もえーん

猟銃

日記

さて、2017年も既に12日間おわってしまったのですが・・・
来週にはもう、1年365日の4%以上が経過したことになります。いやー早いものですねぇ。あと数日ほど寝て起きると、もう年末ですねw

閑話休題

去年は幾つかあった課題の中で、楽器を始める(復活する)というのがクリアされました。正確にはピアノは復活させたとは言えない状況ですが、子供と一緒に時々弾いているので、まあそれで良しと。。。

で、現状で既に行っていることの延長線でやりたいことは色々あるのですが、全くの新規で手を出すものとして数年間ほど温めてしまっているネタが2つ。

ひとつは2輪の免許。
車でサーキットまで走っていた人間が、なんでバイクの免許もないのかというところですが、ないものはないw いきなり限定解除は無理なので、とりあえず昔で言うところの中型を。まあね、その昔は無免でちょいちょい乗っていたので、実は乗れなくもないのですが、それとこれとは別ということで。

もう一つは、猟銃の免許。
正確には免許ではないのですが、まあわかりやすいので、そういうことにしておきます。そんなに金額はかからない。そして、実は猟銃というのはそんなに高額ではないのです。中古で良ければ、そこそこのものが10万円前後で買えてしまいます。

なんで猟銃?

話すと長くなるのですが、ものすごく簡単に言うと、動物を殺して食べてみたいから・・・と書くと、やや問題のある表現ですね。



我が家の(私の)子供に対する教育方針(大げさだな)で重要なもののひとつに「食べ物を残してはいけない」というものがあります。自分の皿に乗せたものは、何があっても食べきること(吐いてまで喰えとは言いませんが・・・)。

理由の一つは、取るだけ取って残すというような意地汚くも貧相なことをしてもらいたくないから。ビュッフェとかでも、馬鹿みたいに取って残し放題という人がいますが、そういう方を人間として扱いたくないです。食べられるだけ取り、足り
なければ追加すればいいのです。

もう一つの理由は、最初の理由とも関連するのですが、食べ物を残さないということは、人間が動物の一員として生きていく上での最低限のルールだと思っているから。
人間は雑食性の生き物ですから、動物と言わず植物と言わず、なんらか生き物を殺して食べて生きていくことが理です。ですから、食べるために生き物を殺すことに何らの良心の呵責も不要です。しかし、殺した以上は残さず美味しく食べきること、これが自然界で生きるもののルールです。しかし、残念ながら本能でそのように生きる力を失いつつある人間は、意識的に食べることへの感謝の気持を抱くことでしか、「残さずたべる」を中々に実践できないことも、また確かです。

ここで、冒頭の猟銃免許を取る理由に戻ります。偉そうな講釈を垂れている割には、私はやはりどこかで食べるということに関しての想像力を失っている気がしています。だから年に一度か二度でもいいのです。温かい体温を持った動物を自分で殺し、血で手を汚しながら包丁で解体し、そして食べる。その身も蓋もないプロセスを通じて、食べるとはどういうことなのかをキッチリと認識する機会を持たなければいけないような気がしていました。この10年くらいの話です。

本当は子供にもそういう体験はさせなければなりませんが、今更いきなり鹿やイノシシである必要もないでしょう。ですから、最近釣りに連れて行くと、自分で釣った魚は自分でさばき、そして自分で食べろということにしています。ぴちぴちと生きて動いている魚に自分の手で包丁を入れ、血を流しながら息絶える魚を調理して皿に乗せ、それでもお前は残すのかと問えば、ちゃんと首を横に振ります。

ただ、私はもう魚をさばくなんていうことには、どこかで慣れてしまいました。本当は、慣れてしまった、という感覚を持つこと自体が何かズレてしまっているのだと思いますが、そんなこんなで猟銃の話につながっています。



考えすぎなのかもしれません。そこは自分でも良く分かりません。

  • もえーん

    もえーん

    2017/01/18 20:33:23

    3年くらい前ですかね、バッタを飼っていました。
    60cm水槽に土を入れて、餌になる雑草をそこで育て、その中でバッタを飼っていました。小指の第一関節から先くらいの大きさくらいだった子供バッタは、モリモリ食べて、バンバン脱皮して、二か月もすると小指一本分くらいの大きさの立派なバッタになりました。
    が、あるときマンションの敷地で除草剤がまかれ、それに気が付かずに追加の雑草を敷地内から持ってきて植えてしまったために、それを食べたバッタはあわれ死んでしまいました。子供たちは、しくしくと泣きながら近所の公園にバッタを埋めましたが、あれは良い経験だったと思います。

    でもね。。。 すぐに忘れてしまうのですよ、その程度のことを一度や二度、それも数か月程度の経験くらいでは。だから本当は長く生きる動物がいいのですけどね。

  • ・とんとん・

    ・とんとん・

    2017/01/18 16:41:37

    断固拒否ですか・・・
    まるで私の姑みたいですね><

    娘さんが生き物好きに育ってよかったですね。
    子供ってどうしても母親の影響をうけやすいですから。

    私の夫は動物を可愛いと思う当たり前の心を持っていますが
    姑とぴったりべったり仲良しの、夫の妹は、動物を汚いとしか思っていません。

  • もえーん

    もえーん

    2017/01/18 16:34:29

    >なにかちゃんと人間に馴れるペットを家族の一員に迎えて小さな命を慈しむことを体験として判るようになってからでもいいんじゃないかと。

    子供に関して言えば、それは全くそのとおりですね。
    うちは嫁が生き物嫌いなので、ずっと躊躇しているのですが。。。子供(特に娘)は昔から生き物が大好きで、もう動物といわず何といわず、ダンゴムシだろうがミミズだろうが、動いていればなんでも可愛いという感じなのですが、嫁が生き物嫌いで断固拒否で困っています。。。

  • もえーん

    もえーん

    2017/01/18 14:58:40

    >不気味だとはいいませんけどw

    けど? その含みが気になる・・・

    >「足るを知る」
    まったくです

    >「自分は自分の人生を生きて居るか?」
    おお、そのとおりです
    お前は言うなって?

