glycogen

無宗教の家族葬

人生

今日は義父の葬儀だった。

義母は互助会に入っていて、葬儀は掛け金の30万で済ませるつもりだったらしい。
最初に「宗派は?」と聞かれるところから仏式は困る、坊さんへの謝礼がばかにならないのだから、と一番簡素な葬式を求めていた。
献花をする、と聞いていたので、だんなは5束も花束を買っていたが、これは正直いらなかった。
式場がたっぷり用意していたからだ。

初めて出会った方式だったので、覚書をしておく。

12時集合、12時半開式。
参列者は10名。
ゼミ室くらいの大きさの部屋の半分が10センチくらい上げられ、畳が敷かれていて、そこに義父が寝かされていた。
こちらの半分には、椅子10脚。
白い着物に包まれている。

最後の挨拶をしてあげてください、と言われてみんなで輪になり、声をかけたりそっと手に触れたり。
ふれあいはそんなものだと思っていた。
だけど、違うのだ。

まず、末期の水を飲ませてあげてください、と言われる。
ちょうどPCR検査の時に使う大きな綿棒みたいなものを水に浸したものを渡され、一人ずつ唇をぬぐう。
その後、二人ずつ手と足を拭いてあげてくださいと言われ、温かい濡れタオルを渡される。
その間に式場の方はひげをあたるという。

触っていいのだろうか。
昔、祖父の葬式をしたときは亡くなったその日にお通夜、翌日葬式で、亡くなった直後は温かみがあったからだが、ドライアイスで冷やされた後は恐ろしく冷たくこわばり、もう動かすことなどできなかった。
だけど、あれは死後硬直だったのだろうか。

そして、今は死後硬直がほぐれた状態なのだろうか。
手をぬぐうとき、もちろん冷たいのだが皮膚は柔らかく、まるで寝ている人のようにするりと抜けて下に落ちる。
それをもう一度腹の上に持ち上げ、次の人に託す。
皆がぬぐった後を式場の二人が、一人は化粧を施し、一人は爪を整える。
その後、一人が足袋を履かせ、二人が脚絆を履かせ、二人が手甲を巻く。
最後の一人が6問線を印刷した紙を入れた袋のひもを固く結んで準備は終わり。
右手のそばに杖を置き、足元に草履、肩付近に角隠しと被り物。
布団をかぶせて、最後にもう一度お別れの時間がある。
畳に上がっていいですよと言われて子供たちはみんな近寄り、涙声でいろいろ話していた。
「オセロをしたよね」「将棋をしたよね」「小学校に行くとき、いつも信号で旗を振ってくれていたから、毎日握手していた」
最後に三男が「じいちゃん、ばあちゃんが俺が面倒みるから心配いらないぞ」と泣きながら話したところで涙腺崩壊多数。
10年前に近所に引っ越してきてからたくさん遊んでもらった記憶があふれ出たらしい。
義母や義妹だけでなく「今日は絶対泣かない」と言っていたダンナまで泣き出して、でもそのお陰でたぶんみんな吹っ切れたんじゃないかと思う。
もちろんうちの三兄弟が筆頭で泣いていた。

しばらくして落ち着いたところで式場の二人が戻ってきて、みんなで納棺。
三兄弟と甥がシーツの4隅を握り、式場の二人が真ん中を押さえて棺桶に運ぶ。
丁寧に布団を整えると式場の方が顔周りにシート綿みたいなものを丁寧に敷き、出るのが顔だけになる。

それから、たくさんの花を渡された。
いろんな種類、さまざまな色の花束を一握りずつ渡され、棺桶の中に置いていく。
そのあとは色鮮やかなランなどの大ぶりの花。
それだけでも棺桶の隙間はほとんどないのに、ダンナが買ってきた花束5束を解いたものが増えたので、十重二十重の花々が、棺桶からあふれそうだ。

それを見たら楽しくなってしまって、棺桶の周りで記念撮影をした。
これもまた、みんなの気持ちが変わった瞬間だったろう。

こんなに花に囲まれた最後なら。

一度控室に戻って、焼香の用意ができたところでまた呼ばれる。
一応焼香はするのか。
そのあと、男衆が棺桶を持ち上げて、キャスターに乗せる。
移動車に乗せるのも、男衆の役割だ。
こういうの、昔の葬式みたいだな、と思った。
死んだ人のお世話をしながら、お別れをしていく。
会社の側では人員削減できる、安い葬儀法なのかもしれないけれど。

