実家の猫が(長文注意)
息を引き取った。
今日の未明だそうだ。
9月に20歳になり、今年の夏は急に肥ったかと思えばその後食が細り、11月に入るとがりがりに痩せ、この2週間ほどは点滴に通っていたらしい。
昨日用事を済ませた母が戻るとテレビの下にもぐって冷たくなりかけていたので病院で点滴を打ち、小康状態になったが、妹が添い寝しているうち、静かに呼吸を止めたのだという。
特別の病気もない、大往生だった。
4日前、用事を作って実家に行った。
整理を手伝うという名目だったが、今日を逃すともう会えないという虫の知らせがあった。
子どもを見送るのと同時に家を出て最寄駅で電話をすると、ちょうど猫を動物病院に連れて行くところだと言うので、そこに直行して待つ。
猫は自転車にくくられたバッグ型のケージに入っていた。
待合室で母が蓋を開ける。
かろうじて足を折りたたんだ猫の姿勢を保ってはいるが、近くに犬がいるのにピクリともしない。
手を伸ばすとかすかに動いて目が開いたが、これがあの猫なのか。
まず、匂いが違う。
強烈な老人臭。
病院でよく嗅ぐ、あの匂いが強く漂う。
そして目。
眼窩が落ちくぼみ、肉がなくなったせいか顔がつぶれたように見える。
うっすら開いた眼はどんよりと光をなくし、目の周りは分泌物でびしょびしょだ。
体に手を伸ばすと、皮膚の下には骨しかない。
一切のまろみをなくした、小さい体。
匂いにむせそうだったが顔を近づけ「ぐりや、ぐり」と小さく名前を呼びつつ顔やその周りを撫でていると、不意に猫がこちらを向いた。
瞳孔は開き気味だが、その周りの緑がかった瞳は往年をしのばせる色合いだった。
ほんの少し口が開く。
声は出なかったが、「にゃあ」とあいさつしたのかもしれない。
順番を呼ばれ、診察室に入った。
「昨日も何も口にしませんでした」
「脱水ですね。ほら、背中をひねっても毛皮が元に戻らないでしょう。大好物のホタテも食べませんか?」
「ホタテも食べません。おとといはホタテをゆでてやると、ゆで汁だけは美味しそうに飲んでいたんですが」
「隣の部屋で点滴をしましょう。明日も来てください」
隣の処置室で栄養注射らしいのを打った後、点滴を受けた。
背中の真ん中あたりに針をひっかけるようにすると、それが点滴なのだった。
猫はほんの少し身じろいだだけだったが、点滴の間、時々体をもぞもぞさせてはなだめるように撫でられていた。
脱水の時の点滴はつらいのだ。
脱水状態というのは、体が水分を拒否してしまっているということだ。
飲もうと思っても飲めない。
飲んでも吐く。
そしてそのたび脱水が進む。
そんな状態の時は確かに点滴しか方法がないのだが、体に水分が入るというのがつらくてつらくて、私は横になっていられなかった。
(昔インドでラクダサファリをした後すぐに移動したせいで、病院で点滴を受ける羽目になったことがある)
思わず飛び起きて少しでも点滴の入りがゆっくりになるよう、体を丸めては看護婦さんに怒られたものだ。
この猫の点滴はちょっと早すぎはしないだろうか。
そう言うと看護士さんが
「え、そんなにつらいんですか」
と驚いていた。
つらいんです。飛び起きたくなるほど、脱水の時は水分入れるのがつらいんです。
帰り、また籠を自転車にくくりつけようとする母を制して、私が歩いて運ぶことにした。
先日家の猫を注射に連れて行ったときは手がだるくなったものだが、そんな風にはならなかった。
車の音に猫時々身じろぐのを感じつつ、家に着く。
もう今は外に出ず、寝床で寝てばかりらしい。
あんなに外が好きな猫だったのに。
せめてと玄関を開け放ったまま籠の出入り口を開けた。
風だけでも感じればいい。
そう思ったのだが、しばらくすると猫がゆっくり体を起こし、猫特有のにょろんとした動きで段差を降りると外に出た。
玄関を出てすぐのお気に入りのマンホールの前でしばらく座り、それからまたよろよろと歩きだす。
そしてお隣の玄関の階段に箱座りをしてゆっくり目を閉じた。
明るいところで見ると、目の下の毛が抜けて皮膚が出ていた。
前足の関節部分も毛が剥げている。
本当にもうすぐお別れなんだね。
実家の整理を手伝い、夕方お暇する直前に母がホタテを調理した。
小さく刻んだホタテをゆで、ゆで汁ごと皿に入れる。
猫の前に置いても、反応しない。
「やっぱり今日も食べないのね」
と言う母。
ホタテをつまんで口のそばに持っていき
「ぐり。ごはんだよ」
と言うと、ぼんやりした目に透明ができて、瞳孔に力が入ったのがわかる。
手の上のものをペロペロなめるさまは、仔猫の時を思い起こさせた。
ぐりは私がまだ独身で営業をしていた時、拾った仔だ。
新宿近くの製菓工場の前で、数人の人が段ボールを覗き込んでいた。
「こんなところに捨てるなんて」
「うちでは飼えないわ」
「ここなら食べ物があると思ったかもしれないけど、衛生的に無理よ」
そんな言葉にフラフラ寄ると、小さな猫がぶるぶる震えていた。
「うちは飼えるけど、仕事の途中だからなあ」
とつぶやくと
「本当に飼えるの? だったら夜まで私が預かるわ」
という女性がいた。
女性は
「必ず連れに来てね」
と念を押して、私が夜に駅で待ち合わせる前に犬猫病院で子猫用ミルクと哺乳瓶まで用意しておいてくれた。
小さなケーキの箱に入った、小さな猫。
電車の中ではみゃあみゃあ鳴いた。
家の最寄駅からは自転車だったから、胸ポケットに入れて運んだ。
最初はおしっこも自力では出来なかったから、ミルクを飲ませるたびに濡れたティッシュで丁寧に拭いた。
寝るときはいつも私の左ひじを曲げたところに収まって、ひじの内側をモミモミしながら自分の前足をちゅっちゅちゅっちゅと吸っていた。
子猫の時カラスに飛びかかろうとしてお尻を振り、カラスにバカにされていた。
近所のボス猫のしっぽにじゃれて遊んでもらっていた子供時代。
長男が産まれて初めて帰って来た日に大きな尾長を捕ってきて、長男の顔にぬっと突き出した時の得意そうな顔。
触られるのが好きではないのに、ハイハイの子が尻尾を引っ張っても絶対に怒らなかった。
そんなことを思い出しながらホタテを掬っては彼女に差し出し、舌の感触を手に感じていた。
やっぱりあれが私たちのお別れだった。
今日、仕事が終わったら実家に行く。
明日焼き場で焼くのだそうだ。
glycogen
2014/11/26 17:24:15
わかばさん
私は虹の橋を信じていませんが、あの子みたいな死に方ができればいいなと思います。
ぎりぎりまで歩いてトイレに行き、最後は飲まず食わずだったから一度も粗相をすることもなく、最後に私にまで思い出をくれました。
わかば
2014/11/22 23:03:21
こんばんは。
グリコさんにこれだけの思い出を残せたこの猫は、とても幸せだったのだろうと思いました。
何十年か後に、きっと虹の橋で再会できますよ。
いまはとても悲しいでしょうけど、元気出してくださいね^^