    「マイナス3㎏」
    コメントし辛いですなぁw

  • ・とんとん・

    ・とんとん・

    2017/01/18 14:58:29

    ちょっと思ったのですが・・・命をいただくという感覚って
    まず「命」の尊さを知らないといけませんよね。

    なにかちゃんと人間に馴れるペットを家族の一員に迎えて
    小さな命を慈しむことを体験として判るようになってからでもいいんじゃないかと。
    そうじゃないと「殺す」という非日常の刺激的な部分に興奮を覚えて
    それを快感と思うようになってしまうケースもあるんじゃないかと思うんです。

    「いただきます」という食事始めの言葉の意味は
    自分で動物をさばかなくても、判るんじゃないのかなあ・・・

  • かぉりん

    かぉりん

    2017/01/18 10:56:22

    不気味だとはいいませんけどw

    食だけでなく、当たり前のもの、当たり前と思わない生活を
    「足るを知る」

    子どもに目が行きがちなので
    「自分は自分の人生を生きて居るか?」

    卒業式に入学式の時のスーツが着れるように
    「マイナス3㎏」

    これが私の今年「も」目標です。

  • もえーん

    もえーん

    2017/01/17 18:08:28

    読んだことはありませんが、本の存在自体は知っています。以前、学校で飼っていた豚を食べるか否かという話もメディアを少しだけ賑わせましたね。

    宗教じみたことを言うようですが、私はこの世界は漠然と存在しているのではなく、そこには世界を司る何か「大きな意思」のようなものがあると思っています。それを神と言うのであれば、それでもかまいませんが、決して擬人化された何者かということではありません。もっと漠然とした秩序という理解をしていただいて良いと思いますが、しかし秩序とはいっても科学的な因果という事でもありません。それは何者でもありませんが、我々の、この世界の在り様そのものです。

    人は昔、そういうものへの敬意と、畏怖の念を持ち、この世界で生きるものとしての摂理と節度を心に留め、世界と一体になって生きていたのだと思います。程度の多少はあれど、人はそういう感覚を失ってはいけないのだと、ずっと思ってきました。それは理論や理屈や、科学的な根拠によって「理解」をするものではなく、そういうものとしか言いようのないものとして「腑に落ちていく」しかないものだとも思っています。

    その腑に落ち感を得ていくために、あるいは保っていくために、人は禊として生き物を殺してたべるということを宿命づけられているのだと思います。あるいは地を耕し、植物を育て慈しみ、その収穫を口にするということを宿命づけられているのだと思っています。そのプロセスを通じ、人は世界と一体のものとして生きていけるのだと思っています。

    そこから離れていくことへの疑念を、どうしても消すことができない、ということが、この話の私のモチベーションの源泉でして、それしかないのです。。。

    すみません、なんか不気味な話をしているでしょうかw

  • かぉりん

    かぉりん

    2017/01/17 15:03:24

    いのちをいただくって本読みました?

    数年前「ある精肉店のはなし」を学校上映しようと
    部長さんと思ったのですが、低学年の子どもには
    ショッキング過ぎると、部員に反対されましたが
    これまたいいお話しで、本もあります。


  • もえーん

    もえーん

    2017/01/13 00:19:37

    いやあ、自分でも良くわからないというか、自分では納得できていない部分もあるんですよね。

    わざわざ殺さなくてもいい。そうなんです。でも、わざわざ殺すしかない、とも思っています。繰り返すようですが、それは私のエゴです。でもそれでいいと思うことにしています。ただ、それを私個人の納得のためだけに使うのは何だか違う気がしていて、私の場合はやはり子供に食べるということへの想像力を持って育ってもらいたいし、その意識をそのまた子供や周囲に伝えてもらいたい。そういう小さなことの先でしか、平気で食べ物を捨てる世界は変わらないようにも思うし、それはなんか悲しいなとも思うのです。

  • スゲ子

    スゲ子

    2017/01/12 23:40:09

    納得!

  • もえーん

    もえーん

    2017/01/12 23:11:20

    スポーツハンティングは断固反対です。だから、想定しているのはまさに間引きのためのハンティングです。もっとも、間引くという行為自体の是非も問われなければならないのですが、ほんとは。わたしの話は、ある意味で個人的なエゴです。だからそこに違和感を感じることは、すごく良くわかります。それは理解した上での話です。正しいのか間違えているのか、あるいはそういう判断のものではないのか、まだわかりません。ただ、わたしが撃たずとも誰かが撃つし、射止めた獲物を食べために私がスーパーで買わなかった鶏肉は、誰かが買います。だから私が何かを撃ち殺すことが、かならずしもオーバーキルの状態を生むものではないと考えてはいます。正誤はあまり問わないつもりでいますし、いずれにしてもそれは後の話だと思っています。

  • ・とんとん・

    ・とんとん・

    2017/01/12 21:05:36

    野性動物の研究者の友人いるのですが、彼は猟銃は持ちませんが谷に落ちてゆく鹿を見つけると
    追いかけていって、死んだのを確認して測定して、さばいて美味しくいただいているという人です。
    命を無駄にしない行為の一つ。

    ・・・猟銃でわざわざ殺すのは、なんだかちょっと違う感じがしてしまうけれど
    農作物への被害などを減らすために野性の個体数を減らすという目的ののち
    美味しくいただくなら、まあ・・・捨てちゃうよりいいかな・・・・と思ったり。

    なかなか難しい問題なので、議論はしたくない・・・