもとが英語なので、
古代ローマの物語であるにもかかわらず、
むしろイタリア語に訳せない表現が多いのだと思います。
面白いのは、演出家が服役囚の方言で台詞を語るように求めている点。
この刑務所に入所している服役囚は重罪の人が多く、
それゆえイタリア全土から服役囚が集められているのでしょう。
私にはイタリア語の方言はおろか、
イタリア語かスペイン語かも聞き分けられない人なので、
イタリア各地の方言丸出しの『ジュリアス・シーザー』が
どんなニュアンスを醸し出しているのかわかりませんが、
古代ローマが、
ローマという一都市の共和政から地中海帝国へと拡大して行くに連れ、
ローマの中で交わされる議論の言葉も方言豊かなものになっていったことは、
なんとなく想像がつきます。
私が感心したのは、
シーザーという英語読みの名前は、
イタリア語の場合「チェーザレ」となること。
マキアヴェッリの『君主論』で有名な
ルネサンス期の君主チェーザレ・ボルジアは、
シーザーの名を受け継いでいたのですね。
なんか勉強した気分。
あがた
2013/02/14 11:29:12
見たい!って思いました。
見れるかどうか調べてきまーす♪
Lucia
2013/02/14 07:25:02
私は見ていないのだけれど
ちょっと調べたら、1年前に上映していたみたい
原題 Cesare deve morire(Caesar Must Die) が
『塀の中のジュリアス・シーザー』になるのね。。。
邦題には、いつも感心させられる
もし、ネットに落ちていたら、私も見てみるわ
多分、英語や日本語に訳しきれないレトリックが
そこかしこに ちりばめられているような予感