『ドライブ・マイ・カー』を見てきました。その2
* * * *
村上春樹の作品を舞台化したものや映画化したものを、
私は過去にいくつか見てきましたが、
喪失と再生の描き方において、
そして不条理というものの描き方において、
この映画は、実に村上春樹らしい作品になったような気がします。
カミュの不条理は、外からやってくる不条理。
ペストであれ戦争であれ、それは突然、人間を襲い、
人間を巻き込み、人間を翻弄していきます。
ですが、カミュの作品の中で、人間自身は、実に人間らしい人たちです。
当初は混乱し、多くの過ちを犯しながらも、
次第に自らの成すべきことに気づき、
連帯して不条理に抵抗していく人間の姿が、
『ペスト』の中では描かれています。
それに対してカフカの不条理は、人間の内にある不条理。
大きな虫になってしまったザムザくんが典型的ですが、
それはある日突然、自分の身に起こって、彼と家族を翻弄していきます。
ですが、ザムザくんもその家族も、
この不条理を前にして、どこまでも小市民的な対応を繰り返します。
この出来事の意味を問うとか、
そこに何かしらの啓示を読み取るようなことはしません。
ただ、この出来事に憤慨し、どうしたものかと困っているだけです。
村上春樹の不条理も、人間の内にある不条理だと思うのですが、
しかし、彼が描く不条理は、得体は知れないけれど、
何か根源的な悪とか闇に連なっている感じがあります。
それが結局、なんであるのかは分からないのですが、
それと向き合い、対決することが、
主人公が人間として成長していく上での通過儀礼になっていて、
主人公の精神的な成長というか、変化へと結びついていく。
少年カフカくんしかり、ねじまき鳥さんしかり。
その点で村上春樹の作品は、
古典的なビルドゥングス・ロマンの構成を持っているような気がします。
そして、この映画『ドライブ・マイ・カー』も、
亡き妻や高槻という人物を通して、
何か根源的な虚しさというものを感じさせながら、
『ワーニャ伯父さん』を演出するという行為が一つの通過儀礼となって、
演出家自身の再生を予感させる構成になっています。
そして、その演出家を、車を運転して運び、
自らを虐待した亡き母、その母と暮らした家へ連れて行くという行為を通じて、
運転手自身も自らの葛藤と折り合いをつけていくのです。
そうやって生きていく、とりあえず明日の方に向かって。
* * * *
そして、このような生を引き受けていく人間たちにとって、
『ワーニャ伯父さん』のラスト、
ワーニャ伯父さんの姪がワーニャ伯父さんに向かって語りかける
「無言」の台詞は、なによりの慰めになります。
この場面、この演技は素晴らしいです。
映画館で見ておくことをお勧めします。
おしまい。
安寿
2022/02/21 13:40:41
>りゅぬさん
なるほど、2回も休憩が入るのですね。
私の場合、DVDを借りて、少しずつ見ることになるかな。
安寿
2022/02/19 15:52:57
>りゅぬさん
おおお~、『ハッピーアワー』を見た!
私は、5時間という上映時間を目にして、未だに尻込みしています。
でも、濱口監督なら、そのような撮り方をするだろうな。
私は、もうすぐ近くのミニシアターで上映される
濱口監督の『偶然と想像』を見ようと思っています。
私は文学も映画もそれほど造詣は深くないのですが、
私自身、文章によって生きているところがあって、ですから、
書きたいと思った題材を、
書きたいと思った思念通りに言葉として表現すること、
そのために自分の内なる言葉を探し、
その言葉を推敲していくことは習い性になっているところがあり、また
そうすることが好きなのです。
そして、そのような文章の掲載先として、ニコタの日記を使用しています。
そんな、とめどもない文章ですが、
読んでいただいて、コメントを残していただけると、
とてもうれしいです。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
安寿
2022/02/13 10:08:51
>りゅぬさん
はじめまして。
そして、コメント、ありがとうございます。
この映画は、村上春樹の小説をモチーフにしていますが、
その取り上げ方、アレンジの仕方においては、
濱口竜介監督のワザが冴え渡っています。
しかも、そうして完成した映画は、実に村上春樹的なのです。
原作の方は、この映画に比べたら、かなり見劣りがします。
なので、映画を見てから、原作を読んでみることをオススメします。