『もののけ姫』からデモクラシーを考える。
仕事のために『もののけ姫』を見直しています。
このアニメは、
差別された人々が
自ら運営する自治都市の中で
「人間としての自分を回復していく物語」
でもありますし、
そのような人々が、
「文明社会に刃向かう「犬神憑き」の少女を袋だたきにしようとする物語」
とも言えます。
例えば、
その物語の構図は、
現代社会においては、
ユダヤ人がイスラエルを建国し、
その国家を自ら献身的に守ることで、
もう差別されない我々の自由を獲得していく姿に重なりますし、
そのイスラエルが、
自らに対峙するパレスチナの人々を
狂信者として攻撃していく姿とも重なるような気がするのです。
ヘイトスピーチの人々も
似たような構図として描くことができるかもしれません。
『もののけ姫』の人たちは、
争いの果てにカタストロフを引き起こすことで、
すべてを失ってしまう。
ゼロからやり直すことになる。
物語ならそれでもいいのですが、
私たちは、そうなる前にやり直さなくていけません。
だが、どうやって…
安寿
2014/12/08 00:01:00
>四季さん
というか、
何もかも失って、
ようやくやり直すというのは、
物語ならそれでもいいのでしょうが、
現実ならば、そうなる前に方向転換すべきです。
自然界は弱肉強食というわけではありません。
弱がいなくなれば、強もいなくなります。
社会的ダーヴィニズム(進化論)の考え方は、
適者生存の考え方を社会にも応用してみたというより、
弱肉強食の市場社会を進化論で正当化しようとした
と言った方が正解ではないかと思っています。
ですから、希望は、
もののけでもない、人でもない
弱者でも、強者でもない、
たたら場の者でも、森の者でもない
境界を行き来するアシタカやサンにあるように思っています。
四季
2014/12/07 23:06:00
たたら場の人達はやり直せますが、サンはダメかな^^;
守るべきシシ神を失っては生きていけなさそうです。
サンが守ろうとした自然界にある秩序は弱肉強食ですね
その自然を破壊しながらも、
今の国家間や企業間には弱肉強食の世界が蔓延してるのはなんとも皮肉^^;