『この世界の片隅に』
今年は邦画の当たり年でした。
『シン・ゴジラ』しかり、
『君の名は。』しかり。
でも、安寿の中でのベスト1は、
やはり、『この世界の片隅に』で決まりです。
以前から、こうの史代の漫画は偏愛して止まないのですが、
その漫画を片渕須直監督が、
漫画の物語と絵のタッチは忠実に、
しかし、世相の描写には細かな追加を加えながら、
アニメ化してくれました。
アニメ化してハッキリしたこと、
それは、すずさんの成長でした。
漫画は、連載の形で書き連ねていったため、
すずさんの、ぼんやり、おとぼけの性格は、
そのまま変わっていないような感じがしていたのです。
ですが、2時間という上映時間の枠があり、
エンディングに向かって、
すずさんの過ごした時間が濃縮された形で進んでいくと、
戦時中、広島から軍港のある呉に嫁いできたすずさんは、
まだ、かわいいお嫁さんであるのに対して、
敗戦後、広島の街で原爆孤児と出会い、
呉に連れ帰っていくすずさんは、
母を失った子どもを、
自らの無くした右手で、
右手を無くしたからこそ、引き受けることができる、
大人の女性へと成長していたのでした。
ぼんやりしているようでも、
戦時下で生き延びていくために、
やりくりや工夫を重ね、
生活も気持ちも、
いっぱいいっぱいの中で生きてきたからこそ、
生まれた変化なのでしょう。
そのことがよくわかる映画化でした。
そして、そのようなすずさんを
のん(旧:能年玲奈)が演じたのは大正解でした。
のんの幼さと生真面目さが残る声。
でも、どうしようもなく出てしまう、周囲とのズレというか浮いた感じ。
しかも、怒ったときは、しっかり怒気を突きつけてくる声は、
すずさんにぴったりだったのでした。
加えて、コトリンゴの音楽がすばらしい。
♪ 悲しくて、悲しくて~ ♬
サトウ・ハチロー作詞、加藤和彦作曲の
『悲しくてやりきれない』を
コトリンゴがゆるく、せつなく唄うとき、
悲しみは、泣き叫ぶような激しい感情ではなく、
皆が明日に進んでいくのに、
私だけが青空の底の方に、
ひとり置き去りにされてしまった感覚。
ひとり取り残された私は、
これから先、
どうやって生きていこう。
そういう抜け殻の思いなのです。
映画化でひとつ残念なのは、
広島の花街で出会ったりんさんとの交流が
一時の出会いという扱いになっていたこと。
まったく違う世界に住む、すずさんとりんさんが、
しかし、お互いのことを気に掛け合う仲になっていくことは、
そのまますずさんが、自分の日常とは異なる世界があることを知り、
この世界が根本において理不尽であることを知る
一つのキッカケになっていたように思うのです。
「この世界の片隅に」というタイトルは、映画でも漫画でも
「この世界の片隅にウチを見つけてくれてありがとう」という台詞があるから、
相手への感謝の言葉をタイトルにしたように思われるかもしれませんが、
本当の意味は…、
この理不尽な世界の片隅で、
それでも日々の出来事と向き合いながら生きていたすずさんの、
生活記録という意味だと思うのです。