息子の災難
先週の日曜のことだった。
その週は体調が悪いのを押して出勤をしていたので休日なのに家のことをする気力が起きず、常備菜をやっと2種作っただけでだらけていたのだ。
が、夕方近くの息子からの電話によって、つかの間の平和は破られた。
川に落ちた。
靴が流れた。
取ろうとしたら釘が刺さった。
動けないから助けて。
服がぬれたから、パンツから上着まで全部持ってきて。
泣きながら話す彼の言葉を要約すると、こんな感じ。
友達と遊水池の近くで遊んでいたらしい。
普段ならちょっとした怪我くらいなら自力でがんばれ、と言うのだが、なんか違う気がする。
荷物をまとめて早速行ったのだが、思っていたより事態は深刻だった。
この遊水池、1つの川を2つに分け、運動場に近いほうは人工的な浅い川、堤防を挟んだ奥にはそれなりに深い川があるのだが、彼と友人二人が遊んでいたのは堤防を降りた深い川の側の川岸である。
川岸は10メートルくらいの長さで上流側も下流側も堤防のまだ上にある遊歩道で隔てられているので、そこにたどり着くには堤防を降りるしかないのだが、遊歩道から堤防に降りるには柵の外側を回ってから1.5メートルほどの落差を降りないと堤防の上に着かない。
そこから急な堤防を滑り降りてやっと息子の元にたどり着けるわけだが、私は高所恐怖症なのだ。
しかも貧血でふらふらしているところだったので、はるか下で泣き喚く息子を見たとき、そのまま自分も倒れそうになった。
絶対に降りられないと思って対岸からアプローチできないかとそこらをうろうろしてみたが、どう考えても無理っぽい感じ。
何しろ彼は靴を取ろうとして入ったら急に底が深くなって肩まで浸かってしまったらしい。
着替えだけ友人に託したが、「救急車を呼んで」と言われても、救急隊員だってあんなところに降りられないだろう。
どっちかと言うと必要なのはレスキュー隊とかそういうのだ。
どんなに怖くても、やってみればできるのはわかっている。
私が怖いのは視覚から生み出される想像力のせいで、子供だって降りられるような場所なんだから。
絶対に手元30センチしか見ずに柵の外に出て、手すりにしがみつきながら外側を移動して、堤防の上に飛び降りて、どう考えても滑り台よりずっと急な堤防を降りる。
これ、子供を負ぶって登るのは無理だ。
どっちかって言うと、自分ひとりだけでも登れそうにない。
最悪の場合私がレスキューのお世話になるか、ずぶぬれになりながら川に入るしかないかもしれない・・・。
子供の足の裏に刺さっていたのはねじれた20センチほどの金属片の先だった。
泥の中にあったのだろう、明らかに汚染されている。
抜けるかな、とほんのちょっと触っただけで、子供は「触らないで!」と泣きながら叫ぶ。
結構深く刺さっているらしい。
刺し傷は抜いてはいけないと言うし、仕方ないか。
本当は固定位したほうがいいのだろうが、それもできそうにない。
とりあえず上半身は着替えていたが、かなり寒そう。
「動けない。救急車を呼んで」
と訴えられたが、呼ばれたほうもこんなところには降りられないだろう。
とにかく負ぶってやるからと堤防を見上げ、いや、この斜面を背負っては登れないだろうと絶望した。
せめてこの子が幼稚園児か小学生でも低学年なら何とかなるかもしれないが、小柄と言っても中1なのである。
やはり119の消防のほうに頼んで救出してもらうしかないかな、とあきらめかけたとき、
「オレ、1人で登る」
と彼が言った。
「片足と手で登る。堤防の真ん中の継ぎ目のところ、黒いでこぼこがあるからあそこから登る」。
結局私がやったのは隣で「がんばれ」と励ますことと、登る彼のすぐ下で「落ちそうになったら支えてやるから慎重にいきな」と言いつつ己のほうが落ちそうになりながら後に続くことだけだった。
堤防の真ん中にかにのように移動するのも、堤防を登るのも、そこから柵の下までまたかにのように移動するのも、手と片足だけで1.5メートルをよじ登るのも、柵の外側をゆっくり移動するのも全部息子が一人でやった。
息子は空を見上げながら「ギャー怖いギャー怖い」と叫びつつ降りてくる母を見て、もう自分で何とかするしかないと思ったのかもしれない・・・。
自転車の後ろに乗せて駅に出、タクシーを使って救急病院に行った。
隣の市の救急のほうが近かったので、そっちに行った。
レントゲンを撮ったら、小指と薬指の骨の間を抜けていた。
尖った鉄は3センチくらい埋まっていた。
痛がる彼の体を押さえて麻酔を打ってもらい、メスで切り裂くところや、大きい耳かきみたいなもので汚れや汚れ交じりの組織をかき出すところや、「滅菌ブラシ」と言う名のどう見てもただの歯ブラシで患部をごしごしこするところや、でっかい注射器に入った水を注入して何度も洗浄するところをずっと見ていた。
彼は2日前まで松葉杖を使っていたが、今はかかとで歩けるようになった。