自家用車とタクシーに分乗して火葬場に移動。
ここからは、現代の葬式とのギャップに苦しんだ。
自動でキャスターに乗せられ、建物に入ってすぐに4人ずつに並べられ、一斉に焼香。
そのすぐ裏に回ると焼き場だ。
棺桶が入るサイズの入り口を開けると、「お入れします」とそのまま入れられてしまう。
葬儀社で「あちらに行ったらもうご挨拶もできませんから」と何度も言われたのはこのことだったのだな。
多分、建物に入ってから5分もしないうちに焼き始められてしまった。
隣の窯にも、その隣にも写真が飾られている。
今、この地域は焼き場の順番が間に合わず、時には1週間も待ったりしているから、死後3日で葬式ができたのはありがたいことなのだ。

1時間の待ち時間に会食。
葬儀場のご飯は、なぜあんなに高いくせに…モニョモニョ…という感じの食事だった。
だけど、これは故人の思い出話をするための時間なのだから仕方ない。

骨は、2枚の金属バットに乗って出てきた。
左が下半身、右が上半身だそうで、右側から頭の骨だけ取り除けられ、それ以外を二人で1本ずつ骨壺に入れると、あとは係員が大きな骨を適度に入れた後は小さな塵取りみたいのに入れては骨壺に入れていく。
思ったより大きな骨が多い。
そして、色づいた骨が多い。
これは、花の色が移ったのではないかとのことだった。
こんなにもろくなるまでの高温なのに、花の色が移るのか。

のどぼとけの骨は、本当に仏の形をしていた。
一つ下の骨もくっついてしまっているそうだが、本当に坐像の形になっていた。

  • glycogen

    glycogen

    2022/02/07 21:45:02

    レガオさん
    身内でもないと、なかなか焼き場まではいきませんよね。
    キリスト教の葬式では花を1本ずつ入れたりするのですが、こんな風に色とりどりの花で埋もれるような式は初めてでした。
    骨がこんな風に色づくのも、初めて知りました。
    人が少なかったからこそ、みんな泣けたのかもしれませんね。

  • レガオ

    レガオ

    2022/02/06 22:39:56

    お疲れ様です。
    焼き場まで行く葬儀は2-3回しか覚えがありませんが、花をたくさん入れるのはやりました。
    そのほかは地域や家によってそれぞれだったかな。
    会葬者みんなが泣いて送られるのもお義父さまのお人柄ですね。

  • glycogen

    glycogen

    2022/02/05 21:22:36

    わかばさん
    ありがとうございます。
    私もあんなに泣く人が多い葬式は、子供のクラスメイトが亡くなった時以来でした。
    一人時流に乗れなかった私がさみしいです…^^;

    こきりこさん
    私もこんな葬式の仕方があるのかと驚いた次第ですが、参列者の一人が同じ形式に参列したことがあるとのことでした。
    子供たちも思うところがいろいろあったようです。
    朝まで気づいてあげられなかったと嘆いていた義母も、少し落ち着きました。

    神無月さん
    この話をしたら「死んでまで誰かに面倒を見てもらうなんて、私はいやだわ」という感想を持たれた方もいましたが、無宗教の私はこういう葬儀はいいなと思いました。
    子供たちももうすぐ一人立ちです。

  • 神無月

    神無月

    2022/02/05 13:11:42

    おつかれさまでございました…
    お別れもあればいつのまにか一人前になった心強く優しい子どもたちもいて
    時は流れていくのですね…
    お葬儀のかたちは色々ですね、お疲れさまでした。

  • こきりこ

    こきりこ

    2022/02/05 10:51:12

    glycogenさんが書いておられるお葬式は私は一度も出会ってないです。
    色々な様式があるんですね。
    といっても、火葬場まで行くような葬儀に4,5回しか参列してませんが。

    お通夜、お葬式は、礼儀に反しないようにしなければと思い、つい亡くなった
    人への気持ちを忘れがち(いや、変な言い方です)になります。
    glycogenさんの息子さんの気持ちこそ大事なんだなあと思った次第です。


  • わかば

    わかば

    2022/02/04 21:37:16

    家族みんなで泣ける、良いご葬儀だったようですね。←変な言い方ですが。
    ご子息三兄弟の優しさに心打たれました。
    私もご冥福をお祈りさせていただきます。(-人-)
    どうぞお疲れを出されませぬように。m(__)m